第17話 五日目① ~ステーキとコーヒー~
厭な夢で目が覚めた。
空調の効いた部屋だと云うのに寝汗が酷い。その原因を探ろうとすると夢の
ふと自問することがある。口先では殺し屋の仕事は不本意であるかのような言辞を吐き
だがこれを獣性と云っては恐らく獣に失礼だろう。
獣が生きるために持つ本能的な冷酷を獣性と呼ぶならば人間は
ときに人間性は、残酷な爪と牙とを成長させるのだ。そして私も、その桎梏から免れてはいない。
雲散霧消してしまった夢は、それでも自身からの告発のように思えた。今夜は仕事だ。
* * *
元気を出さねば仕事に差し支えかねない。となれば、食すべきは肉だろう。
ならばビールもアルゼンチンのものであるべきだ。「パタゴニア」の
肉の
勝手にガーリックトーストがついてきて、マヨネーゼと一緒に口に入れているうちステーキが来た。熱した鉄板を木枠に
アサド・デ・チラは脂たっぷり、骨の周りについた肉が特に美味しい。
ビフェ・アンチョは日本ではそうは見れない肉厚サイズだ。刃を入れると真っ赤な肉汁が溢れ落ちた。味付けはシンプルに、塩と胡椒。肉は驚くほど柔らかいのだが同時に弾力があって、奥歯でぐりぐりと筋を切り噛み潰していかなければならない。噛めば噛むほど肉本来の味が口腔に沁み渡る。これぞステーキだ。
パタゴニア・アンバーラガーはやわらかな口当たりだが濃厚。
二杯目は「キルメス」にする。いずれもアルゼンチンの定番ビールだ。こちらは軽くて飲み易い。
仕事もあるし、
しかもそこで終わらなかった。クリスティナさんが澄ました顔でデザートメニューを頼んだのだ。私の嗜好を知ってか知らずか、彼女には追い詰められてばかりだ。観念してフォンダンショコラとカフェジーニョを頼んだ。カフェジーニョとは小さなカップに入ったコーヒーのこと。ブラジルで「〇〇ーニョ」とくれば、「
エスプレッソで色も味も濃い。砂糖を溶かして飲むのが普通だが、ここは無糖で許してもらいたい。
何しろフォンダンショコラに大きなバニラアイスが二つもついてきたのだ。トッピングにも程がある。
ブラジルは、云わずと知れた珈琲の一大産地だ。
パラナ州にも多くの珈琲農園があるらしいが、実はこの辺りが生産の南限なのだそうだ。戦前戦後に
人の事情に頓着しない自然は時に、人間の長年の営為を一瞬で無に帰させて平気な顔をする。数十年前に一帯を襲った霜害では多くの農家が大打撃を受けたと聞いた。その頃この地に、
遠い海の向こうで灰色の戦争があった間に日系移民は財産を没収され、収容所に送られもした。それでも歯を喰いしばって親から子へ、更に孫へと世代を継いで日系人社会は今やこの国に一定の地歩を築いている。彼らの苦難の歴史を物語るかのような珈琲をありがたく頂戴した。味わいは深く、苦い。
余りに大きな台地であるためについ忘れがちだが、この都市は標高千メートルの台地の上に立っている。
緯度で云えば台湾と同じような位置にあるのに霜害に苦しめられたのはその
一日の中に四季がある、とクリスティナさんは笑った。
朝は肌寒かったのが昼は額に汗が浮かび、夕方になるにつれ次第に暑熱は去って、総じて夕べは過ごしやすい。
陽の
頭上から流れてくるのは、ボサノバの甘い
* * *
仕事の前には必ず依頼理由を問うことにしている。
勿論私は裁く者ではない。だが、ただ殺せと命じられて殺すのだとしてもその裁きに同意したうえで実行したいのだ。私の行為は法にも人倫にも
今回の仕事の依頼者は
突然の凶報に当初両親は何を考えることもできなかった。少しずつ娘のいない現実に目覚めるにつれ犯人を憎む気持が募っていったが、それでも両親は法が彼を裁くのを待った。父親は法曹界に身を置く男なのだと、クリスティナさんは云った。
二度の控訴を経て最高裁まで争った裁判は十二年に
結果は終身刑である。死刑の存在しないこの国で、最も厳しい刑ではあった。
故に両親はそれに満足しなければならなかった。娘を殺した男は二度と社会に出ることはないだろう。
母親はその後十年を泣いて暮らしたそうだ。事ある毎に娘を思い出しては涙を流し、娘の前に開けていたはずの未来を
依頼者である父親が、本気で殺意を抱いたのはこのときだ。妻は犯人の死を見ることなく死んだ。自分もあと何年生きられるか分からない。娘を殺した男の死を見届けずに死んでは、妻にも娘にも顔向け出来ぬ。
つい今しがた食べ終えたステーキの脂がまだ食道を塞いでいる心地がする。其処へアイスクリームを無理やり押し込んだ。喉から胃まで痙攣しそうなのを我慢して最後の
この父親には、被害者も遺族も皆死に絶えた後に加害者だけが
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