第4話 二日目① ~罪と罰~


 朝目覚めると、昨日の苦しみの大半は既に去って、偏頭痛だけが残っていた。

 シャワーを浴び、朝食をとりに食堂へ。


 街で食べ歩きする腹を残すため、朝食は軽めと心掛ける。だが、蜂蜜が巣ごと木枠に架かっているのには誘惑された。黄金色の蜂蜜の巣ハニカムをナイフでり取って、パンに乗せる。

 黒海沿いの山峡やまかいで育まれた蜂蜜は、甘さが自然でやわらかい。



 今日は一日オフにしてもらった。アイテンさんとは夕食を御一緒に、とだけ約束している。

 仕事の次の日は、体調のみならず心の調子も不安定になってしまうのだ。だがこれは、私がまだ真面まともな人間らしい心を保っている証拠のように思えて、却って私を安心させる。


 守秘義務があるのでくわしい事情は伏せるが、たしかに昨夜の男は、赦し難い大罪を犯した。その被害者遺族に、殺してもまだ足りぬと思わせるほどの。

 毎回仕事を受けるに当たって私の出す条件は、私が納得できる依頼理由を訊かせてもらうこと。とは云え私が納得したところで人を殺める罪から遁れられる訳ではない。



 私に人を裁く資格があるのか、と問われれば、答えは否だ。だが、どの道その問いは無意味だ。

 嘗てある神が預言者を通じてのたまったのだと云う。「自ら復讐してはならぬ。復讐は我が仕事である。それは人の子の仕事ではない」と。

 世界がそのようであったなら、れほど良かったろうと私も思う。

「神は死んだ」と誰かがさかしらに叫ばなければ良かったのか。恐らくうではあるまい。


 神殺しの罰でも当ったのか最期は狂い死んだ哲学者の喝破を待つ迄もなく、うから人は、正義の為と称して神に成り代わり同族を殺してきた。それが人の本性ほんせいならば、誰かがその望みを遂げる役を負わねばならぬ。



 ――閑話休題。

 私は今、自ら罰するかのように、トルコ最恐のスイーツに対峙している。

 薄いパイ生地の間にクルミやピスタチオを挟んで幾層にも重ね焼いたお菓子、その名をバクラヴァ。これだけ聞けば普通に美味しそうなものだが、バクラヴァをバクラヴァめる最後の仕上げは、極甘のシロップ。

 シロップの海に漬かったバクラヴァを持ち上げると、その身からシロップが滴り落ちる。

 神に罪を懺悔して口に抛り込んだ。

 口中に広がる、味覚を麻痺させるほどの甘さ。噛む度にシロップが滲み出て、甘さの途切れることがない。それでも、稀にナッツとパイが極く控えめに味を主張するのを頼りに噛み締めつづける。


 あとは砂糖なしのチャイ二杯で喉の奥へと流し込んだ。

 みそぎ代わりの極甘スイーツで、幾分か精神の平衡が取り戻された気がした。



 バクラヴァで〆た朝食をえると、軽装で外へ出た。肩に掛けたリュックの中は、殆どからだ。


 大通りを歩いていると、後ろからやたらクラクションを鳴らして、小型バスが抜き去って行く。トルコで庶民の足として親しまれる、ドルムシュだ。ルート沿いならば何処でも乗り込み、降りられる。クラクションは、乗らないか、と云う合図。


 三台目のドルムシュが来たのを、手を挙げて止めた。

 乗り込んでみると、中には乗客が二十五人ばかり。座席シートは埋まって十人ほどが立っていた。

 場を占められそうな隙間を見つけて移動する間に、もうドルムシュは動き出している。慌てて手摺を掴んだ。急発進、急ブレーキ、予告なき車線変更。荒い運転だ。


 乗車賃は前払いになっている。

 財布から10TLテーレー(トルコリラ)を取り出すと、前にいた客が摘まみ上げた。あっと思うと直ぐ前の乗客の手に札は渡る。その札はまた一つ前の客を介して、最後にドライバーの手に収まった。

 ドライバーは相変わらず手荒なハンドル捌きで合間に釣り銭を取り上げると、すぐ背後うしろの客に渡す。往きと同じ経路で釣り銭はかえり、ついには私の手許に落ち着いた。見事な連携プレイ。


 繰り返しになるが、トルコ人は実に親切だ。そして正直な時は、底抜けに正直だ。んな運賃リレーが見られるのはトルコ人の気質あってこそだろう。

 だが一方で、損得勘定にはからい。うかと思えばふとぱらだったり時に平気で人を欺くこともあったり、と――詰まる処、彼らの本性が何處にあるのか未だよく分からない。

 分からないからこそ、より知りたいと思う。探求して新たな発見があれば嬉しい。そして、仮令たとえ最後まで分かりあえなかったとしても、彼らが私の隣人であることは変わらない。


 また急ブレーキ。車が止まり切らない内に扉が開いて、子連れのご婦人が乗り込んで来た。すると若い男がさっと立ち上がって子供に席を譲る。そこで再び運賃リレー。


 車窓から騎乗の銅像が見える。此処からでは貌のかたちまでは定かならねど、恐るらくは国父アタテュルクだろう。

 共和国議会から贈られた名、父なるトルコ人アタ・テュルク。何故彼の貌をっているかと云うと、全てのトルコの紙幣には彼の肖像が描かれているからだ。

 共和国建国から一世紀近くを経て、彼を信奉するトルコ人は今猶いまなお多い。


 ドルムシュは乱暴な運転のまま街の中心部へと向かって、道は弥々いよいよ方向性のない人と車とで混沌の中にある。着いたのは旧い商店街の入口すぐ横。店は坂道に沿って遥か先まで蜿蜒えんえんと続いている。

 浴場ハマムが目の前にあったが、入るにはまだ早い、と素通りした。


 坂道を登っていくと、往来の真んなかにシミットをうずたかく積んで、トルコ帽を冠った親仁が売っている。シミットとは、ドーナツ型の胡麻パンだ。ドーナツよりは一回りか二回り大きい。

 二個ふたつで3TLテーレーだと云う。2TL払うから一個ひとつり呉れと云ってもかない。焼きたてだ、絶対旨いから、と親切顔で推してくる。二個も食べられるものか。


 押し負けて、結局二個買う羽目に。受け取ったシミットは、かまどの余燼を感じる温かさ。齧ると歯応えがあって、内側はしっとり。

 これは親仁が正しかったか。あっさり二個いけそうだ。


 シミット片手に歩き出す。焦げた胡麻の香りが香ばしい。

 左右に並ぶ商店は、何処も似た商品を扱っている。店先たなさきに並べられ吊るされるのは、服に布地に糸、針、小物。二軒の服屋に挟まれた茶店で、チャイを沸かす二連のケトルが湯気を立てている。


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