Ⅺ章 少佐
第72話
二階堂は、助手席のフォーブルが命じる場所に向かってハンドルを切った。そこにソフィ、あるいは弓田未悠という少女がいるのだ。フォーブルがノイドネットワークを探索して導き出した答えだった。
「どうしてF-Cityに戻ってきた。君は、中央政府の軍人だ。戻ってくる必要などなかったはずだ」
「自分が中央政府の犬だとでも?」
フォーブルの問いに、面倒くさいと思いながら応じた。
「可能性は否定できないだろう? ありうることだ。それとも……」
彼が意味ありげな笑みを作る。
「……
「惚れた?」
「加賀美君にだよ」
「まさか……」
唇を結んだ。確信はない。
「まぁ、君が犬でも、スパイでもいい。加賀美君の役に立ってくれ。君が惚れているなら尚更だ。……おっと、そこを右に行ってくれ」
突然の指示にも、二階堂は反応した。ハンドルを素早く回すとタイヤがキュルキュルと鳴いて車が向きを変えた。
「さて、着いたようだ。あの建物だ」
フォーブルが差したのは、シンプルな作りのF-セントラルホテルだった。City内で戦闘があったからか、普段なら人の多いホテル前のアプローチにも往来は少なかった。
「304号室だ」
駐車場に車を止め、フォーブルの声を受けて先行した。体力において、若い二階堂はフォーブルにはるかに勝っている。
ホテルの正面玄関から入るとフロントには寄らず、廊下の突き当たりの非常階段を駆け上がる。誰にも咎められることなく、304号室のドアの前に立った。
周囲に人目がないことを確認し、車の鍵を手に取る。それにぶら下がっているキーホルダーは電子錠を解除できる便利なツールだった。
それを使って自動ドアのセンサーを止め、ドアの電子錠を解除したところにフォーブルが追いついた。
「さすがに特殊部隊は便利な道具を持っているのだな」
「これが国家権力です。ですが、これは軍の正規な装備ではありません。類似品です」
そう断り、ドアに強力な吸盤をつけて横に滑らせた。
室内に踏み込んだ二階堂は、洗面所とトイレやクローゼットのドアが並ぶ廊下を三歩進んで足を止めた。
部屋はありきたりのシングルルームでセミダブルベッドが一つと応接用のソファーセット、机とサイドボードが並んでいた。ベッドはシーツが乱れており、使用した形跡があった。その傍らに、ボーイが壁に背中を当てて床に座り込んでいた。
「どうした?」
二階堂はフォーブルの声を背中で聞いた。
「ボーイです」
「なんだって……」
フォーブルが顔をゆがめた。
二階堂は銃を手にして廊下を進む。
ヒューマノイドなら検知するはずの振動や音がしても、ボーイは全く反応しなかった。
「死んでいる」
二階堂はそう判断した。
「死んでるだと?」
フォーブルが二階堂の背中を押しのけるようにしてボーイの前に屈んだ。
「こいつはヒューマノイドだ。死んじゃいないさ」
「ああ。壊れているというのが正しいのでしょう」
「いや、おそらく機能が停止しているだけだ」
フォーブルがボーイの瞳を覗く。
「壊れた時以外に、機能停止するなど聞いたことがないが?」
二階堂は机の上に乗った本を開く。それは新約聖書だった。
「僕もだ」
「なるほど。結局、そいつがソフィでもあったわけか。ソフィも機能停止したんだな?」
「おいおい。ソフィが弓田とかいう女の子だと言ったのは君だよ。それに僕は、ソフィとボーイの通信を追いかけてここを特定したんだ。ソフィがこいつと同一体であるはずがない」
「なるほど。で、ソフィとボーイが入れ替わってしまったというわけか?」
二階堂は頭を掻きむしりながら洗面所のドアを開ける。奥のバスルームも覗いてみた。
「逃げられたか……」
バスタブにも使用した形跡があったが、少女の姿はなかった。
「何かご用でしょうか」
洗面所を出ようとすると、メイドタイプのヒューマノイドが洗面所のドアの前に立って進路をふさいだ。ユニフォームを着ているので、ホテルのメイドに違いない。
「ここの部屋の客を探している。五歳の女の子だ」
二階堂が言ったとき、メイドの背後のクローゼットの扉が開いた。
――トトトトト――
軽い足音が遠ざかる。
ドアの陰になって姿は見えなかったが、弓田未悠に違いないと思った。
「逃げたぞ!」
フォーブルに声をかけて動く。ところが、微笑みを浮かべたメイドが廊下の真ん中で立ちふさがった。
「ここは誰も通せません」
「どけ!」
メイドとはいえヒューマノイドだ。二階堂は全力でぶち当たってやっと、メイドと壁の狭い空間を通った。続いたフォーブルは、メイドにガッチリと取り押さえられた。
廊下で左右を見回す。そこに子供の影はなかった。
「五歳の子供だ。そう遠くには行けない」
声の方を振り返ると、フォーブルがメイドと格闘していた。
「いや。訂正する。相手は量子コンピュータだ。どんな手を使うか分からない。注意しろ」
フォーブルがメイドの肩越しに言った。
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