Ⅹ章 チップ

第62話

「……F-Cityに入ったのね」


 光でも匂いでも音でもない。ルカは、懐かしい気配を感じて目を覚ました。景色はまだ闇の中。雨は上がっていた。いや、ゲリラ豪雨のエリアを抜け出したのだろう。


 ぼんやり見回すと、一昨日、戦闘が行われた街に灯りは少ないが、それでも人間の息づかいが感じられた。


「Tokioの話の続きだが……」


「エッ……」


 夢の中かと思った。まだ脳は目覚めきっていない。


「……Tokioでなければできないことがあるのではないか?」


「んー……」


 いきなり何の話だろう?


 ルカはこめかみを押しながら、窓の外に目を向けた。遠くにF-City大学にある風力発電用風車の明かりが見えた。フォーブル教授の顔が目に浮かぶ。


「……かな……」


「ん?」


のように特殊なものに深い関心ごとを持つ人は、地方のCityには少ないですよね。たとえば十万人に一人しか関心を持たない趣味だとF-Cityでは三人ぐらいしかいない。でも人口二千万人のTokioなら二百人の同好の仲間がいる。そこにニッチな市場が形成される」


「なるほど。そのニッチ市場が地方の人材を吸収するわけか」


「ええ、都会でだけ地下劇場や地下アイドルが生き残れるのは人口が多いからです」


「しかし、集まった人間たちは大都市の中で搾取さくしゅされ、しかばねのように生きていくことになるけだ」


「それでも楽しいと感じる人はいる。私は嫌だけど。……都市としても問題を抱え込むことになると思うのです。仕事が分化し専門化が進むと一人の専門家がいなくなっただけで、システム全体が麻痺するリスクを負う。それが、中央政府の地下シェルターで見てきたことです」


「なるほど。今の軍隊も同じようなことが言えるな」


「あの……」


「なんです?」


「あそこに行ってもらえますか」


 ルカは木立の先に見えるF-City大学の電飾看板を指した。


「了解。大学で何を?」


「あそこでソフィのことを調べてもらっているのです」


「ほう、……用意周到だな」


 二階堂はF-City大学に向けてハンドルを切った。ヘッドライトが闇を切り裂く。




 ワゴン車は速度を落としてF-City大学の敷地に入った。夜中というより、まもなく朝を迎える時刻だ。なのに研究棟の窓には明々あかあかと照明がついていた。


 風力発電の風車の足元を右折し、ワゴン車は研究棟の入り口に停まる。時計の液晶が午前4時3分を表示していた。


 研究棟は静まり返っている。ルカと二階堂は足音を忍ばせて階段を上った。


「帰宅しているのではないかな?」


「きっと、います」


「徹夜かい?」


「ここに住んでいるようなものなのです」


 二人はヒソヒソと話しながら研究室に向かった。


 研究室のドアの前に立つと、ノックをせずにノブを回す。万が一寝ていたら、起こしては申し訳ないと思ったからだ。


 わずかな隙間が開いた時、中からフォーブルの声がした。


「やあ、早かったな」


 彼は懐かしいコーヒーの香りと共に迎えてくれた。ルカの背後の二階堂に目を止めると「君と会うのは初めてだな」と、目を細めて右手を差し出した。


「二階堂、……陸軍少佐です」


 二階堂が握り返すと、フォーブルは少し顔をゆがめた。


「やっぱり起きていたのですね。身体を壊しませんか?」


「おいおい、君が要求した調査のためじゃないか」


 フォーブルは微笑を浮かべながら客を招き入れた。


「そうですが……」


 どんな顔をしたらいいのか分からなかった。


「君こそ健康に留意しろよ。眼の下に隈が出来ている。若さを過信してはいけない」


「御忠告、ありがとうございます。気を付けます」


 ルカと二階堂がソファーに掛けると、フォーブルが熱いコーヒーを淹れてくれた。


「教授にお詫びしないといけないことがあります……」


 ルカは、彼から借りたタブレットが国軍による攻撃で壊れたので捨てた、と説明した。


「それは気にしないでいい。もともと研究で使い終わったものだ。それよりも、国軍が何者かにコントロールを奪われたことに興味がある。メタルコマンダーの攻撃も尋常ではない。詳しく教えてくれ」


