第3話 回想、大嶺舞①

 葉月はづきが探している『●●』は劇場の目立つ場所にはないようだった。葉月は「この劇場を建てる時に隠したのだと思う」と言っていた。葉月がそう言うのなら、それで正しい。


 結果から言うと──私と葉月はその日のうちに『●●』を見付けた。


 葉月は狂喜乱舞して私を抱き締め、キスした。くちびるに。初めてのキスだった。そのまま私は葉月の家に連れて行かれて、薄い布団の中で抱き合った。葉月がひとり暮らしなのだと初めて知った。狭いアパートだった。寝室には敷きっぱなしの布団があって、葉月の匂いがした。葉月は私を愛してくれた──と思う。何度もキスをして、誰にも触らせたことのない場所を触って、触らせてくれて、砂糖菓子ような声で私の名を呼んだ。まい。舞。私にはあなたしかいないの。舞。これからも一緒にいてくれる? 手伝ってくれる? 嬉しくて、気持ち良くて、泣きながら繰り返し頷いた。一緒にいる。離れない。葉月のためだったらどんなこともする。嬉しい、と葉月は笑った。舞。私の舞。裏切ってはダメよ。私のことを、世界でいちばん大切にしなくては、ダメよ。


 でも別に、その後何かが大きく変わったってわけじゃなかった。葉月はいつも通り静かに高校生活を送っていたし、私の周りには取り巻きが大勢いた。密会は図書室で。誰もいない時にはキスだけした。私は演劇部を辞めた。部活に費やす時間が無駄に思えて、一分一秒も惜しくて、授業が終わったらすぐに葉月の部屋に行って抱き合った。舞、と葉月が呼んでくれるだけで、私はどんな素晴らしい舞台の主演より、映画の主人公より、満たされた存在になった。葉月にはそういう、不思議な力があった。葉月に選ばれたことが、嬉しかった。

 それから葉月とは、何度もシアター・ルチアに行った。顔パスの私が葉月を連れて通用口から中に入ろうとしても、止める人なんて誰もいなかった。葉月は必ず『●●』に行きたがった。正直ちょっと私としては『●●』は不気味だな、と思っていたけれど、願いを叶えてあげると葉月が必ずキスしてくれるから従った。

 葉月は『●●』に何かを語りかけていた。「見つけたから」とか「もう少しだから」という声が聞こえて、その瞬間だけは私はとても不愉快だった。


 どうして、葉月。そこには誰がいるの。『●●』って何なの。

 なんでそんなに、優しい声を出すの。


 高校を卒業して、私は大学に進学した。今更隠しても仕方がないから正直に言うと、裏口入学というやつだ。祖父が手を回してくれた。芸能人や有名人が大勢通っている大学だった。私は祖父に、演劇部を辞めたことを厳しく叱られていた。祖父は異母兄の真琴に会社を継がせ、私には女優になってほしいと言っていた。芸能界での、内海家の立場を磐石にするために。でもその頃、伯父である灘波なんば祥一朗しょういちろうが取り仕切っていた芸能プロダクションが潰れた。会社に所属してたイケメン俳優が覚醒剤に手を出したせいだ。そのイケメン俳優以外の所属タレントも全員素行を疑われて、一時期は大変なことになっていた。だが祖父は冷静で、伯父と、所属タレント全員をイナンナに引き取った。「堂々としていればいい」と祖父は言った。「自信のない態度を取るからつけ込まれる。こちらには何の問題もない。そういう顔をしていろ」と伯父に命じた。私は大学に通いながら伯父の手伝いをするようになった。手伝いといっても──その、なんていうか。私は映像作品に役者として出演するようになった。これも祖父の手回しの結果だ。役名のあるキャラクターを演じ、株式会社期待の新人! としてバラエティ番組なんかにもたくさん出た。


 けれど。


「ね、舞。どうしてタレントごっこなんてやってるの? 私との約束、忘れちゃったの?」


 コネだとしても女優になれたのは嬉しいし、このまま売れていきたいな──なんて思っていた頃。大学から家に帰ったら、葉月がいた。

 冷たい汗が背中を伝って落ちた。


 葉月は。


 高校を卒業するタイミングで、私の目の前から姿を消した。卒業式にも出なかった。寂しかった。だけど、私は、葉月を、忘れた。


「舞?」


 葉月は裸足だった。冬なのに肌が透けて見えそうなほどに薄い生地で作られた黒いワンピース。下着は着けていない。手と足両方の爪を朱色で彩っていて──目尻と口元にも、同じ色の化粧をしている。まるで、お祭りの日のようだ。


「舞ったら。ねえ。私、別に怒ってないよ。質問をしているだけ」


 体が、勝手に動く。私は葉月の足元に土下座をする。滑らかな足の甲に口付けをし、爪を舐める。葉月が笑う。


「そんなに怖いの? 私が? ねえ舞、大丈夫だよ。私は今でも、舞のこと愛してるよ」


 嘘だと思った。それは確信だった。葉月が愛しているのはシアター・ルチアの地下にある『●●』で、私は葉月に利用されていた。


 そうだ。うまいこと使われていたんだ。


 それなのに。


 どうして、私は、葉月から。

 離れられない。


「またいっぱい愛してあげるから」


 葉月が身を屈める。耳元で甘く囁く。


「私を、イナンナの中に入れて頂戴な」


 ──私は、葉月の愛で押し潰され、恐怖を忘れる。

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