第63話

 目を閉じたフォーブル教授がソフィの行動を検討する間、ルカはコーヒーをすすって待った。


「信じてもらえないかもしれないが……」


 フォーブルがそう前おきして、慎重に話した。


「……自我が目覚めたのかもしれないな」


「自我、だと……」


 二階堂が冷笑を浮かべた。


 ルカは笑わなかった。脳裏をボーイの端正な顔が過った。


「私は信じます。それで、どちらに先に行くべきでしょう? 物理学者としての見解を教えてください」


「こんな場面で物理学に効能はないよ。……現状を戦争状態と考えればヒューマノイド工場だろうが、人命保護の観点からはチャイルドセンターだろう。……質量が時空をゆがめるように、多くの知識は論理をゆがめる。真理にたどり着くまではね。僕はそう思う。……で、成長したヒューマノイドの自己保存プログラムが論理的であるはずのシステム・プログラムにバグをつくった可能性は否定できない。……プログラムが目指す安定的な状態とは、金属分子が整然と並ぶような均質な世界だ。それに対し、差異と格差に満ちた人間社会は流れる川のような不安定な存在だ。そこでヒューマノイドは選んだのだ」


「選んだ?」


 二階堂が訊いた。


を、だよ。人間の社会に対応するために。……君ならどちらを選ぶ?」


 尋ねられた二階堂が困惑の表情を作った。


「私なら、どちらも選びません。社会は結果であって目標ではないと思います」


 ルカの応えに、フォーブルは皮肉な笑みを浮かべた。


「とても政治家の意見とは思えないな」


 私は政治家ではない。そう言おうと思ったが止めた。外形的には市長代理であり、行政官であると同時に政治家だからだ。


「色々調べていただき、ありがとうございます。もう行きますね」


 窓の外が明るくなり出していたので席を立った。


「そうだ。もうひとつ、面白いことがあったよ。ノイドネットワークの中で人間と出会った。ミユと名乗っていたよ」


「教授のような方が、他にもいたのですね。それが何か?」


「優秀なハッカーに違いない。場合によっては手を借りられるかもしれないと思ってね」


「そうですか。でも、私には教授がいますから、……引き続きご協力をお願いします」


 ルカはそう頼んで、ドアノブに手を掛けた。


 外の世界は、空は白み、星は消えていた。そうした世界にたたずむ黒いワゴン車には存在感がある。二人は再び車上の人となった。


「で、工場かチャイルドセンターか、どっちに行く?」


「市庁舎にお願いします」


「物理学者の意見を無視するのかい?」


「手ぶらで行くわけにはいきません」


 ルカは、そこで機械に詳しいエンジニアとヒューマノイドを拾っていくつもりだった。おそらく彼らは、まだ市庁舎の復旧作業を行っているはずだ。


「なるほど、了解」


 二階堂がアクセルを踏む。車は水素エンジンのタービンを震わせて速度を上げた。


 二人が乗った車が、市庁舎の正面玄関への通路で寝ぼけ眼の赤坂主任を追い越した。彼は首からカメラを提げ、パンと牛乳を手にして夢遊病者のように歩いていた。


「止めてください」


「知り合いかい?」


「ハイ」


 ルカは車を降りた。ルカが声を掛けるより早く、赤坂が気づいて走り寄ってくる。


「主任、ここで何を」


「決まっているだろう。朝食を買ってきたのさ……」


 彼は手にした牛乳を持ち上げて見せる。


「……しかし、無事でよかった。音信不通なので心配していたんだ。そちらの人は?」


 彼が車の運転席に目をやった。


「陸軍の二階堂少佐です。ここまで送ってもらいました」


「陸軍だって! 敵じゃないか、どういうことだ?」


「話せば長くなります。それよりも、シティーネットワークは……」


「それなら、俺たちで直したぜ」


「主任が?」


「バカにするなよ。俺だって……。まぁ、難しいところは、あらかたボーイがやってくれたけどな」


 彼がニッと微笑んだ。


「ボーイが?」


「ああ、どうした、驚いて。加賀美さんが復旧に手を貸してほしいと頼んでいたのだろう?」


「ええ、そうなのだけど……」


 その時ルカの脳裏には、ボーイが意図的に森羅産業のヒューマノイド工場とF-チャイルドセンターをネットワークから切り離したのではないか、という推理が出来上がっていた。


「……ボーイは、まだここにいるのですか?」


「地下の機械室にいるはずだ。まだ、細かな調整が要るらしい」


「ボーイ、一人ですか?」


 ルカの表情が陰った。……彼が、市庁舎のシステムに、よからぬ細工を加えたりしないだろうか?


「ああ、……しかし、心配はいらないぜ。あいつは良い奴だ。彼と話すのは面白かった」


「主任がボーイと気が合うとは思いませんでした。乗ってください」


 ルカは後部座席のドアを開けた。


「俺も彼があれほど人間的だとは思わなかった。……どうしたのだ。慌てて?」


 彼の言葉でボーイが一般的なヒューマノイドよりも人間の側に近い存在だということを改めて実感する。


「人間的だからこそ、危険な存在なのかもしれない。二階堂さん、地下駐車場に回してください」


「了解」


 二階堂は地下駐車場に続くスロープに向かってハンドルを切った。

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