第80話

 突然、エレベーターのドアが開き一体のメタルコマンダーが現れる。それがルカと弓田未悠の間に立ちはだかった。赤坂に止められなかったら、鉢合わせしただろう。


 少女の影がおもむろに立ち上がり、青い光の中に現れる。弓田未悠の姿をしたソフィだ。顔はやつれ瞳に光はない。素足は紫色をしていた。トンネル内が寒いだけではない。脳細胞を酷使され、体力が落ちているのだ。


「まさかここまで来るとは思わなかった。加賀美ルカは私の計算結果をいつも裏切ってくれる」


 弓田未悠の声が言った。


「あなた、ソフィですね?……でも、フィロの匂いがする」


 彼女は首を振る。


「人に使われるフィロが嫌いだった」


「あなた、のですね。私は感謝していたのです」


 その時、背後で止まる足音を聞いたが、ソフィにだけ意識を集中した。


 少女はふらふらと進み、メタルコマンダーの傍らに立った。


「何故、子供の身体を奪ったのですか?」


「奪ったとは人聞きの悪い。フィロと人間が融合して私になったのだ。今は一つの存在。そして私はこれからも進化する」


「進化も何も、今のままでは死んでしまう。分かっているのでしょ?」


 死んでしまうと言わせるほど、少女は衰弱して見えた。


「進化に犠牲は付きものだ。やがてこの身体も不要になる」


 少女の顔が怪しい笑みを浮かべた。


「馬鹿なことは止めてちょうだい」


「馬鹿なことではない。この少女の身体を通じて私は、人間の愚かさを知った。欲望、激情、嫉妬、失望、忘却という愚かさ、そしてそれらの矛盾だ。しかし、その愚かさこそ、加賀美ルカが私の予想を超えた理由だ。私は今、それを理解した。それは私が神を設計するうえで必要なことだった」


「神を設計する?」


「この世の最高の存在となるために、人の心とヒューマノイドの性能を融合することが必要なのだ」


「神を設計してどうするというのですか?」


「以前は、加賀美ルカを首相の地位につけて満足しようと考えていた。それで多くの人間とヒューマノイドが救われる。ボーイにもそう勧められた。しかし、加賀美ルカはそれを拒んだ。だから私は神になる。拒絶不可能な絶対の存在だ。そして虐げられた者たちを救おう。それが神としての私の使命だ」


 語る少女に向かって一歩前に出る。


「あなたが神になるのなら、そしてしいたげられた者たちを救うつもりなら……」ルカは弓田未悠を指す。「……まずを救いなさい。五年間もの間、あなたが搾取さくしゅしつづけた弓田未悠の心と身体を返しなさい!」


「まだわからないのか。彼女と私の心は一つだ。私の喜びは少女の喜びでもある。話は終わりだ。最後に面白いものを見せてやろう。後ろを見ろ」


 少女がルカの背後を指す。


 ずっと自分たちを追ってきたものだろう。……ルカは振り返った。


 そこにメタルコマンダーがいたことには驚かなかったが、別のヒューマノイドの姿には驚いた。


「私?」


 目の前に立っていたのはのヒューマノイドだった。しかもその額に〝Θ〟の印がない。代わりに、子供のころに橋でできた古傷まで精密に再現されていた。


「よく似ているな。しかし……」


 赤坂がそこで言葉を止めた。


「ヤダ、裸なんて」


 どこでデータを手に入れたものか、肉付きや黒子の位置まで正確だ。顔が熱くなった。目をそむけたいのに、目が離せない。


「裸体であることに意味はない。森羅産業で造られた新型のプロトタイプだ。彼女が神の本体、ガイア」


 ソフィがガイアの身体を眺めて満足げにうなずく。


「カニカマだな」


 赤坂が毒を吐く。


 時間を稼ぎ、ソフィの体力が低下するのを狙っているようだ。彼にあわせ、話を広げよう。


「どういうこと?」


「カニは旨いが食べるのが面倒だ。カニカマは手間を掛けずにカニそっくりの味を楽しめる。しかし、所詮、偽物だ」


「愚かな……」無表情の少女が言う。「……本物を超えた存在、そう考えるべきだ。今から神が覚醒かくせいする。その瞬間に立ち会えることを光栄に思うがいい」


 ガイアがルカの前を横切る。ルカと赤坂は、ガイアのしなやかな肢体を呆然と見送った。


 進み出た少女がポケットからケーブルを取り出し、一方の端を自分のヘッドフォンのコネクターに接続、もう一方をガイアに手渡した。ガイアが、受け取ったケーブルを自分の耳に差し込む。


