火を避けて水に陥る

三鹿ショート

火を避けて水に陥る

 私は自分から他者に対して、愛の告白をすることはない。

 だが、他者からそのような行為をされた場合には、相手の名前すら知らなかったとしても、受け入れるようにしている。

 何故なら、私は自身がそれほど魅力的な人間だとは考えておらず、それゆえに、そのような人間に好意を抱いてくれたことを思えば、その気持ちに応えなくてはならないと考えていたからだ。

 しかし、相手の気持ちに応えようとするたびに、私は馬鹿を見ていた。

 とある女性は、私の稼ぎ高を狙っていただけで、私以外の男性が本命だった。

 とある女性は、私に似ている人間に対して好意を抱いていたが、その人間には既に恋人が存在していたために、私を代用品としていた。

 数多くの女性に騙されながらも、愛の告白をしてきた相手の気持ちに応えようとしている私に対して、彼女は冷ややかな視線を向けた。

「何故、学習をしないのですか。見ている此方が腹を立ててしまうほどです」

 彼女の言う通りであるが、私が同じような行動を続けていることには、理由が存在している。

 それは、次に交際を開始する女性は、良い人間に違いないと信じていたからだ。

 全ての女性に対して絶望し、関係を築こうとしなければ、これまでとは全く異なる善人が現われたとしても、見逃してしまうではないか。

 だからこそ、私は近付いてくる女性たちに対して、愛情を注ぎ続けようと考えているのだ。

 私のその言葉を聞いて、彼女は呆れたように息を吐いた。


***


 新たに交際を開始した眼前の女性には、今のところ問題点は存在していないように見える。

 私以外の男性と繋がっている様子も無く、借金をするほど困窮しているようにも見えなかったために、私はようやく報われたといえるだろう。

 そんなことを考えながら恋人と外出をしていたのだが、今日は何処か上の空といった様子だった。

 私が声をかけたとしても、二度目になってようやく反応するといった具合である。

 何か悩み事でも抱えているのだろうかと思い、訊ねると、恋人はしばらく逡巡した後、

「実は、学生時代からの友人だった男性と久方ぶりに再会したのですが、そのときに、離婚をしたという話を聞いたのです。白状してしまうと、私は彼に対して好意を抱いていたのですが、彼が別の女性と結婚したということを知って、諦めたつもりだったのです。ですが、離婚をしたという話を聞いて、他者の不幸を喜ぶ自分と、あなたと交際しているにも関わらず、今ならば彼の心の隙間を埋めることができるのではないかと思ってしまう自分が存在していることに気が付いたのです。最低な人間だと嘲笑してください。あなたには、その権利があるのですから」

 どうやら、再び同じような事態に直面してしまったらしい。

 これほどまでに、交際相手に必ず何らかの問題が発生してしまうと、私は他者と交際してはならないと、何者かに告げられているようである。

 眼前の恋人の言葉通り、私には相手に対して感情的な態度を示しても良いのだろう。

 だが、そのような行為に及んだところで、誰が幸福と化すのか。

 私が怒りの言葉を吐き、破局を迎えることがなかったとしても、気まずいまま同じ時間を過ごさなければならなくなってしまうだろう。

 それを思えば、私がすべきことは、決まっている。

 私に出来ることは、迷っている恋人の背中を押すことである。

 私は口元を緩め、恋人の肩に手を置くと、

「きみの人生は、きみが決めるべきである。長い間、好意を抱き続け、それを伝えられる機会に恵まれたのならば、行動するべきだろう。私のことは、気にする必要はない。想いが成就することを祈っている」

 私の言葉を聞くと、眼前の恋人は頭を下げた。

 そして、私の頬に口づけをすると、

「あなたほどに素晴らしい人間ならば、何時の日か、良い女性に巡り会うことでしょう。そのときは、私に祝わせてください」

 その場を駆け足で去って行く恋人の背中を眺めながら、そのような日は訪れるのだろうかと、心の中で疑問符を浮かべていた。


***


 再び恋人と破局したことを伝えると、彼女は眉間に皺を寄せながら、

「心の底から、あなたのことを怒鳴りたい気分です。これほどまでに裏切り続けられてもなお諦めないとは、奇病にでも罹患しているのではないでしょうか」

 彼女の言葉を、否定することはできなかった。

 苦笑を浮かべることしかできない私を見つめながら酒を呷った後、彼女は頬杖をつきながら、

「諦めの悪いあなたに呆れながらも、あなたから離れようとしない私もまた、奇妙といえば奇妙でしょうね」

 そのように告げられ、私は首を傾げた。

「確かに、何故きみは、私に付き合い続けてくれるのか。去られても仕方が無いほどに、駄目な様子を見せていると思うのだが」

 その言葉に、彼女は口元を緩めると、

「あなたのその善良さが素晴らしいものであると、理解しているからなのでしょうね。おそらく、私以外の人間には、そうすることはできないでしょう」

 彼女の顔が紅潮しているのは、飲酒の影響なのだろうか。

 自分にとって都合の良い妄想をしたものの、その思考を即座に振り払った。

 彼女に問題が存在していないように見えたとしても、私の目が届いていない場所で彼女がどのような人生を送っているのかは、不明だからである。

 彼女に限って、爛れた毎日を過ごしているとは考えられないが、現実は分からないものだ。

 それに加えて、彼女とのこの時間を失うことは、恋人と破局することよりも避けたいものだった。

 ゆえに、私は彼女に対して、愛の告白をするつもりはない。

 そもそも、私の駄目な姿を見ている彼女が、私に対して好意を抱いているわけがないからだ。

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