第16話 四日目② ~シュラスコ・カーニバル~


 帰り道を歩いていると教会が其処此処で目につく。大抵はカトリック系の教会だが、注意して見ていると東方正教会の教会が混じっている。或いはまた、飾り気のないプロテスタント系の教会も。

 こう云う処にも移民の街の片鱗が見てとれる。教会ひとつとってもカトリック一色でないのは様々な地域から種々の民族が集まってきた証だ。

 キリスト教ばかりでなくイスラム教や日本からも仏教の僧侶が来ているほか、日本では新興宗教と呼ばれる各派も一定の信者を得ているらしい。


 教会の前で施しを受ける人々を見かけるのもお馴染みの様子だ。人の集まる場には必ず貧しい人々、身体に障碍を持つ人々、路上で暮らす人々などがいて、前を通る善男善女からの施しを待っている。


 それとはまた別のグループとして、交差点の信号で止まった車の前で藝を披露する大道藝人も多い。

 見事な藝で楽しませてくれる者も在れば、まだまだ拙い者も在る。サッカーボール、それよりやや小ぶりのボール、刀剣、その他諸々を宙に投げてジャグリングしたり傘の上で回転させたり、わざと失敗してみせて笑わせたり。

 信号が変わる直前に藝を切り上げ、車列を廻る。ドライバーが気に入ればお金をれる仕組みだ。


 或いは、ガムやスナックの類を売って廻る者。赤信号で止まった車のサイドミラーにお菓子を引っ掛けておくと、気に入ったドライバーはそれを車中に取り込み、後で戻ってきた売人にお金を渡す。気に入らなければ放って置けばよい。やはり戻ってきた売人がお菓子を回収していく。


 たいして欲しくもないお菓子を売りつける訳だが、悪くはない仕組みだと、クリスティナさんは云った。

 一歩の違いで物乞いの悲哀を免れているのだ、と。売る側には労働意識が芽生え、買う側は押しつけがましさなしにお金を渡せ、製菓屋は黙っていれば発生しなかったであろう消費が世に発生し、三者がそれぞれ益を得る。

 同じことは歩行者を相手にも行われている。こちらは総じて子連れか、障碍を持つ者や老人等々、車道に出るには体力が心許ない者たちだ。



 夜、夕食のため再び外に出たところでまさにそんな子連れの路上販売者に行きった。推定母子の三人連れだ。

 年齢不詳のご婦人は、路上で胸を出して赤児に乳をふくませていた。赤児とは云ったものの、その実もううに乳離れをしてもい年頃と見受ける。だが演出としては効果的だろう。その隣にはもう少し育った男児が立っている。彼に二ヘアイス札を渡して小さな飴を受け取った。

 彼らが本当の家族なのか、商売の演出の為にその辺から借りて来た子供たちなのかは判らないし、知る必要もない。



  * * *



「シュハスコは行っといた方がいいですよね」

 日本でも有名なシュラスコは、実は現地ではシュハスコと発音する。今日は一日オフの筈だったが、クリスティナさんは気を利かせて私を夕食に誘ってくれたのだ。勿論私にいなやはない。


 午后七時の店内に客の姿は疎らだった。

 串に刺さった種々いろいろな肉をサーヴする店員たちが卓子テーブルの間を縫って廻る。大人しく肉を待つ私を後目しりめに、クリスティナさんは席を立って中央のカウンターへ向かった。其処にはサラダやハム、チーズ、デザートに寿司までが絢爛とならべられている。変わり種はパルミット。椰子の新芽だ。見た目や食感は筍を少し柔らかくしたもの、と云えば近いだろう。

 皿一杯に、誇らしげに山と積んで帰ってきたクリスティナさんは、

「私は肉よりこっちがいんです」と言った。


 ビールは南極アンタルチカブランド、はオリジナウ。癖のない味は日本人に合いそうだ。グラスに注いだ途端に凍るほど、極限まで冷やされている。ブラジルのビールは冷たさに懸けては世界一かもしれない。

