第8話 四日目① ~サフランボルと犠牲の羊~
助手席で目を覚ました時、隣のアイテンさんは半ば眠りの中にいた。
やがて山の
半時間ほどでホテルに戻り、今日も運転の仕事があるアイテンさんは本当の睡眠をとるため部屋に籠った。一方、私は眠ることができずに食堂へ下りていった。
食堂へは来たものの食欲は感じず、並べられた皿にも食指が動かなかった。パンを
食堂で独りチャイを飲みながら、今回の旅に想いを馳せた。
仕事二件は無事完了、今夜トルコを発つ。濃い四日間だった。
今日は午前中ゆっくり休息をとらせてもらい、その後アンカラへ。夜、アンカラの空港を発つ予定だ。
すぐに二杯目のチャイが欲しくなった。チャイはセルフサービス。大型の二連ケトルにチャイが沸かされている。
下段には濃いめに淹れたチャイ、上段には湯。小ぶりのグラスの途中までチャイを注いだ後、上から湯を足し味を調整する仕組みだ。
火傷しそうなほどの熱々を、しばらくテーブルに置いて待つ。
テーブルの籠には、角砂糖二つを紙で
私は砂糖なしで、少し濃いめに湯とブレンドした。酸味と渋味が口腔を心地よく刺激し、茶葉の香りが鼻へ通る。
アイテンさんが起きてくるまでは、まだ間がありそうだ。
昨日につづいてサフランボルの街の散策へ出ることにした。
サフランボルの歴史的街区では、ところどころで古い民家が観光客に開放されている。
絨毯を敷いた床の上に直に座って、楽器を奏でながら談笑する男たち。
別の部屋では
イスラムの教えの中で女性が何かと窮屈な思いをしていただろうことは想像に難くないが、一方でトルコの女性たちはしたたかに、男の目の届かぬ女の園で誰憚ることなく華やかな生活を満喫してもいたらしい。
男が如何に女を縛ろうとしたところで、女は表は従順な振りをしながら裏では
この世は
古民家を出ると、少し先には木の工藝品を売る小店。並べられていたのはトルコの
その隣り、少し上等そうな店では、オヤが飾られていた。オヤは、レースの縁飾りだ。店の端に座ったお婆さんが目の前で一つ一つ手縫いしている。店番をするのはその娘さんだろうか、笑顔で客と商談する姿には、何処か貫禄を感じる。
彩り鮮やかな花を幾つもあしらったオヤのネックレスを手に取った。娘さんが顔を上げ、笑顔を見せる。誰にと云う当てもなく、少し値切った後に三本購入して、店を出た。
店を出た先には、朝の陽がやさしく射す小路で立ち
その足下では
古民家の展示から未だ脱け出せていないのでは……と錯覚させる人びとの営みがそこにある。
* * *
ホテルに戻ると、アイテンさんは出発の準備を整え、ロビーでチャイを飲んでいた。
私も慌てて荷物をまとめ、車に乗り込む。アンカラまで、再び二百キロの旅。
往路では気づかなかったが、道路脇には処々にパラソルやテントが立って、果物を積み上げている。それらの背後には、赤土の畑。路傍に茂る高い草、ぽんぽんと球形になって咲く
数十玉もが小山になったメロンが目を惹くテントの横に、車を停めてもらった。
黄色いボールのようなメロンに、黒に近い濃緑の西瓜、宝石のように透き通ったエメラルド色の葡萄。
味見を、と差し出された葡萄を一粒齧ると果汁が口に広がり、瑞々しい香りが鼻に通る。
今夜にはアンカラを発つと云うのに、買ってしまった。メロン二玉に葡萄を一キロ。さあ一体、
アンカラに近づいたのか、建物が次第に新しく、高層になってきた。そのうち一つは建設中で、剥き出しの煉瓦が無造作に積み上げられていっている。フォルムはひょろ長く、鉄筋は御座成りだ。
トルコは地震国との印象があるが、あの建物が地震に耐えられるとは思えない。地震へのこの無防備加減を見る限り、アンカラ周辺は地層が安定しているのだろう。
幹線道路が複数交差する橋を越えて複合商業施設が見えてくると、アイテンさんが車をその駐車場へと向けた。
午は
だが彼女が連れて行って呉れたのは、レストランではなくアイスクリーム店。『MADO』と看板を掲げるその店は、トルコ中でロゴを目にするチェーン店だ。
本当のドンドゥルマを食べさせてあげる、とアイテンさんは云った。
私のスイーツ嫌いを知ってか知らずか、彼女の見せる笑顔は満点だ。まあ
サーレップという植物の粉を練り込んだトルコのアイス、ドンドゥルマは粘りが強いのが特徴だ。よく店頭でアイスを長く伸ばしたり
その分美味しいのだ、とアイテンさんが云うからには
再び車に乗って、空港へ向かう。
道路脇では羊の群れが道を渡るタイミングを窺っている。田舎道ではお馴染みの光景だが、首都に近いこんな幹線道路で
つまり、この羊たちは犠牲に供されるべく道端で買い手を待っている訳だ。そう云えば犠牲祭の日も近い。
残酷だとされて最近では減ってきてはいるらしいが、トルコでは事ある
豪気に牛を
一度その場に立ち会ったことがある。
直前まで落ち着かなかった羊たちが、いざその時が来ると催眠術にでも懸かったかのように大人しくなって、
彼らを悼んだ私はいい気なものだ。
私こそが、正義の神だか復讐の女神だか知らないが、何者かに羊を献じる司祭を以て自ら任じているのだから。
だがその罪は、果たして私や屠殺人だけが責を負うものなのか。
大地に犠牲の血を吸わせるのが人の
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