第7話 三日目② ~アゼルバイジャン・仕事~


 今回の標的ターゲットが母国アゼルバイジャンからトルコへ出てきたのは七年前、大学生の時のことだった。


 アゼルバイジャンからトルコへの留学は、珍しくはない。

 その第一のメリットは言葉だ。トルコ語とアゼルバイジャン語は同系の言語で、細かい表現の違いはあるものの、十分に意思疎通ができる。

 日本語になぞらえると、標準語と鹿児島弁のような関係と思えばよい。


 これはアゼルバイジャンに限った話ではなく、中央アジアに割拠する諸国の言語は概ね同じテュルク語系で、中国領内のウイグルもその流れに連なる。また、モンゴル語にも共通する単語を多く持つ。

 テュルク語は、欧州に於けるラテン語に比肩するべき、中央アジアの共通言語プラットフォームと称してよいのかも知れない。


 文化の似通っている点もメリットだ。同じムスリムで、食べ物や習俗も共通あるいは類似のものが多い。

 アゼルバイジャン人にとってトルコで暮らすのは、他の国で暮らすのに比べて格段にストレスが低いだろう。


 但しトルコがアゼルバイジャンと格別仲が良いかと問われれば、そこは微妙なところだ。

 まず宗派が違う。トルコはスンナ派、アゼルバイジャンはシーア派が主流。加えて歴史的にはアゼルバイジャンは、オスマン帝国と鋭く対立したサファビー朝の発祥の地でもある。

 同じムスリムでトルコ系だから仲が良いと考えるのは単純に過ぎ、むしろバルカン半島のキリスト教徒を使嗾しそうして他のトルコ諸族を圧倒していったのが初期オスマン朝によるアナトリア支配の特質とも云える。


 とは云え総じて両国の関係は現在良好で、外敵との争闘に共同で当たることもあった。多少の確執を抱えつつもいざとなれば助け合う、兄弟のような間柄と云えようか。


 兎も角彼は、この七年をトルコで過ごし、職も得た。仕事ぶりは良かったらしい。

 そんな彼が殺人の罪で逮捕されたのは半年前のこと。病院のベッドの上で目覚めた時だった。

 同郷の幼馴染を殺害し、その場で自殺を図った処を恋人が発見して、病院に搬送されたのだと云う。


 判決までは早かった。ほぼ現行犯で証拠は十分、本人も罪を認めて量刑を争いさえしない。一審判決に控訴することなく確定。カラビュック県の刑務所に収監されたのが、一月ひとつき前だった。


 そして、その二週間後。ふたたび彼は自殺を敢行し――仕挫しくじった。



  * * *



 夕食はサチ・カブルマだ。

 羊肉と細かく切った野菜の炒めもので、鉄板に載せられたまま供される。野菜の食感に羊の脂に、ほどよい辛さ。トルコに於ける米飯ごはんの友の頂点と云えよう。

 但し此処で米飯は、サフラン入りのバターライスだ。その名をピラウ、「ピラフ」の語源らしい。


 何杯でもビールがいける処だが、仕事前なので我慢してリモナータ(レモネード)を頼む。


 続いて出てきたのはひよこ豆のトマトスープ。豆と一緒に入った麦の食感が面白い。テーブル中央にはお替り自由のバケットが置かれているが、残念ながら、そちらに手を伸ばせるほど胃袋に余裕は残っていなかった。


 大きくなった腹を抱えながら、今日の仕事の再確認を行う。

 私の納得いかない想いは軽く流して、アイテンさんは淡々と刑務所内の状況を説明してくれる。定期的に看守が巡回する刑務所内で、仕事のために許された時間は最大一時間。夜間は一時間置きに、彼に別状ないことが確認されるらしい。


 テーブルに何故か四杯のチャイが並べられたのに気づいて顔を上げると、アイテンさんの背後に二人、男女が立っていた。

 私が目をすがめると、

依頼者クライアントよ」

 とアイテンさんが云った。



 依頼者と顔を合わせることは本来、有り得ない。

 私は表情でアイテンさんへ抗議の意思を示したが、彼女は一顧だにせず二人に椅子を勧めた。

 勧められるまま席に着いた男女は、そろそろ老境に差しかかろうと云う佇まいだ。事前情報を信じれば、標的ターゲットの両親と云うことになる。


 ――私への依頼内容は職業倫理上開示を避けるべきではあるのだが、先にこの世界の規律を破って接触を図ったのが先方である以上、ある程度の事情を此処に記すことは、許される範囲内の逸脱だろうと思う。


 両親の語る処にれば、彼が殺した幼馴染は、兄弟のように育った親友だったそうだ。彼がアゼルバイジャンを出て、標的のアパートに転がり込んだのは一年前のこと。

 仕事にも学業にも就かずに、時々遠方に出て数日帰ってこないという日々を過ごしていたが、一日あるひ標的の男は、この幼馴染が組織犯罪に加担していると知るに至る。


 嘗ての宗主国ロシアや隣国アルメニアとは緊張が続き、バクー油田の巨大な利権にマフィア、内政の混乱――物騒な事情なら事欠かないアゼルバイジャンで、この幼馴染がどのような犯罪に手を染めていたのか私は興味ないが、兎も角彼は深く心を痛め、親友に改心を迫った。


