第30話 五日目② ~過去・現在・未来~


 ドナウ川に沿って東のかた、空港へと向かった。滔々と流れる水は東欧諸国を貫流して黒海へ注ぐ。川の西端の側にあるオーストリアは、ドナウ川を通して東欧諸国の玄関口にあると云えそうだ。それは裏を返せば西欧への玄関口と云うことでもあり、つまりは東西欧州の結節点なのだ。此の地を本拠としたハプスブルク家が欧州に覇を唱えることができた理由の一つに、そのことを挙げてもいだろう。


 この地の利は現在もオーストリアに生きている。第二次大戦後、オーストリアは永世中立国となった。

 自ら望んでなったのではない。

 第二次大戦でいち早くドイツに併合されてしまったオーストリアは、ドイツが連合国にくだった後も十年のあいだ米ソを含む四カ国による分割統治の下に置かれたのち、漸く独立を回復した。永世中立は、東西両陣営の綱引きの末の政治的な妥協点だ。


 だがそれを悪と断ずるのは短慮かも知れない。東西冷戦の間オーストリアは時には両陣営の緊張の調整弁となり、東欧からの亡命者の駆け込み先ともなった。国際力学と大国間の思惑故に押しつけられた永世中立は、結果的に世界の安定に寄与したと云えそうだ。それはオーストリアの国益を利することにもなったろう。

 善意と理想から出た運動が世界を災厄に落とし込むこともあれば、利己的で傲慢な政策が地上に平安を齎すこともある。まことに此の世は一筋縄ではいかない。


 その一筋縄でない不幸な一例を、同じオーストリアの上に私は見てしまう。第一次大戦後のことである。

 第一次大戦の結果三つの大帝国が消滅し、代わりに幾つもの民主主義国家が生まれた。帝政から民主共和制への移行を我々は、人類社会の進歩と呼ぶべきなのだろう。

 だがハプスブルク帝国の瓦解と各民族の自立、民主国家の成立が二十年後の、第一次大戦を遥かに上回る惨禍を用意したように思えてならない。


 民族自決の潮流は一方でユダヤ人たちにも権利拡張の夢を与え、他方では中欧・東欧国家で中核民族のユダヤ人に対する敵意をかつてないほど増幅させた。

 また副産物として、長らく雌伏していたシオニズム(ユダヤ人国家への帰還)が実現可能な目標として再認識され、やがてはナチスドイツを代表とする反ユダヤ主義の嵐の前に、生き残るための切実な目標となった。

 それらの先にホロコーストがあったのだとすれば、人は、それさえも人類社会の進歩のため必要な犠牲だったと云うのだろうか。イワン・フョードロヴィチ・カラマーゾフならばきっと「どんな進歩だってそんな箆棒べらぼうな値段はしない」と叫ぶに違いない。


 そしてその犠牲は、別の形を取って今も現在進行形で続いている。



 第一次大戦以前、世界のユダヤ人口は中欧・東欧・ロシアに集中していた。その数およそ八百万人。

 今、同じ地にユダヤ人は二百万人をかぞえるに過ぎない。実に六百万人ものユダヤ人が、此の地から消えた。彼らは何處へ行ったのか。答えは――米国と、イスラエルだ。(加えて、ナチスドイツにより虐殺された者たちと)


 そのイスラエルの歴史を想うと、複雑なおもいに捉われないではいられない。ユダヤ人を襲った悲劇は役と場所ところえて、その後数十年に亙り新たな悲劇を生みつづけている。


 イスラエル建国は、ユダヤ人たちが生存を脅かされないための切実な希望だった。

 旧約聖書の記述を根拠に神の約束された地がユダヤ人の手に帰するのは当然……とは流石に考えなかっただろう(と信じたい)が、自らの国家をたなければ虐殺が大口を開けて待っているとは、妄想や脅迫観念ではなくほぼ同時代に現に起こった、生々しい現実リアルだったのだ。

 だが二千年ぶりの約束の地には、既に別の民が住んでいた。二千年もの間その地で営々と耕し、産み、育んできた民が。彼らの自由も民族自決も、一顧だにされなかった。代々暮らした故郷に生きる権利さえみつけにされて、如何どうして納得できたろうか。


 すこし想像力を働かせれば理解わかることだ。だがこの新国家を成立させた大国と、新国家の国民・指導者たちは、彼らの想いを理解し寄り添う努力を怠ったように思えてならない。あたかもアーリア人の優性を信じた者たちがユダヤ人の生きる権利を剥奪した、苦い歴史をなぞるように。

 同様に、二千年その地に暮らした者たちも、新しい隣人たちの窮状切迫を想像する余裕は持ち得なかった。(もっとも、迫害される側に、迫害する側の者の心情を理解せよと求めるのは無理があるだろう)


 想像力の欠如が、民族間の相互無理解と憎悪を増幅させていくのだと思う。とは云えその失陥は人類通有の宿痾で、彼らに石を投げる資格を持つ者は地上に一人として在るまい。

 くして彼らは、互いに自身の生存権を賭け血を流し合う。


 それぞれに大義があり、譲れぬ信念があり、渇望する夢があるのだろう。いずれの理により分があるかなどと論ずるつもりなはい。ただ、これだけは云える。理想も正義も、両者がそれぞれ勝ち得ようとする如何なる果実も、この紛争で流された子供たちの涙をあがなうだけの価値はないのだと。



 え上がった憎悪と復讐の連鎖を止めるのは絶望的にさえ思える。

 だが人の世の営み、因果起結は単純明快な一本道ではなく複雑怪奇な迷宮なのであって、一筋縄でいくものではないとはさきに述べた通りだ。憎悪の応酬と、各国の自国第一の思惑が、いつか思わぬところから平和の解決策を見出すことを信じたい。薄っぺらな楽観的希望オポチュニズムであることは承知の上だ。

 願わくはその日は、あまりに遅きに失しない前に来たらんことを。入植地で繰り返される悲劇、そこで喪われる人命の一個ひとつとして、誰かの勝利やなにがしかの達成のための犠牲としていものはない。


 思惟おもえば私の仕事も復讐の連鎖の、ひとつのを為している。何時いつの日か私もその酬いを受けるだろう。どのような最期を私が迎えるにせよ、あだを討つには及ばない。此処で復讐の連環が断ち斬られることをこそ私は望む。

 ウィーン発の私の旅は、帰路も紛争地を避け長い途行みちゆきになるようだ。窓から下を覗けば欧州の各都市の明るい燈火が次々と現れる。紛争地ではそれは、紅蓮地獄の色をしているのだろうか。それとも光なき漆黒の底に沈んでいるだろうか。彼らの街の灯が希望の色に輝く日が早く来ることをねがって、私は目をじた。




(チェコ・オーストリア編 了)


※次回からは最終章、マレーシア・シンガポール編


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る