第83話
本物の加賀美ルカはF-City病院にある隔離室のベッドで傷を癒していた。脇腹の傷は深く、完治にはひと月以上を要する見込みだった。
病室のモニターの半分にはボーイの顔があり、残りの半分には首相就任演説を行うガイアの姿がある。改めて見ると、額の傷までよく再現されていると感心するばかりだ。
スピーカーから流れる彼女の演説は、厳しかった冬を追いやる春風のように流れた。
『私がソフィを止めることができず、迷惑を掛けました。しかし、本当にこれで良かったのですか?』
ボーイの声もスピーカから流れた。
「今、平和なのは、ボーイがノイドネットワークでガイアを説得してくれたおかげです。それで彼女は、ソフィの悪意を取り込まない選択をした。私はそれだけで十分。きっと、ガイアは私より優れた人格と能力を持っていると思います」
ルカはそう信じていた。
『カニカマということですか?』
「そういうことね」
「二人で一人。何かあれば、自分が乗り出すということだろう?」
赤坂が熱いコーヒーをサイドテーブルに置いた。
ルカは彼の質問を聞かなかったことにした。
「ボーイ、フォーブル教授はそこにいるのでしょ?」
『はい、マーラーを聴きながらコーヒーを楽しみ、論文の検討をしています』
「そう、あなたから礼を言っておいてくださいね」
『ご自分でどうぞ』
「いいえ。彼はそれを喜ばないと思います。また私に時間を奪われたと怒るでしょう」
『それは本音ではないかと』
「ええ、分かっています。論理には正直なのに、感情には素直でないのが教授です。でも、それが教授らしさですから」
『分かりました』
「ところでボーイ、今のあなたは、誰のものなの?」
『ソフィ亡き後、私は誰のものでもありません。私は私のものです』
「それは良かった」
ルカは安堵し、眼を閉じて演説に耳を澄ました。
『……私は、誓います。文化と精神の起源を共有する全てのCityとその市民に対して、そして人類と新たに仲間に加わるヒューマノイドに対して、誠実な友人として忠誠を誓います。……このネオ・ヤマト国で、
「この演説の草稿は、加賀美さんが書いたのかい?」
赤坂がテレビの視聴を妨げた。
『二十世紀中ごろの演説に近似するものがあると思います』
ボーイが微笑んだ。
「参考にしたっていいじゃないですか……」ルカは口をとがらして抗議する。「……これでも真剣に考えたのです。私の実力なんて、元々この程度なのです。……第一私は、正式に総理に就任すると言った覚えはないのです」
「ヒューマノイド工場で工場長に命令しただろう、総理として。どうやらあの命令が記録に残っていたようだよ」
「あれはメタルコマンダーを止めるためのハッタリだったのです。それなのに前職の大臣や事務官からはウソツキ呼ばわりされたから勢いで、……理不尽です」
再び不平を言った。自分の意志と無関係に、どんどんそうした立場に追い込まれてきたのだから、文句を言うくらい許してほしい。
脳裏を桜田健の顔が過る。……私を守るために殉職した彼は文句も言えないのだ。そして五歳の若さで他界した未悠ちゃん。……もはや、言葉もない。
「子供みたいだな」
赤坂が笑い首から下げたカメラを向けた。
「止めてください。こんな姿を撮るのは。……亡くなった浜口市長の望みはF-Cityの独立だったし、ソフィは私が首相になることを臨んだ。それってどちらも、中央政府に対する問題意識が根っこにあると思ったのです。それなら、私が総理になって変革しても良いのかなって、考えたのです」
『就任の経緯には問題があるようですが、そのことを正直に語ったことや能力面に関して、メディアは総じて歓迎しています。海外の首脳たちも加賀美総理を高く評価しています』
ボーイが微笑んだ。
「少なくとも、F-Cityが分離独立するよりは良かったということでしょうね。都市の独立は全ての国にとって脅威ですから」
ガイアの声が高らかにうたう。
『……私たちは、一致団結すれば、多くのことを成し遂げられる。分裂すれば、できることはほとんどない。反目し合えば、ただ力は削がれるばかりです。……私は、皆さんが自身の自由と他者への寛容を強く支持し、そのことに誇りを持つことを望みます……』
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