絶対粛清射程圏外

@kai569

プロローグ

 アレは今から何年ほど前の話であったろうか。

 今がいつなのか、一体私がどれほどの人々を殺し、虐げてきたのか、とんと思い出すことはできぬが、まだ私が己の両脚でしっかりと地面を踏みしめていることは分かる。

 私は何者なのか、何者という言葉にかかる解釈によっては如何様にでも化けるが、どの様に語ったところで大量殺戮者であることに変わりはあるまい。

 私は彼らの尊厳を踏みにじり、彼らに銃を向けて引き金を引いた。脆く儚い現実の上で、薄氷を叩き割るようにして彼らを殺した、殺してしまった。

 さて、この老人のそんな話を聞きに来ていたのだったね、君は。では、この老いぼれた殺戮者の、馬鹿げた後悔を聞いていくと良い。




「私が中隊を?」

「ああ、正式な辞令は後になる。上からのお達しでな――首都ここも物騒になってきた。動ける駒は多めに、だそうだ」

「自律人形どもでは不足という事でしょうか」

「さあな。何にしろ俺もお前も兵士なのだから、言われたことをやっていればいい。深く考えるな」


 上官はそう言うと、葉巻を咥えて火を点けた。途端に部屋が煙たくなって、顔をしかめたのが上官には見えていたのか、ハンカチをこちらへ手渡して、ただ一言「やる」とだけ言って、それから彼は卓上の書類から目を動かさなくなった。


「失礼致します」


 私はそうとだけ言って、上官の部屋を出て、口に当てていたハンカチを離して、一息ついた。ふと、手渡されたハンカチを見ると、随分と綺麗な刺繡が施されているのが目に入った。少なくとも、一介の兵士が手にするのは違和感を感じるものだ。何より、今時こんなハンカチを徴収もされず持っているということは、彼はなにかしら、上層部の人間とコネクションでもあるのだろう。

 卑しい連中だ。公平と平等を謳い、富を吸収して再分配しているはずが、それを唱えている党の上層部のみが、不公平な利益を貪っている。

 この国は腐っている!

 大きく息を吸い込んで、そう叫びたかったが、叫んだ途端、そこらにある盗聴器と監視カメラが私を捉えて、すぐにでも懲罰房行きになるのは目に見えていた。

 この国は―─名前は何だったか、如何せん党はこの国の名を中々使わないせいで、もう人々の記憶の中から国名は消えている――いつからなのか、この支配体制を築いた。少なくともそれは、私が生まれたおよそ二十年前には確立していた。彼らは、血と汗の果てに調和は成ると語って、民衆を支配していたのだ。

 要は、思想教育を徹底しているのだ。図書館に置かれている歴史書は、主観的に物事を語り、そして、党を英雄視する――酷ければ党を神格化している物すらある。

 私はこの国が嫌いだった。人の見えぬ場所で汚職に励み、彼らの口が叫ぶ党のスローガンとはかけ離れた行為を行う上層部の人間を肯定している、この国が嫌いだった。

 ではなぜ私が国に忠誠を使う治安維持軍に身を置いているのかといえば、これ以外に日々を生きていく術がなかったからである。家が貧しかったわけでは断じてない。一般平均程度の配給は分配されていたし、覚えている限り両親は心優しい人間だったはずだ。ただ、ちょうどあの頃は北方蛮族の種族反抗レジスタンスがあった。両親はそれに巻き込まれて死んだのだ。

 齢九つにして孤児になった私は、軍幼年学校へ訪れた。というより、連れてこられたというのが正しいだろう。私はそこで教育を受けたのだ。党の語る思想と、愚かなこれまでの人類史。そこで、私は兵士へと育てられた。党に忠誠を誓い、彼らの唯一の剣と盾になるように育てられた。

 

