第4話 渋谷区、稽古場③
やっぱりいるじゃない、と頭を抱える
「ちょっと、邪魔」
と声を掛ける者がいた。またしても長身の女性だ。
「ああ、
「おはようございます、
株式会社イナンナの看板俳優でもある彼女は、ダークネイビーのレザージャケットにホワイトデニム、ラウンド型のサングラスを外しながら呆れたような顔で不田房ら3人を見詰めていた。
「今日やっと全員揃うって聞いたから時間作って駆け付けたのに……誰です、これ?」
これが
「あ〜、彼女は……」
「演出助手だけど、何か?」
何かを言おうと口を開いた灘波を遮ったのは、和水芹香だった。とりあえず手を洗おうと給湯室に向かっていた鹿野は思わず足を止めて振り返り、自身のバックパックの中から絆創膏や消毒液を取り出していた不田房が露骨に呆気に取られた顔をした。
「は? 演出助手? 今回の演助は
「檀野さんこそ何言ってんですか?
檀野と和水のあいだに特大の火花が散っている。鹿野は慌てて給湯室に飛び込み、火傷の周りにこびり付いた灰や汚れを洗い流した。
「ちょ、ねえ、檀野ちゃんも和水ちゃんも落ち着いて!」
エグゼクティブ・プロデューサーこと灘波祥一朗が割って入ろうとするものの、俳優ふたりは睨み合う目を決して逸らさない。レザージャケットを脱いだ檀野がいかにも面倒臭そうに豊かな栗色の髪をかき上げ、
「まーいー? 何あんた、演出助手のお仕事無理ですぅ〜って灘波さんに泣き付いたわけ?」
「ち、違いますよぉ!」
顔を大きく横に振り、大嶺舞が声を上げる。先ほどまでの甘えた声とはまったく違う、どこか必死な気配さえ感じる響きだった。
「演出助手は私なのに、不田房先生が、勝手に……」
「意味分かんない。不田房さん、どういうことなんです?
檀野がショートブーツを脱ぎ、持参したスリッパに履き替えてスタジオに上がる。高いヒールを脱ぎ捨てても尚、檀野はすらりとした長身で──この現場には背の高い女性しかいないな、と鹿野は不意に気付く。灘波の趣味だろうか。エグゼクティブおじさんめ、好き勝手しているな。
キャスト用の長テーブルに自身の荷物を置いた檀野が「おはよ」と
「檀野さん。誤解があります」
不田房がようやく声を上げた。とはいえ鹿野の手のひらにガーゼを当て、ぐるぐると包帯を巻き付けながらではあるが、
「別に俺は、大嶺さんに不満があるとかではありません」
「じゃ、その子なんなの? 彼女? 公私混同迷惑なんだけど?」
「どこをどう見たら俺と鹿野が付き合ってるように見えるんですか? あ、鹿野というのはこちらの演出助手の名前で」
「あのさ」
バッグから台本を取り出しながら、檀野は呆れた様子で続けた。
「目の前で傷のお手当ごっこしながら『付き合ってない』とか言われて、信じられると思う?」
「ごっこじゃねえっつってんだろ!」
和水が声を張り上げた。突然の怒声に鹿野はもちろん、不田房もぎょっとして息を呑む。
「不田房さんの助手……なんだっけあなた名前!?」
「か、鹿野、素直、です……」
「素直は! このビルのエントランスに不審者がいないかどうかを確認しに行って、それで怪我して帰ってきたんですけど! 灘波さんも大嶺も確認に行きたくないって言うから、わざわざ、この子が!」
「不審者ぁ?」
和水はどうやら頭に血が上りやすいタイプらしい。映像作品ではクール系の役回りが多いだけに、意外だった。ボブカットに整えられた紅茶色の髪を揺らした和水が、大股で檀野、更には彼女のすぐ側に立つ灘波、大嶺に詰め寄る。
「前から言ってんでしょ、変なばあさんが出るって!」
「……それ、きみの妄想だと思ってたんだけど?」
栗色の髪の先端を指で弄りながら、檀野が鼻で笑った。見れば、灘波と大嶺も似たような表情をしている。
──この現場には既に派閥がある。
最悪だ。
「妄想!? 妄想なわけないでしょ!!」
「そっちの彼女ちゃん? 助手ちゃん? も、きみの妄想に付き合って怪我までしちゃったわけ?」
「檀野さん、あんたねえ……!!」
和水が今にも檀野の胸ぐらを掴みそうになった──瞬間。
「おっはようございま〜す!」
信じられないほど明るい声の挨拶が響いた。
鹿野は、その声を知っていた。
──出演者のひとり、
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