第8話 四日目① ~サフランボルと犠牲の羊~


 助手席で目を覚ました時、隣のアイテンさんは半ば眠りの中にいた。

 うに日付は越して遠からず陽が昇ろうとしているのであればそれも道理だろう。彼女をそっとしておいて私は外へ目を遣った。まだ濃紺の天には大小無数の星がちりばめられている。金羊毛を得て黒海を旅したイアーソンもこの星空を見たのだろうか。呪われた王女メデイアと共に。


 やがて山のが紫に色づき、辺りが明るんでくるとアイテンさんの微睡みも終わりを迎えて、彼女は車のエンジンを始動させた。

 半時間ほどでホテルに戻り、今日も運転の仕事があるアイテンさんは本当の睡眠をとるため部屋に籠った。一方、私は眠ることができずに食堂へ下りていった。


 食堂へは来たものの食欲は感じず、並べられた皿にも食指が動かなかった。パンを一片ひとかけとスープだけ取る。スープは赤レンズ豆を使ったスープ。トマト味の中にやたらミントが効いている。歯磨き後のような風味が後に残った。


 食堂で独りチャイを飲みながら、今回の旅に想いを馳せた。

 仕事二件は無事完了、今夜トルコを発つ。濃い四日間だった。

 今日は午前中ゆっくり休息をとらせてもらい、その後アンカラへ。夜、アンカラの空港を発つ予定だ。


 すぐに二杯目のチャイが欲しくなった。チャイはセルフサービス。大型の二連ケトルにチャイが沸かされている。

 下段には濃いめに淹れたチャイ、上段には湯。小ぶりのグラスの途中までチャイを注いだ後、上から湯を足し味を調整する仕組みだ。

 火傷しそうなほどの熱々を、しばらくテーブルに置いて待つ。


 テーブルの籠には、角砂糖二つを紙でくるんだ包みが盛られている。実際、周囲を見ていると角砂糖を二つぐらい入れるのが普通らしい。ところがトルコ人は、日に何杯飲むのだろうかと思うほどに始終チャイを飲んでいる。その都度角砂糖二つとなると、さぞ血糖値も高かろうと他人事ながら心配してしまう。


 私は砂糖なしで、少し濃いめに湯とブレンドした。酸味と渋味が口腔を心地よく刺激し、茶葉の香りが鼻へ通る。


 アイテンさんが起きてくるまでは、まだ間がありそうだ。

 昨日につづいてサフランボルの街の散策へ出ることにした。



 サフランボルの歴史的街区では、ところどころで古い民家が観光客に開放されている。なかに入ると、人形で当時の生活が再現されていた。

 絨毯を敷いた床の上に直に座って、楽器を奏でながら談笑する男たち。

 別の部屋ではかまどで料理する女性たち。出来上がった御馳走の皿は、からくり扉のようになったスペースを間に介して、広間の男性たちの許へと届けられる。食事を提供する際、家の女性の姿が男性客たちの目に触れることはなかった。


 イスラムの教えの中で女性が何かと窮屈な思いをしていただろうことは想像に難くないが、一方でトルコの女性たちはしたたかに、男の目の届かぬ女の園で誰憚ることなく華やかな生活を満喫してもいたらしい。

 男が如何に女を縛ろうとしたところで、女は表は従順な振りをしながら裏ではいましめを解いて生を謳歌する。男は気づかず、騙されたまま満足して一生を過ごしたのだろう。

 この世はうまく出来ている。


 古民家を出ると、少し先には木の工藝品を売る小店。並べられていたのはトルコの独楽こま、トパチ。紐と独楽がつながっていて、音を鳴らしながら空中で長く回り続ける。試してみると、私でもそれなりに回せた。幼い甥へのお土産に丁度好い。カラフルな独楽が幾つも並ぶ中から、紫と青の二種をって購入する。


 その隣り、少し上等そうな店では、オヤが飾られていた。オヤは、レースの縁飾りだ。店の端に座ったお婆さんが目の前で一つ一つ手縫いしている。店番をするのはその娘さんだろうか、笑顔で客と商談する姿には、何処か貫禄を感じる。

