第47話
「市長代理!」
ルカの耳元で大きな声がした。それで意識が戻った。
「イタタ……」
肩に強い痛みを感じた。
「シートベルトで、鎖骨が折れているかもしれない」
その声は二階堂のものだった。
肺の中に新鮮な空気が流れ込む。
明かりが入るのは開いた左右のドアからで、その先にコンクリートの建物が並んでいるのが分かった。建物には傷一つなく、戦闘があった場所とは思えない景色だ。
「着いたのですか? Tokio-City」
二階堂のヘルメットが目の前で動く。逆光で宇宙人にでも見られているような奇妙な光景だった。彼の手からぶら下がっているのは、さっきまでルカが使っていた耳栓だ。
「ああ。大塩さんが怪我をしたことと、帰りの機体が無くなったことを除けば無事に到着した」
殴られたように、一気に意識がはっきりした。隣にいたはずの大塩の姿がない。
「大塩警視は?」
「シートベルトが緩かったのだろう。肩と腰を痛めた。今、治療している」
二階堂がルカの前に身を乗り出してシートベルトを外す。彼の身体から戦いの匂いがする。
「ゆっくり立って」
言われたとおりにした。少し足はふらついたが、強い痛みはなかった。
「大丈夫、……みたいです」
「ヨシ」
彼は外に向かった。
ルカは身の回り品を入れた布製のバッグを肩にかけ、スニーカーを手にして後を追う。その時、薄暗い機内のシートに座り込んだままの鴨木田に気付いた。彼はヘルメットをかぶっていなかった。目は閉じたままで呼吸をしている気配がない。
「鴨木田さんが……」
「問題ない。彼は大丈夫だ」
二階堂は無事についたと言ったが、鴨木田は死んでいるように見える。
「死んでいるわ」
「いや、生きている」
その時、外にいた兵士の1人が機内を覗いた。ヘルメット姿なので、ルカにはそれが誰かわからない。
「土田、鴨木田を背負え」
「自分ですか……」
彼は、不快そうに応じて乗り込んでくる。鴨木田の身体をシートから引き起こすと背中に担いだ。
鴨木田の身体は手足どころか瞼一つ動かない。壊れた人形のようだ。
ルカは、動かない鴨木田の背中を見ながら強襲ドローンの出口に向かう。ふと思い当たることがあった。
「鴨木田さんもサイボーグなのですか?」
人間でありながらEMPBの影響を受けるとすれば、電子機器を埋め込まれたサイボーグに違いない。
二階堂は何も答えなかった。
サイボーグの存在は機密事項なのだろう。……ルカは追及しないことにした。
ところが二階堂は、鴨木田がサイボーグだと示唆するようなことを口にした。「今、鴨木田は光も音も匂いもない暗闇で戦っているはずだ」と。
「苦しいでしょうね」
視覚、聴覚、臭覚、……様々な感覚を断つ拷問があることを思い出し、ルカは鴨木田に同情した。井上といい、どうして彼らはサイボーグになったのだろう?
夜が迫っていた。空が赤みを帯びている。
走行輪があるはずだけれど、強襲ドローンの胴体はコンクリートの地面に密着していた。プロペラのほとんどが引きちぎられたようになくなっていて、弾痕だろう、機体のあちらこちらがへこんだり焼けこげたりしている。その後部、着陸したコースにはコンクリートが削れた長い痕跡と、壊れた車両やなぎ倒された街路樹、そして、鉄クズと化したメタルコマンダーが点在していた。
樹脂や鉄が焼け焦げた臭いと硝煙に混じって、潮の香りがした。
ここはどこだろう?……静寂の街を見渡す。周囲には銃剣を手に敵を警戒する特殊部隊員の背中があった。
振り返ると博物館として利用されている旧国会議事堂があり、そこが行政中央地区だと分かった。海面が上昇した海は、わずか1キロ先に迫っているはずだ。
兵士の1人が機内から折りたたみ式の担架を運び出した。それを目で追うと、地面に寝かされている大塩が目に入った。
「大塩警視、大丈夫ですか?」
「……ああ、……ちょっと痛めた……だけです」
彼は苦しそうに応じた。顔色は真っ青で、冷汗が噴き出している。
「イチ、ニイ、サン」
二人の兵士が掛け声をかけ、彼を担架に乗せた。
「……市長代理、……これを……」
彼は制服の懐から黒光りする拳銃を出して差し出した。電子機器など無縁の古いタイプの銃だ。
「……護身のため…‥」
ルカは戸惑った。自分には武器を持つ資格はない。それに、それを手にすることは周囲の兵士たちを敵とみなすことだ。
「私なら大丈夫です。二階堂少佐を信じています」
そう告げて振り返り、二階堂の姿を探した。まだ、階級章で彼を判別することはできなかった。
「いいですか? 持ち上げますよ」
担架を手にしたその声は堀川のものだった。
「これからが大変です。結構歩くからな」
いつの間にか近くに来ていた二階堂が、ルカに身体を寄せて言った。彼は部下にあれこれと指示を出しながら、ルカにも声を掛けるのを忘れない。そうやってチームワークを築き、ルカのような素人の不安を取り除いているのに違いなかった。
メタルコマンダーを調べていた兵士が集まり、それらの所属と製造工場を二階堂に報告した。
「メタルコマンダーは、全て壊れたのですよね?」
「ああ。この近場にいるやつはな。しかし、EMPBの影響圏外にいたものがあれば、ここにやってくるだろう。さっさと移動しますよ」
「どこに行くのですか?」
「決まっている。地下五十メートルにいる政治家のところだ。あそこから……」二階堂は顎で旧国会議事堂を指した。「……長い階段を下りることになる」
「それは大変そうですね」
ルカはパンプスを脱いで、スニーカーに履き替えた。
「市長代理は準備周到だな」
「ここ数日、階段には泣かされているのです。これでも学習するタイプなの」
二階堂の嫌味にそう返した。
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