「よう、久しぶりだな」

「シバタニか」


 後ろから駆け足気味でこちらへ来た男――シバタニは私の肩に手を置いて、歩調を合わせてきた。


「しけた面だな、ハギワラ。そうつまらん顔をしてるといざって時に死ぬぞ?」

「そう言ってくれるな、私も偶にはこういう気分になりたくなる」


 シバタニは私の同期だった。軍幼年学校に入って、一番最初に出会ったのが彼だ。それからずいぶんと長い付き合いになる。かれこれ七、八年にはなるはずだ。


「で、上官殿からは何と?」

「中隊を預ける、とおっしゃられた。私も晴れて前線行きのようだよ」

「ははあ――まぁ、ここで予備兵として事務仕事に励むよりは、マシだろう」

「全面的に同意するね。国のため、党のために戦えるのならばより一層努力に励むとも」


 私の生存が約束されているならだが、とは言わなかった。目の前にいる友人は、良くも悪くも党を第一に考えている――要は心酔しているのだ。ほんの少しでも党に反抗するような雰囲気を感じれば、彼は党に密告するだろう。そうなれば私は銃を突きつけられ、私の身体には幾つもの穴が開く。運が良ければ銃殺刑、悪ければ党上層部の人間どもの玩具にされて殺されるのだ。そんなのは御免だ。


「そういえば聞いたか? 近々絶対粛清が行われるそうだ。東方蛮族どももこれで懲りるだろう……うん? そうなると、お前は西方行きになるのか?」

「絶対粛清が行われるとは初耳だ。なるほど、そうなると東方ではなく西方かもしれんな。あるいは、東方戦域の治安維持か?」

「まぁ、また会えば酒を酌み交わそうじゃないか」


 そう言って、彼は廊下の突き当りを右に曲がって歩いて行った。やれやれ、情報部の人間はやはり耳が早い。何しろ、私は東方蛮族へ絶対粛清を行うなど予想もしていなかったのだから、自分の行き先が絞れたのはありがたいことだ。

 絶対粛清――それは、党の行う浄化作業であると言って良い。最も、党の人間からすれば浄化作業であるというだけで、そのほかの人間からすればただの虐殺に見える。

 軍に所属して、分かったことが一つある。党は、定期的に――何十年かごとに――東西南北のうちいずれかの方向に位置する一つの種族に、種族抵抗レジスタンスを行わせている。中央部に位置する国民達の感情を統一し、人口を意図的に減らすことで党に要求される国民への配給量を調節しているのだ。特に、首都を中心として外側へ、工業地帯、穀倉地帯、蛮族領域穀倉地帯といった風に広がっているから、蛮族領域の穀倉地帯が戦火で焼かれた程度なら、生産量に大した減少は見られないのだ。

 党からすれば一石二鳥である。反乱の感情を、ある一定の民族への憎悪にすげかえることができ、自分達の取り分が増えるのだから。さぞ嬉しかろう。

 さて、あの上官は私に小隊を預ける、と言っていたが、兵科に関しては何も言っていなかったな。と言う事は、ただの歩兵なのだろうか。このご時世、戦車兵などは貧乏クジだ。蛮族領域とは言っても穀倉地帯以外は徹底して都市化されているから、蛮族の都市に入った途端戦車は背後を取られる。穀倉地帯での戦闘にしても、既に戦車以上の装甲を持つ装甲機兵ウォーカーがいるから、そちらを使えばいい(戦車は対戦車歩兵火器で容易く破壊されるのだし)。

 どちらにせよ、出立の準備はしておいた方がよさそうだ。

 ハギワラはそう結論付けて、廊下を歩む足を早めた。




 くあ、と欠伸をして、シバタニはベッドから身を起こした。時刻は既に正午を回っている。軍隊生活においてこのような時刻に目を覚ますのは本来、咎められるべきではあるが、今日は非番なので大目に見てもらえるし、何より情報部の人間には長く寝かせてやるという因習地味たものがあるから、とやかくは言われぬだろう。

 とりあえず朝食──と呼ぶには遅すぎるが、食事を取りたいところだ。着慣れた軍服に袖を通し、軍帽を深く被ると、さっさと廊下に出た。

 情報部の仕事は大変だ。一言に情報部と言っても部署があって、大きく分けて、実地で活動する諜報部と、そこから集められ送られてきた情報を精査し、然るべき場所へ伝達する統括部に分かれている。私は統括部所属の、所謂エリートであった。統括部の人間に求められる技術は多い。情報の精査の中に、何故この情報なのか──と言う、情報の中に出てくる人物達の意図を読み取り、考察するという行為が凝縮されているからだ。要は、心理学を納めねばならないし、対人会話の技術だけ納めればいい諜報部の連中よりも遥かにハードな部署だ。何より、統括部の入隊試験には思想検査も入る。巧妙な質問がいくらもあるから、欺こうとするなど不可能だ。だがそれでも年に数十人は強制労働施設に送られるのだから、やはり馬鹿は居るのだと感じるし、党の統治を更に隅々まで行き渡らせなければならないと痛感する。

