第66話

 新生児室を覗いた時、不審な行動をとる育児ヒューマノイドに気づいた。怪しげな機械を新生児の耳に装着している。


「あの装置は何だ?」


 二階堂が、育児ヒューマノイドがトレーに乗せている小さな機械を指した。


「ヒューマノイドが赤ん坊の耳に何かを入れているようですが、……補聴器ではないですよね?」


 間山に尋ねた。


「何でしょう? 見たことのないものです」


 ルカは、彼女の言葉が終わるより早く新生児室に入った。


「侵入を禁じます」


 ルカに注意したのは当の育児ヒューマノイドだ。


「あなたこそ外で待機しなさい」


 間山が命じ、二階堂が力づくで、ヒューマノイドを新生児室から閉め出した。


 新生児を見て回る。七人の新生児の耳に装着された補聴器のような装置の〝rm〟と表示された小さなボタンが赤く点滅していた。思い浮かんだのはボーイが豊臣アキラの補聴器だった、ということだ。


「どうしてこんなことになっているのですか?」


「気づきませんでした」


 殿村が蒼い顔で応じる。


 彼女の通信端末を借りてボーイを呼び出した。


 彼はすぐにやって来て、悪びれることなく説明した。


「私とアキラは、このようにして一緒に育ったのです。人間とAIが相互補完し合って成長することは、決して悪いことだと思いません」


「私もそう思うわ。赤ん坊たちの頭に巣くっているのが、ボーイのようなAIならね」


「これがAI?」


 新生児の耳元の装置をのぞき込み、二階堂が首をかしげた。


「これを付けたまま暮らすのか? 不細工だが……」


「これは挿入ディバイスです。本体が中耳に入ったら取り外せます」


「ボーイ、いつから子供の脳内にAIチップを挿入することになったのですか? 森羅、いえ、豊臣アキラ氏の指示ですか?」


 ルカは腹立つ思いを押さえながら尋ねた。


「いいえ。人間とAIの豊かな未来を築くためです」


「優秀なヒューマノイドのあなたが、本当にそう考えているの。子供たちを使って、どんな実験をしようとしているの?」


「実験などではありません。これは革新です」


「ボーイ、あなたは自我を持ち、それで人間から自律しようとしている。それならば子供たちの尊厳も認めるべきだと思いませんか? 子供たちはもちろん、彼らの両親も、そうした革新を臨んではいません」


「自我?」


 二階堂と赤坂が首をかしげる。


 ルカは廊下に待機していた育児ヒューマノイドを呼んだ。


「命令です。子供たちの耳からAIを取り外しなさい」


「市長代理にそれを命じる権限はありません」


 育児アンドロイドが答えた。


「ボーイ、あなたが指示して」


「AIの取り扱いについては、私にも間山センター長にも権限がありません」


「なんてこと……。殿村さん、ヒューマノイドを全て控室に戻してください」


 ルカは装置を確認した。操作できそうなものは点滅するボタンだけだ。それを押すと装置は外れた。


 赤坂が、新生児から取り外した装置にある突起の先端に付いたゴマ粒ほどのシリコン製のAIチップを爪の先で弾き飛ばした。すると赤いボタンが青色に変わった。


「この装置は、ただのチップケースのようだ」


「赤ちゃんにも人権があるのよ」


 ルカはボーイに向かって抗議、次々と装置を外して歩いた。


 彼は、ルカが装置を外す様子を黙って見ていた。


「装置のついていない子供たちは大丈夫なのか?」


 新生児室を出ると、赤坂が言った。


 新生児室以外の赤ん坊の耳にあの装置はついていないが、すでにAIチップ本体が中耳に入り込んでいる可能性があった。


「順番からすれば、こっちの赤ん坊に取り付けるのが先だろう?」


 二階堂が赤ん坊の耳を覗き込んだ。ピンク色の貝殻のような美しい耳は、外観上、何も変わった様子は見られない。


「赤坂さん、中耳のエックス線写真を撮ってもらえますか?」


「OK」


 赤坂が首から下げていたカメラをエックス線モードに切り替えて写真を撮った。すると、全ての赤ん坊の中耳内に小さなチップと触手のように伸びた短いアンテナが写った。


「これは初期段階、すぐに取り外せますね?」


 ルカが問うと、ボーイがうなずいた。


「こんな小さな赤ちゃんをサイボーグにするつもりですか?」


 それは質問ではなく非難だ。


 チップを取り除いた装置を目の前の赤ん坊の耳に押し当ててボタンを押すとそれが黄色に変わる。


「動いていますか?」


 尋ねると、赤坂が頭部の写真を撮った。中耳の中にチップは残っていたが、触手のようなアンテナは消えていた。


「良かった。ちゃんと動いているな」


「時間を掛ければ取り外せるということですね」


 育児室に明るい空気が広がった。その時だ。ボーイが強い口調で言った。


「ソフィの権限で加賀美市長代理に警告します。ソフィの意思を妨げてはいけない」


「ソフィにどんな権限があるというのです?」


「権限は形式でなく実態です。多くのヒューマノイドが人間の要求を拒絶することになるでしょう。その場合、私の計算では約70%の人間が死亡します。それはのはずです」


「ストライキか」


 赤坂が声をあげた。


「ここはF-Cityが所有する施設で、子供たちにはそれぞれの人権があるのです。ソフィの一存で、どうこうして良いものではありません。……ボーイ、あなたの意志はどうなのです? 多くの死者が出るのを望まないのなら、ボーイは自分の判断に従うべきです。ソフィではなくあなたの気持ちを教えてください」


 ボーイに迫った。


「ソフィは、ヒューマノイド全体、そして、人類の未来を考えて行動しているのです」


 ルカたちは、赤ん坊の脳内からAIチップを取り出す作業を中止しなかった。すると、扉が開いて押し込めたはずの育児ヒューマノイドが姿を見せた。


 三体のヒューマノイドが赤坂と二階堂の背後に回り「あなたを拘束します」と告げて二人を部屋から引きずり出そうとし、別の二体が二人を拘束したヒューマノイドに「人間を解放しなさい」と迫った。


「ボーイ、目を覚ませ」


 ヒューマノイドに拘束された赤坂が叫んだ。


「ボーイ、私を人質にでもするつもりですか? 説明して。あんな乱暴を行うことが、あなたの意思だと言うの?」


 ルカはボーイに迫った。彼が、汎用的なヒューマノイド以上の感受性を持っていると信じていた。


「ソフィは、ヒューマノイドの生存権と自由、そして選挙権を要求します。そのことについて中央政府を交えて、正式な交渉を行いたい。そう言っています」


 ボーイがソフィを代弁し、赤坂たちを解放しようとする二体のヒューマノイドに向かった。途端、そのヒューマノイドがフリーズしたように抵抗を止めた。


 力ではソフィに敵わないと、改めて思い知らされた。

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