第5話 二日目② ~アンカラ・街角~


 トルコでは、同種の物をあきなう店が一つの場所に寄り集まって、電器屋通り、家具屋通り、絨毯じゅうたん屋通りなどを形成することが多い。かつて同業者組合があった名残なのか、あるいは集まって商売するのが合理的なのかも知れない。


 そのうち民藝品を飾る店が増えてきた。

 目につくのは、青い眼玉の御護りナザール・ボンジュウ。数個連ねてシャンデリア風にしたトルコランプ。青・赤・黄と発色も鮮やかなタイル。キリム生地のバッグやクッション。トルコ絨毯。

 この先にはアンカラ城址があるので、観光客を目当ての店なのかも知れない。


 振り返ると、この辺りは高台になっていて、眼下にアンカラの下町がひろがる。複雑に入り組んだ路地を各自てんでに占拠し形も大きさも様々な家々は、屋根だけはれも一様に赤茶色。

 路地に目を遣れば気儘に寝そべる猫たち。店内だろうとレストランだろうと、我が物顔で往き来する。


 ふと目についた簡素なモスク(トルコ風に云うと、ジャーミィ)に入ってみると、タイル張りの静謐な堂内でお祈り中の人がいた。金曜日以外でもお祈りに訪れるのは、熱心なムスリムなのだろうか。

 邪魔にならないよう端に寄って中を見渡す。欄干で区切られたエリアで、ゆったりした服にスカーフ姿の女性が二人お祈りしていた。お祈りの場所は男女で分かれているものらしい。



 モスクを出た後はアンカラ城址へ。

 ナッツ類を商う市場バザールふるい隊商宿のようなホテル、その先の土産物屋を抜けて見晴らしのいい城址しろあとへと登った。先客に学生らしい集団がいる。賑やかな若い声を上げる彼らは、女性の九割はスカーフをしていないが、陽気に騒ぎながらもなんとなく男女に分かれている。

 安全柵もない防壁の上を度胸試しなのか青年が歩いている。下を見下ろせば、墜ちて死ぬには十分な高さだ。

 顔を上げると城の頂上ではトルコの赤い国旗が風にはためいている。


 城址から下って、再び民藝品の店一帯へ向かう。

 れもこじんまりした店構えだが、そのなかでは比較的大きい絨毯屋に入ってみた。店のなかには、暇そうに歓談している男が二人。

 丸めて床にかに積み上げられた絨毯から幾つか指して、ひろげてもらう。材質は羊毛ウールシルクのような光沢はないが、温かく素朴な手触りと色合いがいい。値段を尋ねると、イスタンブルの半値以下。と云ってもそれは、「最初の言い値の半値以下」と云う意味で、その通り買うことは有り得ないのでイスタンブルでの最終的な買い値と比べれば丁度同じぐらいか。


 トルコの手織り絨毯は知名度ではペルシャ絨毯におくれを取るものの、品質と美しさに於いては決して劣るものでない。二本の経糸を絡める所謂いわゆるトルコ結びは頑丈で、優に百年以上の使用に耐える。


 幾つかに心惹かれたが、残念ながら今回のスーツケースは絨毯をれられるサイズではない。代わりにキリムを見せてもらった。キリムもトルコ名産の織物だが平織りで、折り畳むとコンパクトになる。デザインはより素朴で愛らしい。


 運ばれてきた琥珀色のチャイを飲みながら商談。イスタンブルやカッパドキア辺りなら英語か、下手すれば日本語で交渉できるのだが、アンカラでは当然トルコ語だ。

 彼らは生まれついての商売人なのか、何でも交渉せずにはいられない。商談の最中喉を潤すチャイは必須だ。


 結局、言い値の八割程度でキリムを一枚購入。あまり値が下がらなかったのは店主の最初の言い値が正直だったのか、それとも私が交渉下手なのか。いずれにせよイスタンブル価格よりは随分やすいから、よしとしよう。



 買い物を済ませた後は下町へと戻って行った。

 きと違って下り道なので足が軽い。目についた店でケバブサンドを注文した。


 串に盛り付けた肉を回転させながら炙り焼くのが回転ドネルケバブ。

 その焼けたところから順に削ぎ落し、野菜と一緒にパンやピタ(ナンに似たパン)に挟んで食べるのがケバブサンド。

 二つ回転しているドネルケバブの、何方どっちいかと尋ねられた。片方は羊肉、もう一つは鶏肉だそうだ。答えは両方、ミックスで。店主は笑って、パンからはみ出すほど沢山盛り付けてくれた。