 今のところ何か急用がある訳でも無いし、すぐに終わらせなければならない業務がある訳でも無いので、朝食を取ったら本当に何もやることがなくなってしまう。一般的な兵はある程度長めの非番をとって帰省したり、1日限りの非番ならば周辺の散策にでも行く所であるが、生憎両親は一日や二日そこらで帰れる距離に住んでいる訳では無く、帰省という手段も消える。娼館に行く兵もいるとは聞くが、性欲を持て余している訳でも無い(元より私は性に関して希薄な人間だからだ)。図書館に行って何か読み漁るというのも良いが、この基地周辺の図書館に置いているものは大抵読み尽くしたので、矢張りこれも些か気乗りしない。

 そうこう悩んでいるといつの間にか食堂に着いていたようで、早速中に入ってみると中々繁盛していた(食堂の経営は民間運営では無いが、比喩表現には適しているだろう)。軍生活ともなると楽しみが食事くらいしか無くなるのは全くの事実だ。それ故に、非番の日でも食堂が一日中賑わっているのはよく見られる風景だった。

 銀色のアルミで出来たトレーを取って配給待ちの列に並ぶ。軍の配給といえど贅沢はできず、一般市民への配給と量、質共に大差のないものとなっている。見た目は人を選ぶだろうが、その分味には気を使っているので、慣れれば大したことはない。原初、党が全ての国家をまとめ上げまだそう時の経たない頃、党は食事関連の議題で揉めた事があったそうだ。

 党は私有財産を認めておらず、それは即ち資本主義を否定するものである、と定義付けている。そこで問題になったのは、国民の食事事情であった。貨幣という取引の為の道具を用いる事を党は禁止していた。何故ならば、そういった目につきやすい、手に入れやすい物体を取引の媒介にするから、貨幣経済の悪しき汚点がシミのように広がるのだ、と彼らは考えたからだ。そこで党は、あらゆる物品を配給する事を決定した。単純だがこれ程分かりやすい対策もないだろう。当然ながら全物資を配給制に切り替えた当初、各地で混乱と物資の不足が生じたが、彼らはそれをたゆまぬ努力で成し遂げたのだ。

 適当に席を見繕い、トレーに乗せられた食事に目をやる。三つの窪みにそれぞれ固形肉、栄養重視のどろどろとした流動食、ついでと言わんばかりのコーヒーがあった。当然食うに必要な食器はある。

 固形肉が出てくるのはごくごく稀で、なかなかお目にかかれない。逆に流動食は食事を楽しむのには不向きだ。吐瀉物のような見た目と、無味無臭なのが食欲低下に拍車をかけているといったところだろう。とは言え、長年軍にいればいずれ慣れるものなのだから、気にすることでもない。固形肉は平たくいうなれば、コンビーフのようなものだ。塩辛さと、肉のうま味というかそのような美味さがうまく共存しているのだ。

 前線に行けばこのような食事も食えまい――なるほど、そう考えるとハギワラはある意味哀れだろう。とは言え、この吐瀉物のような流動食を喰わずに済む、というのなら幾ばくもマシであろう。

 シバタニはそう結論付けると、固形肉を口の中にひとかけら放り込んだ。




 翌日午前七時、ハギワラは基地を出た。目的地は西方第422大隊前線駐屯地である。すなわち第422大隊がハギワラの新たな配属であった。彼が率いるのは大隊の根幹ともいえる装甲機兵中隊である。

 これまた不運なことに、ハギワラが転属し率いる装甲機兵はいわゆる切り込み隊のようなものであった。それは装甲機兵の持つ頑強な装甲と歩兵殲滅能力を見込まれてるが故の役割である。要は、彼は前線も前線、最前線への配置となる。後続歩兵の為眼前の敵を粉砕し、道を切り開かねばならない。

 当然戦死する確率も上がる。何が起ころうとおかしくない危険な配置である。ハギワラは胸の中に死への恐怖を内包し、西方行きの列車へ乗り込んだ。


 その日はまるで、私の前線行きを祝うかのような、えらく澄んだ青空だった――と彼は後に語る。

 少なくとも、それは祝福とはかけ離れたものであっただろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

絶対粛清射程圏外 @kai569

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