第22話 初日② ~市民広場・料理の名~


 途中で川岸から道へ戻り、旧市民広場へ向かう。其処ではプラハを観光するなら誰もが訪れる必見のパフォーマンスが一時間おきに演じられている。演者は旧市庁舎の正面に掲げられた天文時計。六百年もの歴史を誇る上下二段のからくり時計が今も現役で時報を鳴らし、そのたび仕込まれた人形が動くのだ。


 だが私は多くの観光客で溢れかえる天文時計はスルーし、その反対側のキンスキー宮へと真っ直ぐ向かった。宮殿と云う名から受ける想像に反して、建物は重厚ではあるが豪奢ではない。芸術的価値がないとは云わないが観光客を惹きつける力は弱そうだ。

 此処には嘗てドイツ語系のギムナジウムが入っていた。少年時のカフカが通っていたギムナジウムだ。また後年カフカが長じた後のことではあるが、彼の父親の経営するカフカ商会がその一角に事務所を構えたこともある。


 今はギムナジウムはなく、無論カフカ商会も此の世から消滅している。その事情にあたかも二十世紀のチェコ、いては欧州の激動の一端を垣間見る思いがする。

 カフカの両親はユダヤ人だった。長らくプラハに根を下ろし事業を営みながら彼らは完全なチェコ人には成りきらず、周囲のチェコ人にとっても彼らは隣人ではあっても同胞ではなかった。そして中世以来第二次大戦の直前まで、カフカの一族のようなユダヤ人がプラハには数万人もいたのである。


 第一次大戦以前のチェコはオーストリア・ハンガリー二重帝国に属し、被支配者層であるチェコ人はチェコ語を話す一方、支配者層・エリート層はドイツ語を話した。であれば、少年カフカが何故ドイツ語のギムナジウムに通っていたのか容易に理解できよう。カフカ商会の跡継ぎとなるべき我が子フランツに支配者側の言語での教育を施すのは、父ヘルマン・カフカにとって当然の選択だったのだ。カフカの周囲には同様の事情の仲間たちが多数いた。その出自の影響はカフカの人生と文学とに色濃い。


 現在の店子たなこは数軒のレストランで、初夏の陽気の下の店も賑わっている。往時を思い泛べながら通路を通り抜けた。中庭を抜けるとその先は別の通りへとつながっている。これはプラハのふるい建物によくある構造で、住民ならずとも自由に建物の中を通り抜け、一つ向こうの路地へとうつっていく。まるで迷宮のようだ。

 そんな建物を通り抜けて散歩するのが、カフカも好きだった。


 キンスキー宮とティン教会の間の狭い小道から旧市民広場へ戻る。ゴシックの、槍の穂のように高く天を衝く二つの黒い尖塔が鮮烈な印象のティン教会も広場を彩るモニュメントだ。嘗てフス派の本拠地であったがその後カトリックに改宗した。

 そのフスの像が、キンスキー宮の前に鎮座している。早過ぎた宗教改革者、ヤン・フスを記念する像だ。彼はローマ教会の腐敗を批判し、聖書に基づく信仰に戻るべしと唱えた。彼のおしえはボヘミアの人々の心を捉えたが、その動きを危険視したローマ教会による一方的な審問で異端とされ、弁明の機会を与えられることなく火刑に処せられた。一四一五年、ルターによる宗教改革より百年前のことである。


 彼の火刑の後フス戦争が始まり十数年にわたりボヘミアの地に惨禍をもたらすのだが、実はフス自身はローマ教会を否定したのではなく、その浄化を目指したものらしい。一人の穏健な提言者を圧殺することにより却って過激な反抗者を無数に産んでしまうとは嗤うべき皮肉だ。だが同様の愚行はあまねく世界で見られ、つまりはこれは、人たる者に共通の呪いなのだろう。



 フス像を右に見ながら天文時計の前を横切り、観光客と彼ら目当ての店で賑わう通りをカレル橋へ向け歩いた。この通りは「王の道」と呼ばれている。戴冠するとき王がこの道を通ってカレル橋を渡り、プラハ城へ入城していたのが名の由来らしい。

 おそらくボヘミア王として最も高名なのはカレル一世だろう。即ち神聖ローマ帝国皇帝カール四世である。彼の治世下で建設の始まったのがカレル橋だ。完成は十五世紀初め、その後四百年ものあいだ旧市街からプラハ城側へと渡る唯一の橋だった。橋の欄干には三十体もの彫刻が並んで人々の目を愉しませる。プラハに来て訪れない者はいないであろう、天文時計と双璧を為す名所である。


 橋の両端には塔が立ち、橋へ出るため人々はその下を潜る。午後の橋は混雑も一入ひとしおだ。その人波に私もいて塔の下を潜った。石畳の橋の上は城へ向かう人たちと旧市街へ向かう人たちとでごった返している。アクセサリーを売る人、肖像画を描く人、中国人団体客を先導するツアーガイド。橋の半ばまで来て振り返れば、塔の威容の先に青い空がひろがっている。



  * * *



 夕食前に再びダヌシュカさんと合流し、新市街側の居酒屋ホスポダに入った。

 席に着きメニューを開くと、書かれてあるビールはスタロプラメン一択。これもチェコを代表するビールの一つでプラハ南方の産だ。流石ビール好きの国だけあってチェコには世界に誇れる良質のビールが幾つもあるが、一つのレストランでそれらを飲み較べることは、基本的にはできない。一つの店には一つのブランド、というのが此の国の流儀らしい。(尤も、日本にも同様の商慣習は見られるから、さして珍しい流儀ではないのかも知れない)。


 午餐ひるのウルケルに比べるとスタロプラメンは味が濃い印象だ。料理もそれに負けない、力強い味がいいだろう。

 そこで択んだのはグラーシュだ。チェコの名物ビーフシチューで、パプリカを溶けるまで煮込んでいるのが特徴的。皿の中央にはやはり念入りに煮込まれとろとろになったフィレ肉が存在感を発揮している。ナイフを入れると手応えの柔らかさは、切れると云うより崩れると云った方が近い。口の中でも柔らかくほどけていった。当然と云う顔でクネドリーキ(チェコの白パン)が付いてくるがこの店のものは香草が練り込まれており、少し緑色がかっている。口に入れると香草がつんと鼻に抜けていい刺激だ。

 付け合わせにウトペネツも注文する。ソーセージと野菜の酢漬けのことで、名前の意味は「水死体」。不吉な名だが、瓶の中に漬けられた姿を見れば、そうなづけたくなる気持ちも理解わからないではない。


 それにしても、チェコ料理は名前を聞いても料理の姿や味を想像できないことが多い。

 錚々たる欧州料理の中で競争を勝ち抜き名を馳せる道が険しい処へ持ってきて、表す言語がスラヴ語系で、ラテン語・ゲルマン語とは親和性が低いと云う事情が拍車をかける。てて加えて、ウトペネツに代表されるようなネーミングセンスだ(一部の人には強烈に印象づけられるだろうが)。


 ちなみにこのソーセージ、如何どんな味かと思われるだろうが食べてみると普通に美味い。酢が主張し過ぎるでもなく、ほどよい酸味。皮が分厚く、ナイフが通りにくいのもとんがり具合が小気味いい。おおらかな品質管理なのか、頑丈な皮が好まれるのか、これが生まれた背景迄は分からない。


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