 キンと冷たいビールを一口飲んだところで、私も戦闘開始だ。


 ずはフィレ・ミニオン。次いで、アウカトラ。

 いずれもサーロインに相当するらしいが、日本よりは脂が少ない。それでも十分柔らかくてジューシーだ。味付けはシンプルに、塩。肉の周りに岩塩の粒が光っている。

 少し趣向を変えて、コステラ。豚のアバラだ。骨からこそぎ取って、こちらはお好みで甘めのソースをかけてくれる。


 だがなんと云ってもシュラスコの花形はピッカーニャ。これぞ肉。レアの部位を指して削ぎ落してもらう。血の滴る赤身の周囲ぐるりにはたっぷり脂。凝縮された真っ赤な身は霜降りとはまた違う肉の旨味だ。ランプの辺りに相当するらしいが、赤身に白い脂を纏った見た目は日本のそれよりもっと肉々しい。


 入れ替わり立ち替わり、次々と串を持った店員がやってくる。羊肉、手羽先、心臓ハツ、ソーセージ、チーズ入りの肉に大蒜ニンニクをたっぷり載せた肉。

 肉だけではない。パスタに、リゾットに、ポテトに、焼きチーズ。うっかりすると、もう腹に入り切らないほどの量が皿の上に積み上がる。もう無理と思ったところでやってきた大蒜ニンニクバターパンを取ってしまった。困ったことにこれがまた旨い。


 歩合制なのだろうかと思うほどに、彼らは熱心に自分の持つ肉や料理を勧めてくる。あっと云う間に満腹だ。サイドメニューを取らないでよかったと思う。



 すぐ横を、幾種類ものデザートをたっぷり載せたカートが通った。クリスティナさんが「いかが?」と勧める。

 今日は罰を受けなくてもよいかと思っていたのだが、う出られては逃げる訳にも行くまい。

 覚悟を決めて、並べられた皿を見た。いずれ劣らず凶悪な甘さを予感させる風貌――苺とピーナッツのタルト、パパイヤクリーム、バナナのケーキ、そして様々なチョコレートケーキとならんでいる。

 私が択んだのはマラクージャ(パッションフルーツ)のムースだ。橙色のムースの上に、黒い種が点々とちりばめられている。


 ティラミスを取り上げたクリスティナさんは、ついでにカクテルを頼んだ。愛想よくやって来た男がれにする? と示した容器のなかには、イチゴとキーウィとパインにライム。カクテルのなかに入れるらしい。此れから択べと云われれば私にはライムしかない。


 すると男はにやっと兄哥あにきな笑顔で、グラスに氷とライムと砂糖をたっぷり入れ、金属の棒で荒っぽく潰した。そこへブラジル名産の蒸留酒カシャーサを盈々なみなみ注いで、からのグラスで蓋をする。

 二つ重ねたグラスをごつい腕で豪快に振り、カクテルは完成した。

 その名をカイピリーニャ。

 ライムが爽やかで一杯さらっと飲んでしまう。だが飲み口が良いとは云え、明らかにアルコール度数が高いと窺える味。人を酔い潰れさせるための危険な酒だ。



 帰り道では今日も若者たちがバーから溢れて、路上まで熱気で沸き立っていた。

 一杯のドリンクさえあれば彼らは、何時いつまでも友人や恋人と楽しく語らい続けられるのだろう。


 店の奥からサンバが聞こえてきたと思ったら、若者たちはうずうずと体を動かし始めた。少しひらけた処では男女数人が踊りだしている。謝肉祭カーニバル迄はまだ遠いが、ブラジル人ならサンバを聴いて踊らないと云う法はない。彼らの血が肉が、いやでもう仕向けるのだ。


 リオデジャネイロが最も有名なダンスパレードの熱狂ぶりは、世界最大の祭りと称するに相応しい。最早ダンサーと云うよりパフォーマーと呼ぶべき踊り子たちの多くは黒や褐色の肌をしている。この際サンバの出自が黒人奴隷の音楽にあることは注意しておいてよいだろう。あの熱狂の裏にはかつて抑圧されていた黒人たちの、ハレの日の歓喜の爆発があるのだ。


 そのことに想いを馳せると同時に――今、はだの色に関わりなくブラジル人たちに共有されているダンス好きは、人種間の相克を(完全ではないにしろ)彼らが乗り越えた象徴であるかに思える。

 それはひとりブラジルのみならず、人類全てを照らす希望だ。


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