第24話 二日目② ~王の道・仕事~


 仕事を考慮し早めの夕食を、丘の中腹のレストランで頂く。夏季、プラハの日は長い。緯度が日本より高いうえ夏時間を採用しているため、何時いつまでも陽がしずまないのではと不安になるほどだ。

 陽光を燦々と浴びるオープンエアの席に座ると、今からとるのが昼食ひるなのか夕食よるなのかさえ分からなくなってしまう。


 ビールは再びウルケルだ。ヴルタヴァ川の悠久の流れと、その先にひろがるプラハ市街を望んで乾杯する。の国にも乾杯の作法はあるものらしい。チェコではまずジョッキをぶつけ合った後、一度テーブルにも当て音を立ててから飲む。掛け声は「ナズドラーヴィ!」、意味は「健康に!」と云ったところ。

 ボヘミアングラスのジョッキは重厚な手触りだ。ヴェネツィアングラスとならび称されるボヘミアングラスだが、精緻なカットの高級品から日用使いの普及品までラインナップは幅広い。無論私の手にあるのは後者の方だ。それでも数百年の研鑽を経て今に伝わるグラスの価値は、ずっしりと重い。


 半分ほど飲んだところで前菜のタタラークが運ばれてきた。タタラークとはビーフタルタルのことで、生肉のつややかな輝きを見ればこれはもう、美味でない訳がない。

 トーストされたバケットと、生大蒜にんにくも付いてくる。光沢からして兇悪な生大蒜を如何どうするのかと云うと、バケットを擂粉木すりこぎ代わりに此奴こいつを擦りつけるのだ。すると見る見る生大蒜は磨り減って、バケットの上にクリーム状に塗られていく。

 こんがり焼けたバケットと大蒜だけで十分視覚的嗅覚的に心臓ハートち抜かれてしまうが、その上にビーフタルタルを載せ齧れば味覚までもが揃って責める。それはまるで自儘で驕慢な女王に詰め寄られるかのようで、私は為す術なく平伏ひれふとりことなってしまった。

 前菜と云わずこれだけで食事を済ませてしまいたいほど次々お替りに手が伸びる。


 ビールもすぐ飲み切ってしまった。浴びるほど飲みたくなる状況だが今夜は仕事があるためなみだを飲んで切り上げ、二杯目はコフォラにした。コフォラとはコーラに近い炭酸飲料で、炭酸は弱めな一方ほのかにハーブの香りがする分、好みは分かれるかも知れない。社会主義国家だった頃に外国のコーラが入ってこなかった代替として開発された飲料が、現在も愛飲されているらしい。


 メインはガチョウのローストだ。チェコではペチェナー・フサと呼ばれ、紫キャベツの酢漬けの上に乗っている。ナイフを入れると脂があふれ、皮はパリパリで香ばしい。此処でもお馴染みのクネドリーキが付いてくるが、パンはビーフタルタルでもう十分だ。

 さらに、シュニッツェルが出てきた。ウィーンスタイルの薄いシュニッツェルではなくとんかつサイズの厚さで食べ応えは十二分。これにはレモンをかけて食べるのがよし



 夕食を堪能してそのまま眠りに就くことが許されるならば幸せなのだが、この後には仕事が待っている。権利あるところ、必ず義務もあるのだ。


 義務から逃げるつもりは毛頭ない。だが仕事の時間までは間があり、夏の空は日がまだ高い。ささやかな街歩きは許されてもかろうとめつけ、カレル橋へ向かって丘の坂道を下っていった。風が吹くと涼が肌に心地いい。

 旅行者たちは愈々いよいよ道に溢れ、十九時を過ぎたぐらいではまだ観光を切り上げる気はないようだ。カレル橋の左右に置かれた救世主や聖母、幾人もの聖人たちの像の前に旅行者たちはたむろし、思い思いに触れたり写真を撮ったりしている。川の上には今日も観光ボート。今夜このあと人の道に外れた仕事をする私を、磔刑のキリストはどのような思いで十字架から見下ろしているだろうか。


 橋を渡ってすぐ、左手にクレメンティヌムの広大な敷地がある。修道院として建てられ、王室保護のもとおおきく寺域を拡げたクレメンティヌムには、現在は国立図書館が置かれてあって、ストラホフ修道院の図書室とはまた異なる美しさを誇っている。

 このクレメンティヌムを横に見ながら進む道が「王の道」だ。王が通るにしてはややこじんまりして、しかも真っ直ぐな一本道ではなくところどころで道を折れながら進まねばならない。左右の建物は中世風であったりメルヘンに迷い込んだかと見紛う愛らしい建物であったり。やがて見えてきた旧市庁舎の前に人だかりができていると思ったら、ちょうど天文時計オルロイの時報の直前だった。