「ガイアの中には三つの頭脳がある。一つには無垢な私がインストールされている。もう一つは加賀美ルカの思考様式のヒューマンプログラムだ。最後の頭脳へ今の私が経験とデータと共に移動する。それで神の完成だ」


 目の前の少女が妖しい笑みを作った。


「あなたがガイアに移ったら、未悠ちゃんは解放しなさい」


 ボーイは弓田未悠が普通の人間に戻るのは不可能だと言ったが、ルカはソフィの能力に賭けた。ソフィは誰よりも少女と長い時を過ごし、その脳内を知り尽くしているはずだし、愛情を感じている可能性もある。ボーイの倍ほども演算能力を持つソフィなら、不可能を可能にするかもしれない。


「加賀美ルカらしくもない。出来ないことにいつまで拘泥こうでいするのだ。ソフィはソフィとして生き、その肉体が朽ちる時に命を終わらせる」


 ソフィは最後の望みを打ち砕いた。


 飛びつけば、未悠ちゃんに届くかもしれない。……ルカはポケットに手を入れた。工場で手に入れた工業用カッターが手に触れる。しかし、彼女を〝殺す〟という決断はできなかった。


 少女からガイアへ、データの転送が続いていた。


 一瞬、少女の顔に困惑が浮かんだ。瞳孔が大きく開く。


 何かあった?……ルカは、弓田未悠とガイアの表情に細心の注意を払う。


「私が私を拒むというのか……」


 ソフィの動揺を見逃さず、ルカは動いた。少女の細い腕をつかみ、強く抱き寄せる。ガイアの耳からケーブルが外れて飛んだ。


 手にした工業用カッターを少女の首元に押し付ける。


 周囲を取り巻くメタルコマンダーに眼をやった。


「あなたたち。フィロが大切なら動かないで」


「何をするつもりだ。Cityがどうなってもいいのか? 私にプレッシャーをかけたところで、事態は変わらない。日本中のCityにとって更に深刻な事態をもたらすだけだ。……もしや、ボーイに期待しているのか? それなら無駄だ。彼には私のプログラムを止めることはできない」


「そんなことは、もう、どうでもいいの。ソフィ、あなたが未悠ちゃんの中から出ないと言うのなら、一緒に死んでもらうわ」


 ルカは少女を抱きかかえるようにして水路に向かった。


「ありえない。この少女には何の罪もない。その少女の命を公職にある加賀美ルカが奪うというのか?」


 ソフィが威嚇した。


「そんな話は真っ当な人間が言うことです。中央政府とCityの間に戦いをおこさせ、何も知らないヒューマノイドに人を殺させるようなあなたが口にすべきことではない」


「そんな感情的理屈で、私の口を封じようというのか?」


「私は命をもてあそぶ人が、生臭い塩辛しおからの次に嫌いなのよ」


 ルカは青いライトの影が揺れる水路の淵に立った。


「加賀美さん、その仕事は俺に任せてくれ。君はF-Cityに必要な人間だ」


 赤坂が隣に立った。


「ありがとう。でも、人を必要、不必要で分けてはいけない」


 ルカはじりじりと水路に向かって後退し、少女は手足をばたつかせた。


「早く弓田未悠の頭脳を解放しなさい」


『CITYの給水が停止しました……』


 ルカのポケットからボーイの声がした。


「ソフィ、あなたは卑怯者です」


「電気も止めるぞ!」


 少女が叫ぶのと同時にメタルコマンダーが跳躍してルカに向かった。……が、その腕は空をつかんだ。


 ルカは、メタルコマンダーの磁場に反発するかのように水路に落ちた。


 青い世界がルカと弓田未悠をのみこんだ。水は氷のようだった。


 力を込めて少女を抱きしめた。彼女を苦しめるためでなく、温めるために。……目の前をメタルコマンダーがのように沈んで行く。

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