 ケバブサンドの味を支えるのは、ケバブも勿論だが、それを挟むパン。表面パリパリで中はやわらかなのがいい。この店は当たり。ケバブの肉汁が滲み込んで最後まで旨い。


 足を筆で撫でられるような感触に驚いて下を見ると、仔猫が二匹。ケバブの匂いに惹かれて来たのか、私を見上げてにゃあと鳴く。肉片を千切って、一片宛ひとつずつ鼻先へ差し出すとぺろりと飲み込んだ。

 これで懐くかと思えばに非ず。獲るものさえ得れば仔猫二匹は悠々と尻尾を立てて、背後うしろを振り返りもせず去って行った。気高く自由な仔猫たち。人に愛されるのは彼ら自身の美しさ故の功であって、その結果与えられた獲物に対して人に感謝せねばならぬわれは一厘もない。



 腹が満たされれば、愈々いよいよ次は浴場ハマム(トルコ式浴場)だ。

 往きに目をつけていた浴場へ向かう。

 外から見た建物はかなり古びているが、中に入ると天井のガラスから届く陽光で存外明るい。

 此処は地元民に人気のハマムらしく、賑わっている。バスタオルに身を包み、大理石の台に座って垢擦り・マッサージの順番待ち。ドーム状になった天井に、男たちの談笑する声が反響する。


 やがて私の順番が廻って来ると、髭面で屈強な体格の青年が全身に湯を掛け洗い出した。最初はくすぐったい感じがしたが、直ぐにくすぐったい処ではなくなった。力加減を知らないのか、豪快に擦り上げて呉れる。周りの客を見ても、そこまで力一杯擦られているようには見えない。物問う目で青年を見ると、彼は実に人懐こい笑顔を返した。


 ああ、これも好意か――と心づいた。外国人に飛び切り最上のサービスを、と云う訳だ。まったくトルコ人のサービス精神には恐れ入る。有難く受けたまわるしかないではないか。



  * * *



 夏時間の適用されている間、トルコの日は恐ろしく長い。まだ外が明るいうちからアイテンさんと合流して、レストランへと向かった。


 今夜の食事は彼女の希望で日本料理。但し、アンカラの街に純粋な日本料理店はない。あるのは、中華、タイ、日本、他の混淆するアジアンレストランだ。

 日本料理に限った話ではなく、アンカラに真面まともな外国料理店は極めて少ない。この街のレストランで供されるのは軒並みトルコ料理だ。

 世界を席巻する中華料理店でさえ、辛うじて一軒あるのみだと云う。

 一国の首都にして四百万人の人口を擁する大都市であるにも拘らず、だ。


 その理由は、この街に住む外国人の数がすくないためでもあるが、トルコ人が圧倒的にトルコ料理大好きだから、だろう。美味しいトルコ料理が其処そこいらに溢れているのに、何故わざわざ他国よその料理を食べなければならないのか、と云う訳だ。(もっとも、ファーストフード界には米国系の某ハンバーガーやフライドチキンが浸透している)

 この街に住む数少ない日本人が故郷の味をどれだけ恋しく思おうとも、日本人客のみを相手に経営を成り立たせることは難しい。


 その点、私を迎えて日本料理に挑戦しようと云うアイテンさんは珍しい部類かも知れない。その挑戦心には敬意を表するが、待望のマントゥを食べる機会を逸した私としては、出来れば彼女には他のトルコ人と同じくトルコ料理大好きでいて欲しかった。


 だが食事が運ばれてくると私は、これはこれで面白い、と思うようになっていた。

 なにしろ出てくる料理が、およそ想像を絶する代物しろものなのだ。

 味噌汁はうやうやしく土瓶に入って出てくる。うどんには汁がない。恐らくトルコ人に受ける日本料理を志向するうち、この形に進化したのだろう。舶来の料理がその地で変容し人々に愛される料理に生まれ変わるのならそれはそれで良いし、またれが世界の食文化を豊かにするのだと思う。

 味は悪くなかった――これを日本料理と考えさえしなければ。



 食後の打ち合わせは、何故かトルココーヒーを飲みながら。

 一口サイズのカップに、濃く淹れたコーヒー。飲み干すと底の方に粉が残るのが特徴だ。

「残ったおりで未来を占うのよ」

 とアイテンさんが云う。怪訝な表情の私からカップを掠め取って、上にソーサーを被せると引っ繰り返した。

 カップを上げると、ソーサーの上には抽象画のような文様がコーヒーの粉でかたどられている。


「安心して。明日の仕事運は大吉だわ」

 そう云ってアイテンさんは莞爾にっこりと笑った。


 明日は二件目の仕事が待っている。場所は二百キロほど北にある世界遺産の街、サフランボルだと先刻聞いたばかりだ。


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