 見上げると同時にからくり時計が動き出した。骸骨が砂時計を引っ繰り返し、時の鐘を鳴らして、生が有限であり砂が落ちるように毎日残り日数を減らしていっているのだと人々に思い出させる。


 私も思い出す――今夜の標的ターゲットに与えられた生の残り時間も、もう僅かなのだと。そして私を含めて誰もが、目には見えなくとも確実に毎秒毎分、生の旅の終着点へ近づいていっている。

 私の思いを他所よそにギャラリーは大喜びだ。からくりが動き出すと同時にあちこちで歓声が上がり、最後の鐘が鳴りわると拍手が通りを埋め尽くした。大喝采の中、私は独り今夜の仕事を想った。



 旧市民広場を抜け狭い道を火薬塔まで辿り着けば、「王の道」は其処で終わる。逆に辿ったから終点と表現したが本来は此方こちらがスタート地点だ。

 黒々と聳える火薬塔はまるで「王の道」の老いたる門番のようだ。実際塔の下部は大きくあぎとを開いて、車も次々その口を潜り「王の道」に入っていく。音を立てて後ろから追ってきた馬車が私たちを抜かしていった。馬車に乗っている夫婦は観光客とおぼしい。カフカが通学したのもこの道で、車と馬車とに追い抜かされることもあったろう。

 んな取り留めもないことをふと考えてしまうのはきっと、この街では千年分の歴史の残り香が渾然一体となって漂っているからだ。


 塔に登り頂上から周りを見まわすと、あらためてこの街が数多の塔や伽藍を蔵していることに気づかされる。オレンジの屋根がつらなる先にティン教会の塔が見える。はるか川向うには今日行った、プラハ城の塔が聳える。直ぐ右隣に建つのはアールヌーボー様式の市民会館。此処には音楽ホールが在って毎夜コンサートが開かれているらしい。



  * * *



 車で郊外へ向かううち、漸く空の闇が濃くなってきた。私の仕事は光の届かない時、人知れず片づけてしまうのがいい。いずれ神々の目から匿しおおせるなぞとは思わないにしろ。

 アルコールはうに抜けた。改めて私は標的ターゲットの名とかおと、葬られなければならない理由を頭の中でなぞっていく。


 やがて車はコンクリートの長い壁の横について止まった。空に月は見えず、代わりに星が幾つも瞬いている。

「此処で待っていればいんですね」とダヌシュカさんが訊く。

 私は首肯うなづき、リクライニングを下げて、間もなく睡りに落ちた。


 目覚めたのは独房の硬いベッドの上だ。私は両手で自らの身体をあらためる――自らのものでない身体を。その長大なからだはどうやら、憶えていた標的の身体的特徴と一致するようだ。私はため息を吐き、ベッドの上に半身を起こした。仕事に取りかかるために。



 私には特殊能力がある。それは他人に憑依する力だ。

 但し、条件が三つ。


 1.憑依する相手は、半径一キロメートル程度の範囲内にいる人間に限る。

 2.憑依する相手は、人を殺したことのある人間に限る。

 3.憑依する相手の、顔と名前を知っている必要がある。


 あと、忘れてはいけないのが憑依を解くための条件だ。憑依した相手の肉体が死を迎えた時初めて、憑依は終わる。則ち、憑依した標的の躯を操りこれを死に至らめて初めて、私は自らの躯に戻れるのだ。一度始めた仕事は必ずやり遂げなければならない――よく云われるその警句は、私にとってはまさに生死に関わる重大事だ。



 今回は標的の長身を利用することにする。

 ベッドに立って腕を伸ばし、独房の天井に配置された極く粗末な電燈を外して、電線を露出させた。狙うは感電死。但し、感電したところでこの程度では命に関わることはまずない。そこで必要なのが水だ。洗面とトイレのために置いてあるバケツの水に両手を浸し、さらに腕から首、頭にも水をかけていく。やがて手は水をたっぷり吸ってふやけ、全身も水浸しになった。まるで水死体ウトペネツだ。


 再びベッドの上に立ち電線の両端を握ると、言葉通り全身に電気が走り、鋭い痛みと痙攣に襲われる。電線を握りしめた両掌はもはや意思とは係わりなく開くことができず、電流はさらに強くなって、私は意識をうしなった。



 ――再び意識を取り戻したのは車のシートの上だ。ゆっくりと手を動かし、それが紛れもなく自身の躯であると確認する。どうやら今回も仕事は成功したらしい。


「済みましたか?」

 感情を窺わせない声でダヌシュカさんが訊く。私は水死体の冥福を祈り、ダヌシュカさんに合図して帰路に就いた。私自身は泥人形ゴーレムのように体が重い。


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