第25話 三日目① ~旧ユダヤ人街~


 仕事の翌朝、目覚めは最悪だ。到底とても観光で浮かれる気分ではないが、そうかと云ってホテルに籠っていれば罪が償えると云うわけでもない。今日は旧ユダヤ人街の痕跡を訪ねようと決めていた。それはカフカの足跡とも重なる旅だ。


 今朝も街へ出てカフェで朝食にする。但し、注文オーダーするのはスイーツだ。罪深い我が身に罰を与えるための。やがて運ばれてきたのはメドヴニーク。蜂蜜入りの生地とキャラメルクリームを何層にも重ねたチェコ定番のケーキだ。世界一のビール党大国でありながら、チェコは甘党天国でもあるらしい。罪にまみれきった私は今、その洗礼を受けるに最も相応しい。

 フォークで切ると、生地はスポンジと云うよりクッキーと云いたくなる手応え。割れた生地の間から濃厚なキャラメルクリームがはみ出て、甘い香りが鼻を抜けていく。細かく砕かれた胡桃クルミが周りにまぶされてあるのが、束の間私をっとさせてくれた。



 以前さきにも触れた通り、旧市街とは即ち曾てのユダヤ人居住区と言い換え得るほど、此処にはユダヤ人の痕跡が多くのこる。中世以来プラハには、多数のユダヤ人が迫害を受けつつも住みついていた。キリスト教徒は彼らの財力と金融活動を白眼視すると同時に必要としていたし、さらに進めて王侯貴族たちにとって云えばそれは、魅力的でもあったのだ。

 今は此処に住むユダヤ人は激減し、ユダヤ人街は消滅した。第二次大戦に先駆けナチスドイツがチェコを併合したことが、彼らの運命を暗転させたのだ。ナチス禍が去って後、社会主義国として再生したチェコスロヴァキアもユダヤ人たちの安住の地とはならなかった。


 シナゴーグを始めとするユダヤ所縁ゆかりの施設が特に集中しているのは、観光客でいつも殷賑にぎわう旧市民広場周辺からすこし北側の一帯だ。高級ブランドのブティックがならぶ通りを過ぎると、スペインシナゴーグが見えてきた。

 このシナゴーグでは現在、プラハに於けるユダヤの文化財が遺るだけでなくナチスドイツによって連行されたユダヤ人たちの遺物も展示され、彼らの物語を垣間見ることが出来る。


 昨日までカトリックの教会を多数巡ったあとでシナゴーグに入ると、その違いに感銘を受けずにはいられない。偶像崇拝を禁じるというおしえはキリスト教も継承しているとは云え、カトリックの教会ではイエスや聖母マリアをはじめ殉教者、聖人、教皇などの絵や彫刻で荘厳しょうごんされているのに対し、ユダヤのシナゴーグでは偶像崇拝禁止は固く守られ、堂内に一切の具象芸術は見当たらない。代わりに壁やドームを彩るのは青、赤、金などのきらびやかな幾何学文様だ。この点、イスラム寺院にも通じるものがある。中央の祭壇に勿論偶像らしきものはなく、抽象的な図と文字を縫い取った布と、扉があるのみだ。


 我々の目に慣れた絵画・彫刻はないとは云え、幾何学文様に彩られた壁や天井、そして建築物の美しさには溜め息が零れる。美を希求する人の欲望までは、神も禁ずることは出来ないらしい。その美しい内装は、確かにこの街には嘗て豊かなユダヤ人たちがいたのだと教えてくれる。


 つづいてすこし離れた旧ユダヤ人墓地へと向かった。狭い敷地に、空から落ちてきた墓石が各自てんでに地に突き刺さったかのように無数の墓石が乱立している。サイズは大小様々だ。よほどふるいのか、文字が摩滅し読めないものも多い。

 今となっては恐らく弔問する縁者もいなくなった墓地では、空いた地にささやかに咲く紫の野花が献花となり、観光客たちのあしおとが泉下の魂の孤独を慰めている。


 墓地のそばにある「旧新シナゴーグ」は、現在はユダヤ博物館となっている。スペインシナゴーグよりよほど古いためか、内装はより質素で、それだけにより厳粛な空気に触れる心地がする。無論偶像崇拝を思わせるものは微塵もない。


 プラハの街にはほかにも幾つかシナゴーグがのこされている。両大戦と、ナチスの支配と共産党支配を経てもこれらが破壊されずに残ったのは奇跡と云うべきかもしれない。一つには、戦闘を経ずしてナチスがチェコを併合したためであり、いま一つは恐らく、ナチスにしろ共産党にしろ美しい街並みを眼前にして、敢えてその美の精華を火中に投じ得なかったためなのだろう。(但しナチスは、敗戦直前に腹癒せの如くにプラハの街に火を放った)


 災禍に遭うたびプラハ市民は街を再建してきた。その際近代的な建造物で上書きするよりも旧い建造物を修復することを優先したのはそれがプラハ市民の、そして人類すべての遺産レガシーであることを認識し誇りともしていたからだろう。

 そうしてつながれた文化財の保存のバトンは、今我々に託されている。「世界遺産」登録は多分にビジネスの香りがするとは云え、総じて有益と云ってよいと思う。

 仮令たとえ現在の、或いは未来の思想にてらして相容れない価値観の所産であったとしても、嘗て人類がとした文化の遺物を護り伝えることは屹度我々の次代への責任であるのだ。



 ユダヤ人居住区の周辺には、カフカも友人たちと過ごしたであろうカフェや居酒屋ホスポダが多い。東方ユダヤ人の間で話されていたイディッシュ語の劇団と交流があったのもこの辺りだろう。彼の勤めていた労働災害保険事務所があった地もほど近い。近辺をぐるっと歩いてた「王の道」へと逢着ゆきついた。そこで目に入ったのがトルデルネーキだ。

 プラハ名物トルデルネーキはバウムクーヘンやケバブのようにパン生地をくるくる回しながら焼いていく菓子で、観光コース上にかぞえ切れないほどの店が存在する。


 できあがりはコルネのようで、そのままプレーンで食してもいのだがそれでは罰として如何いかにも軽い。チョコレートと生クリームを乗せ、さらにイチゴを山盛り盛って貰ってこそ罰となろう。受け取ると、ずっしり重い。たっぷりホイップされたクリームは油断すると崩れ落ちそうだ。落ちないうちにと頬張れば、舌から喉まで蕩かすほどの甘さが脳天を突き抜ける。

 甘さもそうだが、量としても優に一食分に足る破壊力だ。今日は昼食は不要だろう。


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