第57話
ルカは天井の表示板に目をやり、エレベーターホールの位置を確認した。それを使って地上に出てから、Bukuro地区に移ったリニアの駅まで移動しなければならない。かつての品川駅は海没してしまったのだ。
電磁パルス・ボムで旧国会議事堂周辺のタクシーは壊れてしまっている。そこから駅まで歩いたらどのくらいあるのか? いくらか歩けばタクシーが拾えるだろう?……そこで、ハッと気づいて右手の指輪に目をやった。
電磁パルス・ボムの影響で、指輪に仕込まれている電子マネーチップも個人IDチップも壊れているはずだ。リニアどころかタクシーにも乗れないじゃない。……頭がくらくらした。
仕方がない。山田副総理にお金を借りよう。いや、新しい指輪をもらおう。……ルカは篠塚に、階下に続くドアを開けてもらおうと思った。その時、二階堂が戻って来た。
「さあ、行きましょう」
「見送りなら不要です。そんなことより……」
彼に金を借りよう、と考えて躊躇った。戦闘で知り合った敵に借金を申し込まれても彼は困るだろう。第一、軍人の懐具合がどんなものか、想像に難くない。西欧諸国と違い、東洋の国々では軍人の給与は安い。それが、国家が考える命の値段だ。
「自分の認証がないと外には出られませんよ」
「そうなの?」
「ええ、ここへの人の出入りは厳密に管理されています」
「当然、そうですよね。でも、外ではないのです。もう一度、副総理に会いたいのですが……」
「どうしました。中央政府は当てにならないのではなかったのですか?」
彼の嫌味に苦笑した。気を取り直し、正直に告げることにした。この際、彼に笑われるのは覚悟の上だ。
「お金がないのです」
「お金?」
「壊れているはずです」
ルカは指輪をはめた右手の人差し指を立てて示した。
「なるほど」
彼が口角を上げた。
「二階堂さんのせいです。あなたたちが電磁パルス・ボムを使ったから」
「参ったな……」彼が短い髪をかきあげるしぐさをした。「……では、責任を取るしかないですね。ついてきてください」
彼がエレベーターホールに向かって歩き出す。ルカは慌ててパンプスを拾い上げ、彼の背中を追った。
エレベーターは生体認証システムを使わなくても呼ぶことができた。どうやら個人情報を保管したサーバーへの接続が難しいので、セキュリティーシステムから切り離されたようだ。
「エレベーターは使い放題のようですね。私をかついだのですか?」
「すみません」
彼が少しだけ頭を下げた。
「いえ、こちらこそ、ありがとうございます。それで、これ……」ルカは指輪を指した。「……これは、どこで直せばいいのでしょう?」
「それは役所の仕事ですよ。市民課あたりに再発行の申請をするのではないですか」
「その役所が、電磁パルス・ボムで壊れてしまっているのです」
彼をからかっているのではなかった。F-Cityで電磁パルス・ボムの影響範囲内にいた市民が数千人はいるだろう。彼らの指輪を再発行するだけで多大な費用と時間が要るに違いない。
エレベーターが到着してドアが開く。
二人は乗り込んだ。
「申し訳ないが、それは軍の責任範囲ではありません。内務省に確認してください」
二階堂が沢山のボタンの中から〖R2〗のボタンを選んで押した。Rで始まるボタン以外の表示が消える。
「その内務省も大変そうですね」
ルカは李の硬い表情を思い出した。
「みんな、大変なのです」
エレベーターがギシギシと音を立てて動き出す。
「おんぼろですね」
「使うこと自体が想定外の施設です」
彼は階数を示すモニターに目を向けた。〖R10〗から〖R5〗まで数字が減っていく。1階1階の間隔が長いのだろう。数字が減るのにとても時間を要した。エレベーターは、上下だけでなく、時には横や斜めにも動いた。
モニターの表示に〖R4〗と〖R3〗はなく、〖R2〗が表示されるとエレベーターが停止した。
扉が開くと、
「ここは国会博物館の地下ではないですね」
Tokio-Cityに軟着陸してから4時間ほどしか経っていない。あの荒涼とした国会博物館に賑わいが戻っているはずがない。
「ええ。地下に下りた時とは別の出入口です。ちょうどBUKURO地区の地下鉄駅につながる通路になります。……少し腹ごしらえをしませんか? 近くに行きつけの中華料理屋があります」
彼の提案で空腹を思い出した。グーと腹の虫が鳴る。着いた場所がBUKURO地区なのでタクシー料金の問題は解決した。リニアの代金は必要だが、それも彼が何とかしてくれそうだ。
「そういえば朝から何も口にしていませんでしたね。チャーシューメンが食べたいです」
「緊張しすぎると空腹も忘れるものです」
二階堂が防火扉のロックを外し、地下道にルカを案内した。
右に折れて真直ぐ歩くとコンビニがあった。二階堂はそこでマネーカードを2枚買った。代金は彼の顔認証で決裁した。
あれ?……違和感があった。……ここでは顏認証システムが生きている。そのサーバーは中央政府のそれとは別なのだろうか?
戻ってきた彼が1枚のマネーカードを差し出した。
「これを使ってください」
「ありがとうございます。F-Cityのシステムが回復したら、必ずお返しします」
「いつでも、と言いたいところだが、できるだけ早くお願いします。安月給なので」
彼が苦笑した。
「二階堂さん、おかしいと思いませんか? 中央政府は地下に潜ったときに、行政システムは地下のサーバーに切り替えたはずです。地下のバックアップサーバは初期化されてバタバタしていました。なのに、顏認証で買い物ができるなんて」
「なるほど。自分には難しいことは分かりません。フィロか、ソフィかが、何かをやっているのでしょう」
彼は考えることを諦めたのか、さらりと応じて歩き始めた。
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