Ⅸ章 ルート666

第56話

 突然のソフィの乱入で、ルカと中央政府の交渉は、あまりにも短く曖昧なものに終わった。


「あんな打合せで良かったのですか?」


 コントロールルームを出ると、ルカの隣を歩く二階堂がただした。


「ソフィ、……二階堂さんはフィロというかもしれないけれど、ソフィの正体が分からない以上、効果的な対策はたてられないと思います。今、中央政府との間では、フィロであれソフィであれ、第三者が介在している、中央政府と私たちは敵ではない、という共通認識ができただけで十分です。……第三者が何者だと議論して時間を費やしたところで、中央政府の行動が変わることはないでしょう。中央政府内部は目的も連携もバラバラだし、一人一人の欲が深すぎる。私は、そんな中央政府に期待しないことにしました。信じるのはF-Cityの市民だけです」


「中央政府の力は、それほど小さくはないですよ。もし、本気で軍を動かしたら……」


 二階堂が警告した。


「そこです。大きい力だからこそ、彼らはそれに頼って自滅する。そんな力に、私は頼りたくありません。これまで地方政府は中央を信じ、中央を見て生きてきた。そうすることが自分たちの力を削ぐことだと気づかなかった」


「それはそうかもしれませんが……」


「自分の器にあった仕事をするのがベストなのです。単独で生き延びる力があれば、ネットワークから切り離されてもF-CITYは生きていける。短期的に見れば、それが生存の最善策だと思います」


「長期的にはどうです?」


「やはり、近隣Cityや諸外国との連携、……外交が必要でしょう」


「で、市長代理は、これからどうするのです?」


 いつの間にか、二階堂が敬語を使っていた。二人は短い階段を上る。


「勿論、F-Cityに帰ります。連絡が取れないので心配です」


「どうやって帰るつもりです?」


「地上まで階段を上って、そこからはリニアですね」


「リニア……、動いていますか?」


「動いていると思います。控室のテレビのデータ放送では、運休の表示がありませんでした」


「目ざといのですね。しかし、また襲われるかもしれませんよ」


「それはソフィの気持ち一つですね」


「市長代理は、ヒューマノイドを人間のように考えるのですね」


「そうみたいですね。何も根拠はないけれど、今まで一緒に仕事をしてきたヒューマノイドは信頼できました」


「それは、あのボーイも、……ですか?」


「少なくとも彼は、国軍の手から私を救ってくれました……」


 国軍の名が出たからか、二階堂が表情を曇らせた。


「……実際のところ、ボーイはどこかでソフィと通じている可能性が高いのです。でも、べったりではないと思う」


「ボーイは人間の味方で、ソフィは敵ですか?」


「そんな単純なものではないと思います。ボーイの立場は、揺らいでいるのだと思う」


「リニアが安全だと思うのは、ボーイが守ってくれると考えているからですね」


「まぁ、そんなところです」


「しかし、そのボーイは、どうして連絡をよこさないのです? ソフィに対抗する力を有しているなら、同じように連絡をしてくるはずだ」


「そうなのです。そこのところが私の計算と違っている。でも、つまるところ、状況が悪いことに変わりありません。あとは、がむしゃらにやってみるだけです」


 ルカはあえて笑って見せた。


 植物プラント工場に人はいなかった。二人はつやつやと輝く緑を見ながら廊下を歩いて二階堂の部下が待つ大空間に戻った。彼らは思い思いの場所に散って、食事や飲み物を取っていた。シェルターのインフラをコントロールしているサーバーは復旧し、エンジニアの中に談笑するものが増えていた。階下のコントロールルームの緊迫感は、そこにはなかった。


 スニーカーを脱いだ場所を目で捜し、そこへ移動した。


「上と下では別世界のようですね」


 思ったままを口にしながら屈んでパンプスを脱ぐ。今度は長い階段を上るのかと思うと気が滅入った。


「私からひとつアドバイスをしてもいいですか?」


 二階堂が言った。


「有益なものなら伺います」


 スニーカーに履き替えて立ち上がった。


「インフラサーバーは復旧したようです。エレベーターが使えますよ」


「それは一番重要な情報です。ありがとう」


 二階堂に向かって笑みを送った。作り笑いではない。素直にあふれた感情だ。

彼が恥ずかし気に視線をそらした。


「市街地には顔認証システムと連動する監視カメラが多い。もし、ソフィの実力が加賀美さんのいうとおりなら、リニアの改札は見張られていると考えるべきです。自分がソフィなら、リニアを狙う。結果、一般市民を巻き込むことになります」


 リニアには300人程度は乗っているだろう。……ルカは困惑するものの、目的は揺るがない。一方、二階堂が役職ではなく名前を呼んでくれたことが嬉しかった。


「それでも私はF-Cityに帰らなければならないのです」


「ここで打開策を練っても良いではないですか? 国軍も含めて、F-Cityよりは使える手段が多いはずです」


 ルカは、テーブルでくつろぐ官僚や軍人、エンジニアたちに目をやった。


「……そうかもしれない。……おそらく二階堂さんが言うことは正しいのです。でも私はF-Cityの市長代理なのです。私がいるべき場所はF-Cityです。ここでネオ・ヤマト国を守るのは、あなた方に任せます」


「そうですか。……仕方がありません。ここで少しお待ちください」


 二階堂がひとつのテーブルに真っすぐ向かった。そこにいるのは堀内と篠塚だった。

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