第26話 運命

 程無くしてローレンスの手は力を失い、大剣からダランとずり落ちた。

その直後、彼の身体は融けるように崩れ去った……水風船が弾けるかのように、大きな血飛沫を上げて。

その場には、原型を失った肉塊が衣服と絡まったものだけが残された。


 思わぬ出来事に当惑していると、立て続けに不可解な事が起きた。

受け取った剣は未だ翠に輝いていたのだが、その光が意志を持ったかの如く蠢き始めたのだ。

間も無く、ミミズや線虫のような細い蟲の姿をした霊?が湧いて出て来る――この蟲がおびただしい数集まって光を構成していたと言う方が正しいのかも知れない。

輝く蟲どもはシャクトリムシのような歩き方で俺の体に這い登って来ては、続々と肌に染み込んで、姿を消して行く。


「ちょ、ちょっと待て。入って来てるのか⁉ 俺の中に!」


次の瞬間、俺は未知の次元の苦痛に襲われた。

意識を引き千切られそうな猛烈な耳鳴り、体が内側から裏返るような激痛。

抑え切れない何かの衝動が自分を突き破ろうとしている。

幾ら空気を吸ってもろくに息ができず、全身を掻きむしってのたうち回った。

それでも苦痛は増していくばかりで、やがて動くことすらできなくなり、呻きながら縮こまる事しかできなくなった。




 朦朧とし、ノイズだらけになった意識の中で俺は夢を見た。

つぶさな内容は覚えていない。そもそも、感じ取れていたかも定かではない。

けれど、頭の中を駆け巡った覚えの無い記憶に、俺は懐かしさと温かさを覚えた。

また、傍には悔いと嘆きを引き摺る誰かの跡があって、俺までもそっちへ堕ちないように

大切なものは守り抜きたいと思った――必ず守ら抜かねばならないと戒められた。




 目が覚めると同時に、苦痛は鉄砲雨のように去って行った。

剣も普通の状態に戻っている。


「ッ! ハァ……ハァ……ハァ……何だよ、これ……」


息は乱れ、汗も滝のように流れており、全身の神経が痺れるような感じもまだする。

この現象への理解も全く進まない。


それでも俺は託された大剣を握り締めて、すぐに立ち上がった。

ローレンスの屍すら置き去りにして行くのは薄情な感じが否めないが、彼だって分かってくれるだろう。

むしろ、今は継いだ遺志を無駄にしない事こそを望んでいる筈だ。

俺はあの人・・・と約束した。

だから、この弔意は行動を以って示すのだ。




 一難去って、また一難。

先の兵士たちは一人残らずバリスタの罠の餌食になってしまったが、それとは別の隊が新たに派遣されて来た。

勿論、それはあのデブ男・・・・・の差し金であろうが、彼らは前の者たちがどのような扱いを受けて死んだかなど知らない。

こちらを見つけるや否や、早速クロスボウを撃ち込んで来た。


「誰か居るぞ!」

「大司教殿の命令だ、この場に生きている者は誰であろうと撃ち殺せ!」


俺は慌てて汚れの主の巨体に隠れ、矢弾を凌ぐ。


(敵の増援……この剣で挑むのは無謀だよな、どうしたものか……)


止まない弾幕に行く手を阻まれ、難儀していたところ、

なんと、再び主が動き始めた。俺が盾にしたせいで目を覚ましたのは言うまでもないが、

ローレンスの最期たる会心の一撃を食らって尚立ち上がるとは、恐るべき生命力だ。

向こうの兵士たちも慄いている。

それから、俺はちょっぴり期待を抱く。


「これで向こうを襲ってくれたら――」


そう思った傍から、主はこっちを標的にした。


「で、ですよねー……」


俺は失望しながらも次の策を閃き――いや、思い出し、敢えて立ち止まっる。


「……来いよ!」


主は当然、殴り掛かって来た。

俺はそこでステップ・・・・を繰り出し、何とか躱した。

ローレンスの動きを見様見真似で一か八かやってみたところ、想像よりずっと上手く行って、自分でも驚きを隠せない。

かくして、主の空振ったパンチで壁に穴を開ける事に成功した……向こうの扉は兵士たちに完全警備されているので諦め、再び排水路で逃走する事にしたのだ。

俺は砕けて露出した土管の中にスルリと飛び込む。

主はしつこく俺を追って穴に顔を突っ込むものの、大き過ぎて入口で突っかかってしまう。


「届く訳無いだろ、お馬鹿さん」


などと小言を言っていると、今度はカエルのような粘つく舌を伸ばして来た。


「うわ、それは反則だろ!」


俺は剣で振り払いながら、何とか逃げ切った。

 ……かなり冷や冷やした。




 俺はローレンスのようにこの砦の構造をおおよそ知っているわけではない。

なのに、「勘が良い」と言うには不自然な過ぎるくらい正確に脱走経路が分かった。

正直、さっきから自分の様子がおかしいとは思っている……まぁ、今生き残れるなら何でも構わない。


 兵士の殆どが処刑場で暴走している汚染の主の対処に駆り出されているせいか、追手や警備は笊同然だった。

俺は遂に、【出口】という案内標識を見つけ、外への扉を控えた登り階段まで辿り着いた。

迷わず駆け上がろうとしたとき、視界に人の姿が現れた。

こちらを待っていたかのような位置取りだったもので、俺は警戒して一度立ち止まる。

相手は杖を握った長身瘦躯の男。

服装からして高位の聖職者だ。

顔の殆どを包帯で覆っている。


「少年よ」


彼はゆっくりと、そして淡々とした口調で話し掛けて来る。


「君にはこの先、悪夢と言う悪夢が待って居るだろう。それが分かっていて尚、進み続ける覚悟はあるのかね?」


俺が沈黙する間、壁の松明どもがパチパチと音を立てる。

相手のことはよく知らないが、きっとローレンスの生き様を重く捉える人物なのだろう。

軽率な言葉選びはできない。

俺は少し考えた……ただし、決して悩みはしなかった。


「……もし神が居て、この世で一番過酷な人生を俺に用意していたとしても、俺はその運命に立ち向かう」

「偉く大袈裟じゃないか。口が達者な者ほど臆病だと言うが、どうなんだね?」

他人ひとはそう思うかもね。でも、俺はもう何度も死にかけて、その度に大切な人を犠牲に救われて来た……」


母さんも生きてはいないだろう。

アシュレイも死なせてしまった。

シルビアにも辛い思いをさせて、

ローレンスに至っては言うまでもない。


「ここで逃げることは、あの人たちへの冒涜だ。俺はそこまで恥知らずじゃない! 誓ったんだ、邪魔するならあんたもここで斬る!!」


俺は背負っていたローレンスの大剣を抜いて、男に向けた。

我ながらたどたどしいものの、この構えは脅しなんかじゃない。

堅い信念がこの柄を握っているのだ。


「そうか……いいだろう」


そう言って男は動き出す。

俺は身構えたものの、彼はむしろ扉を開けてくれただけだった。


「行って来なさい」


そう言って男は俺を送り出した・・・・・

「悪夢」とやらに招き入れる・・・・・かのように。






・後書き――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ローレンスの大剣

ローレンスから託された一振りの大剣

それは彼の弔いたる意思、即ち慈悲の信念の象徴だった

丁寧な意匠も見て取れるが、今やすっかりさびれている

ただ、それは剣が永い年月を生きた事の裏付けでもあり

故に遠く険しい運命を共に旅する味方なのだ


 ローレンスの大剣、ビジュアル

https://kakuyomu.jp/users/yuki0512/news/16818093087054847513


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