 彩り鮮やかな花を幾つもあしらったオヤのネックレスを手に取った。娘さんが顔を上げ、笑顔を見せる。誰にと云う当てもなく、少し値切った後に三本購入して、店を出た。


 店を出た先には、朝の陽がやさしく射す小路で立ちばなしするお内儀かみさんたち。

 その足下では幼子おさなごふたりが木の玩具で遊ぶ。

 古民家の展示から未だ脱け出せていないのでは……と錯覚させる人びとの営みがそこにある。



  * * *



 ホテルに戻ると、アイテンさんは出発の準備を整え、ロビーでチャイを飲んでいた。

 私も慌てて荷物をまとめ、車に乗り込む。アンカラまで、再び二百キロの旅。


 往路では気づかなかったが、道路脇には処々にパラソルやテントが立って、果物を積み上げている。それらの背後には、赤土の畑。路傍に茂る高い草、ぽんぽんと球形になって咲くあざみの青い花。


 数十玉もが小山になったメロンが目を惹くテントの横に、車を停めてもらった。

 黄色いボールのようなメロンに、黒に近い濃緑の西瓜、宝石のように透き通ったエメラルド色の葡萄。

 味見を、と差し出された葡萄を一粒齧ると果汁が口に広がり、瑞々しい香りが鼻に通る。


 今夜にはアンカラを発つと云うのに、買ってしまった。メロン二玉に葡萄を一キロ。さあ一体、何時いつ何処で食して呉れようか。



 アンカラに近づいたのか、建物が次第に新しく、高層になってきた。そのうち一つは建設中で、剥き出しの煉瓦が無造作に積み上げられていっている。フォルムはひょろ長く、鉄筋は御座成りだ。

 トルコは地震国との印象があるが、あの建物が地震に耐えられるとは思えない。地震へのこの無防備加減を見る限り、アンカラ周辺は地層が安定しているのだろう。


 幹線道路が複数交差する橋を越えて複合商業施設が見えてくると、アイテンさんが車をその駐車場へと向けた。

 午はうに過ぎ、朝食の遅かった彼女はうでもないようだが、私の方は空腹を感じるようになって久しい。


 だが彼女が連れて行って呉れたのは、レストランではなくアイスクリーム店。『MADO』と看板を掲げるその店は、トルコ中でロゴを目にするチェーン店だ。

 本当のドンドゥルマを食べさせてあげる、とアイテンさんは云った。

 私のスイーツ嫌いを知ってか知らずか、彼女の見せる笑顔は満点だ。まあい。丁度私も仕事の後の罰を受けなければ、と思っていた処だ。


 サーレップという植物の粉を練り込んだトルコのアイス、ドンドゥルマは粘りが強いのが特徴だ。よく店頭でアイスを長く伸ばしたりさかさにしても落とさなかったりするパフォーマンスを見かけるが、この店ではパフォーマンスは割愛。

 その分美味しいのだ、とアイテンさんが云うからには屹度きっと美味しいのだろう。私にとっては罰でしかないスイーツではあるのだが。



 再び車に乗って、空港へ向かう。

 道路脇では羊の群れが道を渡るタイミングを窺っている。田舎道ではお馴染みの光景だが、首都に近いこんな幹線道路であやういこと、と思ってよく見ると、群れの傍らに立つ男が白い布を掲げていた。布には大きく、「犠牲の羊」と書かれている。

 つまり、この羊たちは犠牲に供されるべく道端で買い手を待っている訳だ。そう云えば犠牲祭の日も近い。


 残酷だとされて最近では減ってきてはいるらしいが、トルコでは事あるごとに、犠牲が供される。例えば結婚式。あるいは息子の割礼。畑を拓く、会社を設立する、家を建てろ、村のモスクの改築だ――その都度犠牲がささげられる。

 豪気に牛をほふることもあるが、普通は羊。


 一度その場に立ち会ったことがある。

 直前まで落ち着かなかった羊たちが、いざその時が来ると催眠術にでも懸かったかのように大人しくなって、唯々いいとしてくびを差し出した。導師イマームが朗々と謳いあげることばを背に、屠殺者は易々とその頸動脈をねた。


 彼らを悼んだ私はいい気なものだ。

 私こそが、正義の神だか復讐の女神だか知らないが、何者かに羊を献じる司祭を以て自ら任じているのだから。

 だがその罪は、果たして私や屠殺人だけが責を負うものなのか。いやしくも人としてこの世に生きる、総ての者は知らずに何処かで誰かを犠牲に屠っていはしないか。

 大地に犠牲の血を吸わせるのが人のごうであるならば、私はその最前線にいる。


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