第81話

 弓田未悠を抱きかかえたルカは水路に沈んだ。メタルコマンダーがほぼ同時に落ちて大きな波紋を作った。


 赤坂が慌てて水路を覗き込んだ。


「クソッ……」


 水底みなそこから大量の気泡が湧きあがり、乱反射する光がルカの姿を隠していた。彼の視線が下流に向かい、流されているであろうルカの姿を捜した。


 赤坂を追い越す影があった。作業着を着たヒューマノイドで、あっという間に五メートルほど先まで走るとイルカのジャンプのような軌跡を描いて水中に身を沈めた。


 ヒューマノイドが沈んだ辺りの水が濁った。


「なんだ?」


 水中を覗くと、発電機のプロペラの周囲から黒いオイルが流れ出しているように見えた。


 ほどなく水面が盛り上がり、先ほど飛び込んだ作業着姿のヒューマノイドの頭が現れた。改めて見る、その頭には顔がなかった。その腕が、ルカを抱きしめている。彼女から、オイルだと思っていた物が流れ出していた。青い光の中で見えた黒いものは血液だった。


「出血しているぞ」


 初めて見る大量出血に彼の声は震えていた。


「手を貸してください」


 顔のないヒューマノイドに言われ、慌てて手を差し伸べた。


 引き上げてみると、ルカの脇腹からドクドクと血があふれていた。上着をめくると二十センチほどの切創がピンク色の肉をさらした。


「私が処置しましょう」


 ガイアが申し出ると、赤坂のシャツに手を掛けた。


「な、なんだよ……」


 理解できずにいる彼からシャツを引き裂いて奪うと、更に切り裂いて三角巾と包帯状の物を作った。


 水路から顔のないヒューマノイドが上がった。その作業着はぼろ雑巾のようにズタズタに引き裂かれていた。盾になってプロペラからルカを守ったのに違いない。


「助けてくれてありがとう」


 赤坂が礼を言うと、顔のないヒューマノイドが首を振った。


「私のミスです。加賀美市長代理は、発電機のプロペラで傷を負ったのです」


「小さな女の子はどうした?」


「ソフィは、ずっと先まで流されました」


 ルカは、彼らのやり取りを夢のような世界の中で聞いていた。そのやり取りが明瞭になるほど、どこか分からないけれど、傷の痛みが増した。


 助けてくれたヒューマノイドは、弓田未悠の身体をソフィだと認識している。彼は何故、先にソフィを助けなかったのだろう?……痛みの中で考えた。すると激痛に襲われた。


「ウゥ、……ィタッ……」


「加賀美、大丈夫か!」


 赤坂の声は、頭の中で爆発したようだった。


 大声を出さないで。……そう言ったつもりだが、口から出たのは「ウァ……」という悲鳴のようなものだった。


「意識が戻ったから大丈夫……」


 ルカは自分そっくりの声を聞いた。声は続いた。


「……放射性廃棄物管理タイプ、EFU0008、説明を求めます。何故、ソフィを助けなかった?」


 ガイアもルカと同じ疑問を持っていた。


「私の名は、スカイ……」顔のないヒューマノイドが反発するように応じた。「……理由はただ一つ。私は浜口市長を尊敬している。彼が私に名前を与えてくれた。そして彼は、自分に何かあった時には加賀美ルカを代理とすると宣言した。彼は、誰よりも彼女を信頼していた。なので、浜口市長に代わって彼女を助けた」


 音声機能が脆弱ぜいじゃくなのだろう。その声は台詞を棒読みしているようなものだったが、内容は愛情にあふれていた。


 ルカは、浜口市長を久しぶりに思い出した。目尻が濡れた。……私は彼の期待に応えられているだろうか?……そして思い出した。彼がF-Cityの独立と、島の人々の救済を考えていたことを。救済、それは普遍的な愛だろう。


「……未悠ちゃんを、……助けて……」


 ルカは目を開け、痛みをこらえて側にいるガイアとスカイに頼んだ。


 赤坂の背後で水面が大きく揺れる。沈んでいたメタルコマンダーが水中から上がった。


「逃げるぞ」


 彼がルカの手を取った。


「イタタタタ……」


 激痛で顔が歪む。


 赤坂の肩をガイアが抑えた。


「だいじょうぶ。メタルコマンダーは攻撃しない」


「君が止めてくれたのか?」


 ガイアは首を横に振った。


「それじゃ……」


「ソフィが死んだ。そして彼らは、自分の意思で戦闘を中断した。彼らにはそれができる」


 ガイアの声。それはルカが知りたくない情報でもあった。


「……未悠ちゃんは……?」


「加賀美さん。残念だが、あの子はソフィと一緒に死んだそうだ」


 耳元でささやく声がした。


「どうして……」


 横たわったまま泣いた。彼女の死が心臓をわしづかみにしていた。


「君はスーパーマンじゃない。出来ないことだってある」


「そう。私はスーパーマンじゃない。ただの市長代理……」


 起き上がろうとしたが、痛みがひどくて無理だった。死んでしまいたいと思った。


「これじゃ、死ぬこともできない」


 水路に飛び込もうにも、手足に力が入らない。


「馬鹿なことは考えるな。加賀美さんに死なれたら、俺が困る」


 確かに、彼に迷惑をかけることになるだろう。そうしたのようなものが、この世の生きにくさ、いや、今は死ににくさだ。……考えると、少し落ち着いた。


「私を助けたのは、誰?」


「スカイだ」


 赤坂が、ルカの頭をスカイに向けた。


「ありがとう。……でも、助けられたのが未悠ちゃんなら、もっと良かった」


「そんなことを言うなよ。あの子は、どの道助からなかった。ソフィに体力を削られたんだ」


 赤坂が言った。


「それでも、私には責任があった」


「あなたは、私に空を見せる責任があります。浜口市長の代わりに」


 スカイの言葉にルカは目を閉じた。唇から嗚咽が溢れた。しばらく泣くと、唇を真一文字に結ぶ。


 泣くのは終わりだ。


「そうね。私は宿題をたくさん抱えている。みんなに申し訳がない」


 脳裏をボーイや二階堂の顔が過った。


「さあ、あなたたち、を地上まで運びなさい」


 ガイアがメタルコマンダーに命じた。

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