第9話 四日目② ~希望~


 黙り込んだ私をよそに、ドンドゥルマで充電されたアイテンさんは機嫌よく車を進めている。

 もうすぐアンカラ、エセンボア空港に着く。無事私が飛行機に乗り込めば彼女の仕事ミッションも完了だ。空港には彼女の旦那さんが迎えに来ているらしい。

 旦那さんはドイツ人なのだと云う。

 如何にアイテンさんが開明的でも、妻が他の男と車内で長時間二人きりで過ごしたなどと、ムスリムの夫ならば到底許せることではないだろう。刃傷沙汰にもなりかねない大事だ。

 やましい点など寸毫もないとは云え、旦那さんがドイツ人と聞いて私は胸を撫で下ろしたのだった。


 その金髪碧眼の旦那さんは、空港で会うなり全力の握手で迎えてくれた。妻の浮気など露ほども疑う様子がない。彼と私の容貌を見比べれば、それもむべなるかな、だ。

 ゲルマンの大丈夫ますらおくあるべし、と云う見本のような健康な美男子と、ギリシア悲劇から出てきたような美女たおやめとの間に挟まれると、私が彼らと同じ種族であることさえ疑わしく思えてしまう。


 て、残るは三人で最後の晩餐。

 旅の最後はやはりトルコ料理でしめたいものだ。


 トルコの庶民料理を所望するとアイテンさんは、これでもかとばかり典型的なメニューをテーブルに並べてくれた。


 まずはチョバン・サラタス。いつでもどこでも出てくる定番で、「羊飼いのサラダ」の意。トマト、キュウリ、玉ネギをざくっと切って、シンプルに味付けした素朴なサラダだ。

 次いで茄子の挽肉詰め、カルヌヤルク。さらに、茄子のたっぷり入ったグラタン風、ムサカ。茄子のうえのチーズが香る。

 串に刺し焼いた肉料理、シシ・ケバブ。その挽肉バージョンのアダナ・ケバブ。口に入れると香辛料がつんと広がる。シシは「串」の意、アダナはトルコ南部の街の名だ。


 そしてやはり欠かせないのは、ヨーグルト。今日の一品はヨーグルトに胡瓜の輪切りをたっぷり泛べた冷製スープ風。

 遊牧民から出たトルコ人が乳製品を愛するのは当然だが、そのヨーグルト愛は群を抜く。

 日本ではトルコのお隣り、ブルガリアの名が冠せられがちなヨーグルトだが、実はその源流はトルコ民族に求める方が正当だろう。そもそもブルガリアの名の元であるブルガール人はトルコ系民族であり、この地域は14世紀末より19世紀後半に至る長きにわたってオスマン帝国の直轄領だった。

 トルコのスーパーで売られているのはバケツサイズの容器に入ったヨーグルト。恐らく四、五人家族で二日もあればそれを平らげるのだろう。なにしろ、何にでもヨーグルトが使われるのだ。彼らにとってヨーグルトは、ドレッシングであり飲料でありスープでもあり――しかしたら、主食だ。


 今日は後に仕事は控えていないのでアルコール解禁。アイテンさんと旦那さんも今日はタクシーで帰るとのことで、三人揃ってトルコワインで乾杯する。アンカラ周辺はワイン生産に適しているのか、ワイナリーが多い。

 ワインの横に並ぶのは、ラクの瓶。

 ラクは、トルコの蒸留酒だ。葡萄を原料にした無色透明の酒で、外見も味も、或いはアルコール度数の高さも、どこかウォッカを思わせる。茴香ウイキョウの香りが特徴だ。

 もう一つ、水で割るとその大きな特徴が現れる。無色透明のラクが、水を加えると途端に白く濁るのだ。だから、と云う訳でもないだろうが、ストレートではなく水で割って飲むのが一般的だ。


 ワインにラクにビールと、イスラム教徒の国でアルコール飲料生産花盛りになるのは何故、との問いはもう不要だろう。幾度か述べた通り、少なくない数のトルコ人は酒を嗜む。


 最後の贖罪に、カボチャを蜜で煮たデザート、カバク・タトゥルス。上には砕いたナッツがかかる。一見すると普通の煮物のようだが、口に入れた途端の甘さに意表を衝かれた。

 トルコではカボチャは、御菜おかずであるより断然スイーツの食材として認知されている。一方、メロンは時に御菜になる。瓜科の果実は野菜と果物の境界線上にあるのか、国が変われば時にその位置を変えるようだ。


 日本人の常識を覆す甘さのカボチャでみそぎを済ませ、二人に感謝の辞を述べ席を立った。出発予定時刻まで間もない。

 荷物検査場で別れを告げると旦那さんは善良そのものの顔で見送ってくれた。アイテンさんは、仕事の内容を旦那さんには話していない。夫婦間といえども秘密はあるものだ。今朝私が人を殺したことを彼は知らないし、今後も永久に知ることはないだろう。



  * * *



 空路一時間でイスタンブル空港に着いた。

 空港内に日本人の姿は疎らだ。代わりに中国人らしき集団と幾度もすれ違った。自信に満ちた表情と会話。これが国と民族の勢いと云うものだろうか。


 かつて高度経済成長期やバブル経済期の日本人は国際社会で嫌われ揶揄される対象だったが、今やその地位をすっかり中国人に譲った感がある。これを肯定的・否定的のいずれに捉えるかは、見方次第だろう。


 好き嫌いで云えば、トルコ人は世界有数の親日派だ。これは多分に物語的な要因があって、明治時代に和歌山県沖で座礁したトルコ軍艦エルトゥールル号の海難事故の際に当地の住民が行った献身的な救助活動が、いまだにトルコ人の間で記憶されている為だ。

 その約百年後、トルコ人はイラン・イラク戦争の際にふるい恩に報いた。

 イランに取り残された二百人余りの日本人を、救援機を手配できない日本の政府・航空会社に代わって救出したのは、トルコの救援機だった。

 本来搭乗する筈だったトルコ人たちは、「今こそ恩を返すのだ」と日本人に座席を譲って、自らは戦火の陸路をりトルコへ向け避難敢行したのだと云う。



 やがて成田行きの便が飛び立った。灯りの消えた機内でエフェスを飲みながら思う。

 トルコ人の文化や考え方は、日本人とは異なる点も多い。それでも、人として通じ合える何かが、確かに在る。

 何より、真心籠めた交流には未来を拓く力がある。これは相手がトルコ人の場合に限らない。


 小さな希望を見た思いで、眠りに就いた。

 疲れも厭世も罪もこの世の喜びも、あらゆる感情が欠片かけらになって深い海の底に沈殿するような、心地よい眠りに。




(トルコ編 了)


※次回からブラジル編


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