第50話

「この先のドアは緊急対応セキュリティーが作動していますから、少佐でも入れません。私が案内します」


 篠塚が先頭に立って歩き出す。二階堂は部下にヘルメットと小銃を預け、待機するように指示してから篠塚の後に続こうとした。


「アッ、少し待ってください」


 ルカは彼らをひき止めて、スニーカーをパンプスに履きかえる。


「面倒くさいことをするのだな」


 二階堂がからかった。


「見た目だけのことですが、これが政治だと思います」


 パンプスに履き替えると、背筋が伸びて気持ちも引き締まる。それだけでも相手に与える印象は変わるものだ。化粧もなおしたいけれど、それは諦めた。


「なるほど。面倒なだけの意味はあるようだ」


 二階堂の目線が少し上がった。


 パンプスで床を蹴る音は新鮮で、室内の注目を集めた。


 篠塚があけてくれたドアの先は広い野菜工場だった。LEDライトの灯る棚が見渡す限り並んでいる。その中で様々な野菜が成長していた。種まきから刈り取りまで、作業はロボットアームが行っている。


「ここには電磁パルスも届かなかったみたいですね」


「それはそうです。核戦争に備えた施設だから、あらゆる振動も電磁波も中性子線もここまでは届きませんよ」


「でも、どうしてこんな場所に野菜工場が?」


「奥の施設を隠すためです。……普段ここで取れた野菜は、官僚たちがこっそり分け合っているのですよ」


 篠塚が冷笑し、奥のドアのセンサーの前に立ってロックを外した。


 ドアの先は、更に地下に降りる階段だ。


「また階段……」


 ルカは息をのみ、靴を履きかえたことを後悔した。その様子に二階堂が口元を緩める。


「履き替えますか?」


 嫌味だった。手元にスニーカーはない。


「階段はどのくらいあるのですか?」


「このすぐ下がコントロールルーム、政府中枢です。会議室にはお歴々もそろっていますよ」


 篠塚が政治家を揶揄やゆするような口調で答えた。


「行きましょう」


 ルカの声に弾かれたように篠塚が動き出す。


 階段は30段ほどだった。そこにあるコントロールルームに続くドアの前で三人を迎えたのは、山田早苗副総理の第一秘書、水野数馬みずのかずまだった。60代だろう。その容姿容貌に老獪ろうかいといったオーラが感じられた。


 彼は自分の背後でドアを閉めた。通すつもりはないようだ。


「加賀美市長代理を何故ここへ?」


 水野が二階堂に目をやった。二階堂は真面目な顔で敬礼する。


「司馬総理の命令に基づいて連行しました。市長が亡くなったので、代理です」


 連行?……ルカは面白くない。そこは同行と言って欲しかった。


「フム……」水野がもったいぶって間を作る。「……加賀美市長代理、はじめてお目にかかります。この先にいる方々は、皆さん苛立っておられる。あなたは敵、と言っても過言ではない。それもこれも、F-Cityが自ら招いたことです。本当に、この先に進まれますか?」


「市長を連れてこいと言ったのは司馬総理です。通してください。それとも、ここを通るのに、あなたの許可がいるのですか?」


 ルカは勇気を振り絞って反論した。


「その必要はありませんよ」


 篠塚が応じてセンサーの前に立とうとした時、水野が制してドアを開けた。


「ありがとうございます」


 水野に形式的な礼を言った。


「面倒なことをしやがる」


 二階堂がつぶやく。


 入り口をくぐると、上層階と同じテニスコートほどの広さの空間がある。


 しかし、上と違うのは人間よりも機械の方が多くの面積を占有していることだった。


「それでは、私はここで……。少佐、熱くならないでくださいよ」


 篠塚は部屋に入ることなく引き返した。


 ルカはつかつかと政治家たちが屯しているテーブルに近づき、腹に力を入れて口を開いた。


「司馬総理に会いにまいりました!」


 政治家の幾人かが目を向けて顔をしかめた。情報端末の前に座る技術者たちは手を止めることさえなかった。


 立ち上がったのは、離れたテーブルにいた三島だった。


「早いのだな。さすが我が陸軍特殊部隊は優秀だ」


 彼はルカの隣に立つ二階堂に向かって満足そうに言った。


 二階堂はそれに対し敬礼を返し、すかさず口を開いた。


「メタルコマンダー部隊と無人航空機による手荒い歓迎を受けました。我が部隊は強襲ドローンを2機失い、1機は行方不明です。人的損害も多大です。あの攻撃は、参謀長の命によるものでしょうか?」


「ん、何を言っている?」


 三島が表情をゆがめた。


 どうやら彼は何も知らないらしい。……ルカの脳裏をソフィの名が過った。


 ――人的損害も多大――二階堂の声を耳にした政治家たちが、顔を彼に向けた。


「ここではまずい。着いてきたまえ。加賀美さん、あなたもだ」


 三島が告げて歩き出す。


 彼がさらに奥のドアをくぐり、人気のない通路で口を開いた。


「司馬総理はCity側の無礼な行為によって心臓発作を起こした。それで心臓を新しいものに代えるために入院している。今度の手術で7回目だそうだ。ついでに肺と気管支も交換するらしい。お蔭で長生きできそうだ、と笑っているらしい」


 臓器再生手術が進歩し、富裕層は臓器を新しいものに換えることで寿命を延ばし続けている。150歳を超える高齢者が世界には山ほどいた。一方、錨島の住人の平均寿命は60歳に満たない。食料事情が悪い上に医療体制も劣悪だからだ。おまけに定期的ともいえる国軍のミサイル攻撃で亡くなる子供も多い。


「7回もですか、欲深いのですね」


 ルカは本音を言った。


「何を言う。健康を維持するのは国民の権利だよ」


「島の住民にも生きる権利があると思うのですが」


「あそこは反乱分子だけの自治地区だ。我々とは違うのだよ」


 三島はうそぶくと歩き出し、「今は山田副総理がこの国のトップだ」と言った。


 そういうことか。……ルカはイージス艦吾妻で話した彼女の顔を思い出した。が、すぐにおかしいと考え直した。話した相手が山田副総理と言うところはつじつまが合っているが、場所は全く異なっているではないか……。何故だ?


「山田副総理が一時期でも、イージス艦に退避したというようなことはありませんか?」


「ないな。あるわけがない」


 三島が投げ捨てるように言った。

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