最終章 就任式

第82話

 頭の中で〝天国への階段〟が流れていた。真っ白なスーツ姿の彼女は急な階段を音もなく上る。


 階段の最上段に立つと、祭典の臨時職員となったがドアを開けた。


「ありがとう」


 彼女は言った。


 ドアの向こう側に青い空が広がっていた。スカイはセンサーを使って空を見上げた。その胸中は誰も知らない。


『加賀美ルカ、新総理の登場です』


 スピーカーから司会者の紹介がある。


 ――ウォォォォォ――


 青い空に歓声と拍手が湧きのぼる。


「行ってらっしゃい」


 スカイがささやく。


 ――トン――


 彼女は一歩踏み出した。


 そこは碇島と朧岬をつなぐ橋の中ほどにある巨大な門の上部、海面から高さ35メートルほどにある監視台だった。南には碇島が、東には太平洋、北に朧岬を臨むことができる。かつて、国軍の兵士やメタルコマンダーが立って、島民が脱出するのを阻止していたそこに、彼女は立ったのだ。


 白いスーツ姿が青い空に映える。


 ――ウォォォォォ――


 どよめきは橋の上に集まった島民のものだ。中央政府の長きにわたった攻撃と抑圧で、彼らの多くはやせ衰え、瞳には獣のような光があった。その光が今は、怒りや恨みのそれではなく、期待と希望に変わっている。


 彼女が自治区の市民を含めた全てのネオ・ヤマト国民の平等と、ヒューマノイドの権利をも認めるという政策は、首相選挙の立候補演説で国民に知られていた。それを彼らは歓迎しているのだ。


 監視台の周囲を30台ほどのドローンが飛び交っていた。20台は様々なメディアのカメラで、会場の全景を視聴者に送り届けている。残りはF-City警備部の警備ドローンだ。メディアのカメラの先には6千万の国民と5千万のヒューマノイドがいる。いや、70億の世界市民と、世界中で働く50億のヒューマノイドがいるはずだ。


 彼女は静かに深呼吸をする。


 群衆は静まり、言葉を待った。


 彼女は、ゆっくりと口を開く。


「国民皆様の投票によって、総理に選任された加賀美ルカです」


 ――ウォォォォォ――


 再び歓声と拍手が渦巻いた。


 彼女は、静かに歓声が治まるのを待った。その知的な唇が言葉をつむぐのを、人々は期待して我が口を閉じた。代わって彼女の唇が動いた。


「今、私は、私の総理就任を喜ぶのではなく、人種や民族、思想、宗教を超え、その先に人類とアンドロイドの共存共栄を見据えた覚悟を表明するものです。……それは、新しい時代の始まりであるというのと同時に、地球がもたらす果実を人類だけが消費し、その負荷をヒューマノイドだけでなく、生きとし生けるもの、母なる海と大地が背負う一方通行の時代の終わりを宣言するものであり、地球環境と、全ての生物のライフサイクルの再構築を意味するものです……」


 そこで言葉を切った彼女は深く息を吸い、橋の上に集まった人々の顔と、周囲を舞う多くのカメラを、黒い大きな瞳でゆっくりと見渡した。


 集まった群衆は無知なのだろう。半ばポカンとした顔で彼女を見上げている。


「……一部のヒューマンプログラムの暴走でネオ・ヤマト国のCityが危機に陥り、多くの人命とヒューマノイドの命が奪われました。……一方、少子化で衰退した先進国社会が、あらゆる形のヒューマノイドと人工出産という文明の力を借りて復活しようとしています。……そうした事象が象徴するように、今や世界は大きく変貌しようとしています……」


 相変わらず群衆はポカンとしていた。


 自分の権利は分かっても、地球環境と自分の関係は理解できないようだ。人間は愚かだ。だからか、愛おしい。……彼女の眼差しに菩薩の慈悲が宿る。


「……私たちの文明とは何か、幸福とは何か、自由とは何か、命とは何か。……そうした課題が、今も依然として世界中で争点となっています。それらの探求は、おそらく永遠に続くのでしょう。しかし、それを行う私たちの権利が、国家の寛容さからではなく、宇宙を創世した神の手から始まったということを忘れてはなりません。それが意味するのは、この世の万物が平等な権利を有しているということなのです。これまで島々に幽閉ゆうへいされていた人々が、その権利を所有しているという事実も、同様に明らかです……」


 ――ウォォォォォ――


「カガミィー、期待しているぞー!」


「ルカサマァ、あんたは神だぁ!」


!」


 様々な声が耳に届く。


「……今この時、この場所から、友人に対しても敵に対しても、人間に対してもヒューマノイドに対しても、次の言葉を伝えたい。……すなわち、使命は、我々新しい世代に引き継がれた、と。……それを担うのは、この地球上に生まれ、幾多の災害と騒乱の苦難に耐え、法と相互愛、平和によって律せられることを誇りとする多様な形の命を持つ世代であり、そして、命の軽視と、外国人や他民族、ヒューマノイドへの差別を、不本意とする我々なのです」


 ――ウォォォォォ――


「カミィ!」


!」


 彼女は、その存在に気づいていた。、夢島で親しかった朱莉友瑠あかりともるだ。弱虫だったはずの彼が、碇島に渡って反政府の戦士になっていたのだろう。それは可能性か、希望か、……何を物語っているのだろう?

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