第60話

 駐車場を出たワゴン車は、古い首都高速自動車道を東に向かった。


 ルカは、F-CITYと異なり光が溢れる都会の夜景をぼんやり眺めていた。


 右手遠く、光のないエリアが見える。


「EMPBが使われた場所だ。軍の施設が集まっている」


 二階堂が教えてくれた。


 車がTokio-Cityを出てCB-CITYに入るところで、突然、ひょうが降り出した。氷の粒は車の屋根を叩き、ヘッドライトの明かりを遮って運転を妨害する。オートドライブで走っていたら速度が落ちずにフロントガラスが割れたかもしれないほど強い降りだ。それで、ルカは二階堂がマニュアル走行していたことに気づいた。


「ずっとハンドルを握っていたのですね?」


「ナビは切っている」


「ソフィ対策ですね。疲れているのに、ありがとうございます」


 心から感謝した。


「F-Cityまで4時間以上かかる。それまでゆっくりと休んでいてください」


「そんなにかかるの? 普段なら2時間ほどの距離だとおもうのですが」


「ソフィの眼を避けるために、高速道路は使わない……」彼がソフィと言い切った。「……寝ていてくれ。着いたら起こします」


「でも眠れそうにありません。この音だもの」


 雹はガンガンと車体を打っていた。しかし、本当の寝ない理由は違う。自分だけが眠るのは後ろめたいからだ。


「Tokioに着陸した時よりは静かだろう」


 二階堂が声をあげて笑った。


「それはそうですけど。二階堂さんだって疲れているのに……」


「自分は鍛えている。72時間、ヒューマノイドと同じ程度には、寝ずに働けるのですよ」


「そうなのですか……」


 ルカは驚き、そして疑った。彼も何らかの肉体的改造を受けているのではないだろうか?


 結局、ルカの決意など甘かった。シートに伝わる静かな振動に負けて、いつの間にか眠りに落ちていた。まるで穏やかな海に揺られているようだった。




「ヒャ!」


 ルカは自分の叫び声で目覚めた。全身が激しく揺さぶられ、反射的に声を出してしまったようだ。


「大丈夫かい?」


 その声はまたも笑っていた。


「私、声を出しました?」


「ええ、夢でも見たのかな?」


 車は遊園地の乗り物のように上下左右に激しく揺れている。


 からかわれているのが分かるので、答えてやらない。


「どこを走っているのですか?」


 フロントガラスに額を寄せた。


 Tokio-Cityでは見えなかった月と星が濃紺の空を飾っている。


 目の前に延びる四車線の道路は、ただ広いだけで外灯も無く、車のヘッドライトが傷んで凸凹になった舗装道路を照らしている。すれ違う対向車はまばらだ。


「国道666号です」


「これが国道? 舗装がボロボロじゃないですか。大きな穴もあちこちに開いている」


「この辺りにCityはなく、予算も無いので国は修繕しない。今でも道路が整備されているのは、高速道路とCITY内の道ぐらいのものだ」


「確かにCITY構想は、人の住むエリアを限定して資源の運用効率を上げる、という理念のもとにあるけれど。……国道までもがここまで放置されるとは、世も末です」


「そもそも税収が減ったのだ。先人たちが発行しまくった国債も償還しないといけない。少ない予算で国民の生活水準を維持するためには、仕方のない選択です。お蔭でNシステムは壊れたまま。犯罪者の移動にはうってつけだ」


 二階堂が口元を歪める。


「それって、私たちのことですか?」


「まさか。……でも、今や似たようなものだな」


 時折、右手に暗い太平洋が見える。月明かりの下で波の白いしぶきが一筋の線を作っては消えるので、そこが海だと分かる。海は昔あった国道6号線を呑みこんでいて、波間に古いビルが林立していた。


 沖に小さな銀色の月が揺らいで写ることがある。それはずっと、どこまでも自分を追ってくる。そうして暗闇の中を長く走ると不思議な感覚に陥った。山や森などの遠景を見つめていると、全く前進していないように感じるのだ。


 しばらくすると前方で瞬くものがあった。


「ン?」


 二階堂の全身に緊張が走る。


 光は複数の人間がふる赤い警告灯と懐中電灯がひとつになったものだ。


「検問かしら?」


「違うと思いますよ。面倒でも後ろのシートの真ん中に移動してもらえるかな」


 ルカは言われるまま、這いつくばるようにして後部座席に移動した。


 二階堂が拳銃を座席の蔭に隠して速度を落とす。


 警告灯を振る作業着姿の人物が立ちふさがった。


「工事の誘導?」


「違うな。4人は多すぎる」


 車が止まると、若い男性が二人ずつ、分かれて両側の窓に近寄ってくる。


 二階堂が運転席側の窓を開け、「何か?」と尋ねた。


「なかなか洒落しゃれたクラッシックカーだな。高そうだ」


 声をかけてきたのは大男だった。彼が車内を警告灯で照らし、ルカを認めた。小さな瞳だった。


「お楽しみだね」


 口元をゆがめ、いきなり窓越しに片手を入れて二階堂の襟首をつかんだ。


「通行料、……そういったものを置いていってもらえないかな?」


 彼は二階堂の襟首を締め上げながら低い声で言った。


「ここは、国道じゃないのかい?」


 二階堂が言い返した。


「そうだ。みんなの国道だよ。だから、俺のものでもある」


「関西のジョークだな。しかし、なんだ……。あいにく現金の持ち合わせがない」


「マネーカードがあるだろう。出せ!」


 思わず、ルカは自分のポケットを押さえた。そこに、もらったマネーカードがあった。


「俺はクレジット派だ」


「ケッ! クレジットカードで生きているのか。金持ちだな、虫唾むしずが走る。荷物は何だ?」


 大男が荷台に目をやる。


「御嬢さんをひとり」


「御嬢さん?」


 彼の視線がルカに向く。


「それはそれでが、……後部トランクを開けてもらおうか。つまらないものなら、車を置いていってもらうことになる」


 いただく?……ルカは貞操の危機に震えた。二階堂が優秀な軍人だとしても、相手は4人。ピンチに違いなかった。

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