第5話 渋谷区、歌唱稽古スタジオ②
「これ、さ」
とマスクを顎に引っ掛けた
「迷宮さんの、アカウント、だよね」
「迷宮さんSNSやってんの?」
「いやうちもそこまでは……だって自分のお父さんのアカウント見たくないし……」
宍戸の問いに、鹿野は戸惑った声を上げる。だがたしかに、鈴井が差し出すスマートフォンの中には『🅼🅴🅸🅺🆈🆄 🄺🄰🄽🄾』という名前のアカウントが存在し、アイコンはどこからどう見ても愛犬・チョッパーの仔犬の頃の写真だ。プロフィール欄にも『民俗学者』『独身』『大学勤務』と書かれているし、十中八九実父・鹿野迷宮のアカウントで間違いないだろう。
鹿野は基本的にSNSを見ない。自分が関わっている舞台に関して検索を始めると止まらなくなってしまうし、それに鹿野は不田房のSNSアカウントの管理を任されている。この世の中に、不田房栄治ほどSNSを使うのに向いていない人間はいない。書いてはいけないことを平気で書くし、個人情報が特定されそうな画像を気軽にアップする。危険極まりない。だが演劇ユニット『スモーカーズ』の宣伝はSNSでもした方が良い、ということで、不田房名義のアカウントを鹿野が管理している。『花々の興亡』の稽古が始まってからは、不定期にオフショットや稽古場の写真を掲載している。──それはともかく。
「あああああ、ほんまにお父さんのアカウントじゃ……恥ずかしい……」
「身内のアカウントってちょっとドキドキするよな」
などと訳知り顔で言う宍戸クサリが
「僕、ファンで」
「……はい?」
声が裏返る。何を言っているのだろう目の前のこの──舞台監督は。
色白の顔がほんのりと赤らんでいる。照れている。
「ぼ、僕、好きなんだよね、迷宮さんが載せる怖い話、とか」
「父は……SNSに怖い話を載せているんですか……?」
「ん。これ、とか」
と、液晶画面をスライドした鈴井が再びスマートフォンを差し出す。
たしかにそこには『🅼🅴🅸🅺🆈🆄 🄺🄰🄽🄾』名義のアカウントが、東北のとある廃村で起きた怪奇現象について語っていた。文字数限界まで書き、リプライという形で続きを書いて、結構な長さのツリーになっている。父だ、と鹿野は納得する。鹿野素直の知る、鹿野迷宮の語り口調だ、これは。
「すみませんなんか、父が……」
「いや、あの。こっちもごめん、ね。個人特定しちゃって」
「あっ」
それはそうだ。鹿野迷宮という名前の民俗学者は日本全国探したところでそう多くは見付からないだろうが、その娘の鹿野素直を──鈴井はどうやって特定したのか。
「靴下」
「はいぃ?」
「これ、昨日の、靴下」
鹿野の足元を指差した鈴井が、またスマートフォンの画面を見せてくる。日付は昨日。「洗濯日和」とだけ書かれた投稿には青い空を背に洗濯竿にぶら下がった迷宮の私物である洗濯物たちと、それを見上げるチョッパーと──
「あっ! うちの靴下!」
「デザイン、迷宮さん、ぽくないなって。サイズも小さく見えて」
鹿野素直が愛用しているメーカーの、タイダイ染めの靴下が写真に写り込んでいる。迷宮自身は、私物だけを写したつもりだったのかもしれないが、
「結構、見るんだよね、こういう投稿」
「嘘じゃ……」
「迷宮さん意外と詰めが甘いな」
家に戻ったら父を叱らねば、と決意する鹿野の横顔に「それで、さ」と鈴井が続けた。
「今日、電車の中で、迷宮さんの、アカウント見てて」
「はい……」
「これ、ね。鹿野さん、迷宮さんに、何か聞いた?」
『少し気になっている案件がある』
何かを迷うような口ぶりで、そう書かれている。
『理不尽に居場所を追われた神の話だ』
宍戸が息を呑み、鹿野は眉根を寄せる。
書き込みは、今日の──夜明け前。不田房と宍戸が鹿野家にやって来て、「野上神社の八月踊り」という芸能関係者のあいだでは有名な儀式についての情報を引き出したのは、先週の話だ。
「神……」
片手で顎を撫でながら、宍戸が唸る。
「迷宮さん、何か見付けたのか?」
「僕、も、そう思って」
と、鈴井がスマートフォンを持っていない方の手で自身のくちびる──その左側に残されたケロイドのような傷跡を撫でる。
「野上神社」
鈴井は言った。
「僕の仕事場、ルチアも、野上神社を潰した跡地に、建ててる」
どこからか──鈴の音が聞こえる。
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