第79話

 梯子はドアのある狭い空間で終わっていた。ドアの横の壁にタブレットほどのサイズの計器盤があり、青い明かりに酸素や一酸化炭素など、数種類の気体の濃度と放射線量が表示されていた。項目ごとに小さな緑色のランプが点滅している。計器盤の隣には、鈍く光る赤色の開閉ボタンがあった。


「安全なようです」


 ルカは、赤坂に言った。計器の数値がどの程度のものか分からないけれど、一本道を進むのに計器盤の数字を検討するつもりはなかった。


「分かるのかい?」


「緑色は安全ということでしょ」


 躊躇わず赤いボタンを押す。隣で赤坂が渋い顔をした。


 鈍い音がしてロックが外れた。ドアは密閉タイプの横開きだった。ブシュっと空気が漏れるような音がしてから、それは開いた。


「なんだ、これは!」


 赤坂が素っ頓狂な声を上げた。


 ドアの先にあったのは、青い照明に照らされた幅五十メートル、天井まで二十五メートルほどの広大な空間だった。その全長は先が見通せず、目測では測れない。


 幅六メートルほどの通路に並行して幅三メートルほどの水路がある。本来なら人目に触れずに流れる地下水脈だ。その中では水力発電のプロペラが回っている。直径二メートルほどの船のスクリューと同じ形のものだ。それが青い光の源だった。


 水路に沿って一辺が四十メートルほどの正方形のプールが連なっており、水路から水を取り込み、隣のプールに流れる仕組みだった。


 プールとプールの間には金属製のデッキが渡されていて、水中を覗き見ることができる。プールの中には長さ十五メートル、直径三メートルほどの筒状の金属容器が二十体ほど沈んでおり、青い光を微かに反射して幻想的な風景を作っていた。


 通路に降りたルカは、その場に座り込んでしびれた指をさすって温めた。


「加賀美さん、すごいぞ!」


 赤坂がレールをまたいで、デッキに上るとプールに身を乗り出して水中を覗いた。レールは、プールの両側を水路と平行にレールが走っている。荷物を運ぶ台車や機械室が移動するためのレールだ。


 プールに沈んでいる金属容器の前後から細いラインが伸びていて、その先は水面に伸びていた。内部のデータを送るアンテナだ。


「これのために中央政府はF-Cityを造ったのか……」


「そうだと思います。Cityは隠れ蓑。ヒューマノイド工場が上にあるのも、人やヒューマノイドの出入りをごまかすためだと思います。おまけに工場では、地下は汚染されているといって人間を遠ざけた」


「なんとも、壮大な嘘だな」


 ルカはパンプスを脱いでから立ち上がり、赤坂に並んだ。足元からひんやりとした感覚が昇って来る。それに混じって彼の体温を感じた。


「時間がありません」


 ルカはパンプスを履きなおした。


 核廃棄物管理施設は巨大で、国際港から市庁舎の地下まで数十キロもの長さで横たわっている。ソフィはそのトンネルを利用してF-チャイルドホームを抜け出し、今日は市庁舎地下駐車場の戦場から脱出したのだろう。


「ボーイ、どっちに行けばいい?」


 赤坂が訊いた。


『フィロは市庁舎から施設に下りるのに体力を使ったはずです。現在の正確な居場所は特定できませんが、そこから市庁舎よりの場所で体力の回復を図っていると推察できます。……気を付けてください。フィロはメタルコマンダーや仲間のヒューマノイドをそちらに向かわせているはずです』


「教授、古畑部長に連絡を入れて応援を回してもらってください」


『伝えてみるが、彼も市庁舎地下の戦闘でバタバタしているようだ。期待せず、待ってくれ』


 フォーブルの返事は科学者らしく正直だった。


「少しぐらい希望が持てる話をしてくれてもいいのに」


「市庁舎は、あっちだな」


 ルカがぼやくと、赤坂が上流を指して歩き始める。それまで地下水の流れと発電機の音に満たされていた世界に、二つの生き物の鼓動が加わった。黙々と歩く二人は、まるでロボットのようだった。




 同じ行動と風景の連続は、時の流れが止まったかのように錯覚させる。百メートルごとに発電機のプロペラがあって、それを見るたびに前のプロペラの場所に戻ったのではないかと錯覚してしまう。しかし、実際は違う。二人は確実に前進していた。


 いくつか細い横道があった。その先に少女が隠れる可能性はあったが、ルカは自分の勘に従い真っすぐ進んだ。


 赤坂が突然、足を止めて振り返る。


「どうしたの?」


「足音のようだ」


 彼がささやいた。


 耳を澄ますと、確かに足音のようなものが聞こえる。


「誰かが追ってくるようだ。急ごう」


 二人は足を速めた。


 ほどなくトンネルの景色に変化を感じた。


 それは変哲もないエレベーターのドアの小さな窓から洩れる光から始まる。その光が差す場所の少し先、水面から五メートルほどの高さにゴンドラのような機械室が浮いていた。水路の両側のレールから伸びた足がそれを支えている。


 機械室には小さな窓はあるが光はなかった。内部で作業をするヒューマノイドには光が要らないのに違いない。機械室の下には八つのクレーンがカニの足のように伸びていた。水中の金属容器を持ち上げるためのものだ。


 クレーンの影が落ちる通路、その闇の中に膝を抱えて座る少女の影があった。


「未悠ちゃん」


 駆け寄ろうとすると、赤坂が肩を抑えた。


「彼女はソフィだ」

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