第41話
「フォーブル教授は、ノイドネットワークというのをご存じですか?」
ルカはスチール棚にのったヒューマノイドの頭部に目をやった。男性でも女性でもない、頭部の骨格に薄皮をまとっただけの不気味なものだ。
「ああ、知っているよ。しかし、ヒューマノイドの愚痴を聞く趣味はない。あんな所に潜り込むのは、AIを除けば公安かヒューマノイド差別主義者、それともヒューマノイド・ストーカーだ」
ルカは驚いた。ノイドネットワークの存在は、想像以上に知られているようだ。
「……そこでソフィと接触できると思うのです」
「ほう、それは面白い」
フォーブルはようやく興味を持ったようだった。
「ひとつ教えてください。市庁舎のサーバーがダウンしてCityの機能がマヒしている今、ノイドネットワークは生きているのですか?」
「生きているさ。それはね……」
彼は立ち上がり、部屋の隅のオーディオセットに向かった。真空管アンプのそれを、彼は昔から大切にしている。学生の頃に、それの方が、音がまろやかだと聞いた。実際、音楽を聴かされたけれど、その時は理解できなかった。
彼はラフマニノフのレコードを棚から取り出して、レコードプレーヤーに乗せた。
「……様々な機械はインターネットを通じて繋がっている。だからサーバーがダウンすると情報が途切れる。しかしノイドネットワークを構成するのはヒューマノイド自身だ。このオーディオのように……」
部屋の隅々に配置された4つのスピーカーからシャーという針の摩擦音が流れる。そしてほどなく音楽が鳴った。
「……ノイドネットワークのために、ヒューマノイドたちは自分自身の機能の一部を提供して分散型ネットワークを作っているんだ。出来たのは20年ほど前だろう。人間のインターネットやCityネットワークとは、全く異なるプロトコルと無線通信を使用している。人間のようにサーバーなど不要なのだ。ヒューマノイドが二体いれば、ネットワークは成立する」
「へぇ……」何て便利なのだろう。うらやましい。
「で、私にソフィを見つけろというのか。……嫌だ、といったら?」
「ネオ・ヤマト中が混乱に
「なるほど。善良な市民としては見過ごせないということか……」
フォーブルが立ったままコーヒーカップを口に運んだ。
「……いいだろう。やってみよう。可愛い卒業生のためにね」
快諾とまでは行かなかった。が、教授の了解を取り付けて、ルカは胸をなでおろした。
「もう一つお願いがあるのですが……」
ルカは、連絡用にタブレットを借りたいと頼んだ。彼は、研究用に集めたものの中から使えるものを探し出し、快く貸してくれた。
研究室を後にし、再び桜田の運転するパトロールカーに乗り込んだ。
「お客さんどちらまで?」
桜田のジョークが
「何ですか、それ?」
「タクシードライバーですよ。昔の映画で見たんだ。カッコいいでしょ?」
「タクシードライバーは、ナビゲーターに取って代わられたでしょ。カッコいい職業なら、なくならなかったわよ」
「そんなことはないですよ。クールな武士もなくなったし、アイドルもスポーツ選手も、みんなヒューマノイドになりました。残るかどうかは見た目とは別な次元で決まるのですよ」
桜田の言葉は根拠のない自信に満ちていた。
「分かったわ。じゃあ運転手さん。市庁舎までやってください」
男性は、どうしてこうもつまらない冗談が好きなのだろう。……理解できなかったけれど、彼の遊びに付き合った。
「ハイ、よろこんで!」
桜田がパトロールカーを急発進させる。タイヤがキュルキュルという高い音を立て、溶けたゴムは白い煙に変わった。
「危ないわよ」
「〝ダーティーハリー〟ですよ。カッコいいでしょ」
ルカも〝ダーティーハリー〟は名作劇場で見たことがあった。いや、正確には大学時代の元彼につきあわされて観た。規格外の刑事が、警察内の正義を振りかざす悪党と対決する映画だ。〝ゴッドファーザー〟とか〝スター・ウオーズ〟とか、どうして男性は殺し合う映画が好きなのだろうと思ったものだ。
「生き残る俳優は、みんな格好いいものです。でも、武器を使わないで生きる人の方が、私は好きです」
言ってから、桜田がプラズマ銃を持っているのを思い出した。ルカが手にしたそれは、軍用のもっと強力なものだった。その感触を思い出し、気分が悪くなる。
何も知らない彼は、陽気に応じる。
「なるほど、そうですね。僕も生き残る条件を考えなおさなきゃ」
ルカはしっかりと目と耳を閉じ、懸命に黒い記憶と戦った。
恐怖の記憶が都合よく消えるわけはなかった。ただ、車が市庁舎の裏口に到着し、非常階段を上ると別の記憶に置き換えられた。銃を突きつけられて屋上に向かう記憶だ。〝天国の階段〟が頭の中に流れた。
保安部は4階にある。
「市長代理の推理は外れていましたな」
顔をあわせるや否や、そう言った古畑の顔には優越感めいたものが浮かんでいた。
「何のことです?」
「偵察に出したヒューマノイドからの連絡では、地上からの2次攻撃はないようです」
「それは良かった」
それはルカの本音だった。地上から本格的な攻撃がないなら対処のしようがある。
「古畑部長、Tokio-Cityに乗り込みましょう」
ルカの申し出に、古畑が目を白黒させた。よろよろと立ち上がると、目つぶしを食らった熊のように狼狽えて歩き回る。そうして窓際に立ち、振り返って怯えた目をルカに向けた。完全に腰が引けている。
「今、ここを離れるわけにはいかないと思いますが?」
「今だから行かなければならないと思うのです」
「私に付いて来いというのですか?」
声は震えていた。
ルカは諦めた。……彼はすっかり怯えている。一緒にいても頼りになりそうにない。
「いいえ……」方針を変えた。「……留置所の捕虜を出してほしいのです」
「……」
「捕虜を連れて行って、中央政府と交渉します」
「彼らは殺人、暴行傷害、器物破損、脅迫の容疑で
ルカの要求は、Tokio-Cityに同行しろというものより安全だったが、彼は応じなかった。
しかしそれは、想定内だ。
「ネオ・ヤマト国に戦闘中の軍人を裁ける法律がありますか?」
ルカの問いに、古畑ののどが鳴った。
「……彼らの行動が軍事行動だと認めるのですか?」
「もちろんです。今回の事件は、F-Cityと中央政府の間にコミュニケーションの
「それはそうですが……」
「勾留中の軍人を殺人罪で起訴するのなら、司馬総理を殺人
困惑した古畑を、ルカは凝視した。
「理屈はそういうことです。いずれにして、時間は48時間、いえ、あと44時間しかありません。大切なのは理屈ではなく、今からどうやって秩序を回復するかです。協力してもらえませんか?」
ルカの意志は固く、古畑が押し返せるようなものではなかった。
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