 話が長くなりそうだ。チャイは既に三杯目。



 標的ターゲットの躯のなかで目覚めたのは、それから二時間後ぐらいだろうか。両親の話を聞きながらの食事をえ、彼らと別れて車で刑務所の横まで移動し、そこで眠り――いまは独房のなかに居る。


 暗闇に目を慣らす間に、両親が語った物語を反芻する。

 この男は、幼馴染の親友がこれ以上罪を重ねるのを止めるには、自らの手で親友を殺す以外の手段が残されていないと、絶望の中で信じた。

 殺された側にも一分の理はあったろう。旧ソビエト連邦の崩壊以来――或いはそれよりずっと前から――この地域が抱える矛盾の中で、正義と悪徳とはつねに紙一重の上にある。


 死は彼の欲する処ではない。むしろ彼は生を希求する。全身全霊で。

 だが同時に彼にとって死は、今となっては神聖な義務なのだ。彼は純粋に過ぎた。親友に死を与えておいて、自身が生き残るのは醜く義に適わぬことと考えた。


 彼は生に焦がれて煩悶し、死を義務としながら逡巡し、熱病のような懊悩の末に、自らにも死を与えなければ済まないと結論した。

 何のために? 正義を実現させ、美しい生を完成させるために。


 私にしてみれば生きることこそが第一義であって、その神秘の前に正義だ美だ真実だなどと――だが此処で私の考えを押しつけてもせん無い。


 自殺は罪であるとする私の考えは揺るがない。だが、もとより罪にまみれた私を引き合いに出すまでもなく、人は誰もが罪と共に生きて死ぬのだ。


 彼は生ある限り迷い悩み続け、自身の思想に殉じて死を択び続けるのだろう。

 その両親は彼の選択を容認し、あまつさえ、その完遂の為に私を傭った。


 私も覚悟を決めよう。

 彼と両親との望みを叶えるべく、私は私の仕事を果たす。


 ……と思ったのだが、実はこれが簡単でない。

 自殺を防ぐために刑務所の取った措置は私の想定を超えていた。

 幸い、拘束衣は着せられていない。不要なのだ。なにしろ、体に力が入らないのだから。筋弛緩剤を打たれているらしい。

 これでは舌を噛み切ることや爪を剥がすことはおろか、もう少しましな物で血管を切ることさえ難しい。


 とは云え私もプロだ。

 如何に不自由な体であろうと、誠心誠意、自殺を遂げて呉れよう。


 私は周囲を見まわし、使える物がないか探した。

 まずは脇机の上に水差しが置かれているのが目についた。水差しはプラスチック製。流石にガラス製と云う訳にはいかない。水はまだ半分ほど残っていた。


 試しに手に力を籠めてみる。……わずかに動いた。薬の分量が甘かったと看守を責めるのは酷だろう。いずれにしろ、力が入らないのだ。並の者には自殺など出来よう筈もない。

 伸ばした指さきが、壁らしきものに当たる。壁は漆喰が少し崩れていた。感覚の殆どない手で撫でると、また崩れた。

 使えるかも知れない、と思った。長い夜になりそうだ、とも。


 私は、壁の崩れた部分を搔き始めた。



 筋弛緩剤は一種の麻薬ハシッシュかも知れない。麻痺した体で単純作業を長時間続けて(一時間置きの巡回が、もう四度あった)、頭だけが妙に冴えてくる。いや。冴えたように見えて、実は酩酊しているのか――。


 醒か睡か定かならぬ高揚のなかで私は、標的ターゲットを想った。


 涙とともに親友を手にかけた、義と誠をこそ至上と心得た君よ。自らを咎人とがにんと断じた君の審判を、私はたっとしとしよう。



 さて。

 私の作戦は、餅を喉に詰まらせるご老人に想を得たものだ。崩れた漆喰を砕いて、水差しの中に入れ掻き混ぜる。


 やがて出来上がった土塊つちくれのペースト。ベッドに横たわったまま、口の中へ注いでいく。

 食道も気道も諸共に埋めるよう念入りに。直ぐに息が苦しくなる。涙とはなみずが流れる。

 幾度もの自殺で培った精神力で、私はその苦痛に堪えた。

 尋常ならば私の意思に拘らず自律神経が働き、み下すかき出すかする筈だが、幸か不幸か筋弛緩剤で弱ったこの躯はそれ丈の力さえ残していない。


 最早もはや、肺へ酸素を届ける道は断たれた。数分のうちに脳への酸素供給も止まるだろう。徐々に私の意識は薄れていく。


 遠くから朝の礼拝を促す声が聞こえてきた。隣の独房で何者かの起き出す気配がする。夜明けが近づいているのだ。

 イスラム圏ではお馴染みの、毎日五回の礼拝を促す音声は、此処ではモスクの塔からではなく廊下のスピーカーから流れる。美しい旋律しらべに乗って発せられる言葉はコーランの一節を誦唱しているのではなく、礼拝に来たれといざなうだけの内容らしい。


 死に行く君に代わって、神に感謝の祈りを捧げよう。最後の審判までの束の間、安らかな眠りを得るがいい。君がその手にかけた親友と、そのとき涙を流して抱きあえるならば――私も喜んで祝福しよう。


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