 彼に促され、無人戦闘機がTokio-Cityを攻撃したこと、フィロの顔をしたソフィがバックアップサーバーを初期化したこと、ハエ型のスパイロボットを見たことや旅の途中で強盗にあったこと、道路の傷みがひどくて眠れなかったことを話した。チャーシューメンが不味かったことは伏せた。


「刺激的な旅だったようだね。僕も同伴したかったよ」


 深刻な表情で聞いていたフォーブルが、最後には笑った。


「今度は三人でドライブに行きましょう」


 ルカが誘うとフォーブルは首を横に振った。


「今夜のドライブが楽しかったとしても、次のドライブも楽しい保証はないだろう? 僕には研究室が何よりも楽しく落ち着く場所なのだ。できることなら死ぬまでここから出たくないね」


 彼は真顔で言った。


「なるほど、十万人に一人というわけだ」


 二階堂がルカの耳にだけ届くように言った。


「ん?」


 フォーブルが眉を寄せる。


「あ、いえ。……それでソフィは見つかりましたか?」


 ルカは誤魔化した。


「その件だが、ノイドネットワークの中にはソフィにつながる痕跡はなかった。もちろんフィロのIDも削除済みだ。……まあ、そういった訳で、期待されたものを見つけることは出来なかった。代わりに面白い情報を見つけたよ。森羅産業が最新型のメタルコマンダーを増産しているそうだ」


「新型ですか?」


 ルカは二階堂に目を向けた。


「俺は何も知らない」


 彼が嘘をついているようには見えなかった。


「それで、ついでに新型がどんなものか、調べてみようと思った。武装スペックには興味はないが、その頭脳には関心があるのでね。ところがだ……」


 彼は言葉を切ってコーヒーをすすった。


「ノイドネットワークに具体的な情報はなかった。それでヒューマノイド工場を覗いて見ようと思った。驚いたことに、……そこはCityネットワークから隔離されていた。F-チャイルドセンターも同じだ。ネットワークから切り離されたままだ」


「電磁パルス・ボムの影響ではないのか?」


 二階堂が言った。


「いや、Cityネットワークはすでに回復しているよ。一昨日、市の広報部の渋谷とかいうのが来て、ウチから古いマシンを持って行った。外部とは繋がっていないが、City内なら情報のやり取りはできる状態だ。そもそも、工場とチャイルドセンターに電磁パルスの影響はなかった」


「電磁パルス以外の何かが原因で、工場やチャイルドセンターの機器が故障しているということはありませんか?」


 そう尋ねながらも、ルカはソフィの何らかの策略を疑った。


「同時に壊れたとは考えにくい。むしろ、何かのソフトウエアで、意図的に切り離されたか、ルータが壊されたとみるべきだろう」


「ソフィが切り離したということですね」


「おそらくそうだ。正確にはソフィ、もしくはそれ以外の誰かだが、能力と状況から判断すればソフィと言っていいだろう。そんな訳で何か用事が出来ても、そこのシステムをコントロールするためには現場に行くしかないな。まぁ、Tokioに出向くよりは簡単だ」


「でも、何のために2ヵ所だけが切り離されているのでしょう?」


「中身を見られたくない。或いは、操作されたくない。……単純に、そんなところだろう」


「ヒューマノイド、しかも新型のそれの増産を知られたくないということは理解できます。自らの戦力に関わることだから。でも、チャイルドセンターを切り離す意味がどこにあるのでしょう?」


「僕には出産や育児のことは分からないよ」


 フォーブルが肩をすくめた。


「教授、……Tokioにいる時、ソフィが中央政府に対して、ヒューマノイドから3原則チップの撤去を要求してきたのです。それと何か関係があるでしょうか?」


「なんだと……」


 彼が身を乗り出し、テーブルのコーヒーカップがガチャガチャ鳴った。


「人間と対等になる。そういったことを言っていたのですが」


「ウーム……」


 彼が腕を組んで目を閉じた。

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