第84話

『……最後に、これまでの自治区の島民やヒューマノイドを差別する人々に対して、私は誓約ではなく要請する。それは、科学によって解き放たれた欲望の力を無批判に使用し、計画的に、もしくは偶発的に、この世界や私たちの国家が、あるいは文明や文化が自滅することがないように……』


 その時ノックの音がして、古畑部長が姿を見せた。


「容態はいかがですか? 


 彼は大きなお腹を揺らしながら笑った。


「変なことを言わないでください。部長こそ、戦闘の中でその大きな腹に弾が当たらなかったのは神のご加護としか言いようがないです」


 精一杯、言い返した。


 弓田未悠の顔が脳裏に浮かぶ。結局、彼女の笑顔を見ることはできなかった。


 ルカと未悠、二つの命を並べた天秤は傾いたままだ。……自分はソフィに人生を奪われた少女の魂を死ぬまで背負って行くのだろう。


「おやおや。ご機嫌斜めですな」


「彼女は救世主にも総理にもなりたくなかったのですよ」


 赤坂が古畑に教えた。


「二階堂少佐は見つかりましたか?」


 問うと、古畑の表情がゆがんだ。彼は市庁舎地下の戦闘の時から行方が知れなかった。中華料理店の主人の車は、……もはや車の残骸でしかなかったが、その場に残されたままだった。


「彼の行方はまだ分かりません。残っていたのは愛用の拳銃だけです。軍の方にも連絡がないそうです。乱戦中、プラズマを浴びて骨の欠片もなく溶けてしまったのかもしれません」


「そんな……」殴られたような衝撃を覚えた。「……そんなことがあるはずないです。あっていいはずがない……」


「私が市庁舎の戦場に到着した時……」古畑が言った。「……二階堂少佐とわずかな警官がメタルコマンダー相手に奮戦していました。市長代理の派遣した、いや、あれはボーイが送り込んでくれたのでしたな。F-City側のメタルコマンダーも三体ほど残っていて、すぐに戦闘は終わると思いましたが、そこに新たなメタルコマンダーがやってきました。ソフィ側のやつです。それで戦況は一転して不利になった……」


 古畑が目を閉じた。自分の活躍を思い返しているようだった。


「……私がプラズマ銃のエネルギー交換パックを警官に配り歩いたのですよ。二階堂少佐にも。……それから自分も撃ったが、ほとんど命中しなかった。……成果を上げているのは少佐だけでした。そうしている間に、我が方のメタルコマンダーは全て沈黙。何度も死ぬと思いました。七度目、いや、八度目かもしれません。私の背後に一体のメタルコマンダーが回り込み、今度こそ死んだと思いました。持っていたプラズマ銃のエネルギーが切れたところでしたから。……その時、突然メタルコマンダーが止まったのです。死んだのではありません。停止したのですよ。……あれがソフィの最後の時だったのでしょうなぁ。市長代理、いや失礼。総理がソフィを倒さなければ、今、私はここにいなかったわけです。しかし、二階堂少佐は……」


 古畑が鼻水をすすり上げた。


『……新たに始めようではありませんか。礼節は弱さの証しではなく、誠実さは勇気の証しであるということを思い起こし、決して恐怖心や猜疑心さいぎしんとらわれないようにしましょう。市民と市民と、人類とヒューマノイドとを対立させている諸問題をくどくど論ずるのではなく、お互いが依存しあう存在であることを受け入れ、新しい世界を切り開きましょう。科学を恐れるのではなく、欲望をさげすむのでもなく、一緒に地球環境の改善に力を尽くし、宇宙と海底を探査し、芸術を奨励しましょう。……地球環境変動の中、私たちは日々、生きるという戦いの中にありますが、それは武器を持てという呼びかけではありません。私たちは、希望を右手に、苦難を左手にたずさえて、今の時代の黄昏たそがれとの闘いの重荷を引き受けよ、という呼びかけです……』


 そうだ。生きている者は、今を全力で生きなければならない。……ルカは改めて決意した。


 あれは?……画面に映った群衆の中に気になるものを見つけた。


「なかなか見事な演説ですな。まるで加賀美さんの広報動画のようだ。とても生まれて数日程度のヒューマノイドとは思えません」


 鼻をかんだ古畑がガイアの演説に感心した。


 それはそうだ。ソフィが神にしようとしたガイアなのだ。それよりも、……リモコンを手に取り、気になる場所をクローズアップした。


「あれは……」


 そこに二階堂の姿があった。瞳を輝かせて演説するガイアを見ている。


「あいつ、生きているぞ!」


 古畑が奇声を上げた。


 ルカの胸に安堵と不安の渦が巻く。


『……ネオ・ヤマト国の長い歴史の中で、国家が存続の危機にさらされたことは少なく、多くの世代は安穏と過ごすことができました。しかし今、私たちは地球環境の変化と人口減少という最大の危機に直面しています。そういった問題を打破する役割を与えられた世代はごく少ない。……私はその責任から尻込みしない。私はそれを歓迎し、立ち向かう。……私たちがネオ・ヤマト国の再建にかけるエネルギー、信念、そして献身は炎のごとく、その輝きは人類とヒューマノイドのすべてを照らすのです。……だからこそ、ネオ・ヤマト国に住む同朋どうほうの皆さん、……誰かがあなたと同じであるかと問わないでほしい。あなたが誰かと異なることを恐れないでほしい。誰かの無関心を、自分の無関心の理由にしないでほしい……』


!』


 群衆の中で声がした。


! 俺だ!』


 ルカは慌ててリモコンを手にして声の主を探した。


 ほどなく彼が見つかった。真っ黒に日焼けした中年男性が手を振っている。遊田剛毅ゆだごうき、ルカの実の父親だった。夢島を脱出した時に生き別れになり、てっきり死んだものと思っていた。しかし父は、あの頃と変わらない。いやむしろ、表情は野性味を増して生き生きとしていた。


 碇島に流れ着いたのか。……そこで父がどんな風に生きて来たかと思うと、頬を涙が伝い、額の傷がヒリヒリ痛んだ。


 この傷跡で、父が気づいてくれたのかもしれない。……それが分かると、痛むのも嬉しかった。


『……そして、其々の相違が大地に開く一つ一つの花のように、夜空に輝く一つ一つの星のように、かけがえのない美しいものだと知ってほしい。そして、異なるすべての命の輝きを尊重し、とりわけ自分の輝きに誇りを抱き、全ての誇りある同朋と手を携えてほしい。私がその紐帯ちゅうたいとなりましょう。もはや私たちの間を分断するものは何もありません……』


 演説が終わると巨大な扉が解放された。


 ――ウォォォォォ――


 門をくぐって朧岬に向かう群衆の咆哮ほうこうに、剛毅の声がのまれて消えた。


 慌てる必要はない。そこにいると分かった今、そして、行き来を遮るものがなくなった今、父を探すのは簡単だ。


 ガイアの顔がアップになる。額の傷に弱虫の友瑠を思い出し、感傷的に浸る。


『どうかしましたか?』


 ルカの変化をボーイは見逃さなかった。


「ううん、ちょっと泣きそう」


 モニターのガイアに笑みを送った。


 彼女こそが時代を革新に導く救世主、加賀美ルカ。そして今の私は影。


 それでいいの? いいえ、私は私の実体でいたい。

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