第40話

 警察の護衛下に入るのはメリットがあった。地図システムがダウンしても、GPSが使えなくても、警察車両にはマニュアルモードが搭載されていて、自由に走ることができる。


「自分でハンドルを握るのは、警察学校での訓練以来です」


 運転席に座る警官は、桜田譲二さくらだじょうじという気のいい若者だった。


「人だけはかないでね」


「たとえ轢いても、市長代理は守ります」


 彼は的外れの返答をしたが憎めない。ルカは苦笑するだけ……。


 後部座席に腰をおろし、目を閉じていた。桜田のふらつく運転を見るのも怖かったけれど、少しでも身体を休ませたかった。F-City大学はそう遠くない。休めるのも十分程度だろう。


 ところが、思った通りにはならなかった。運転しながら桜田が声をかけてくる。


「市長代理も大変でしたね。戦闘にまきこまれたのでしょ?」


「え、ええ。あなたは?」


「自分は森羅の工場に派遣されていたのですが、あっというまに戦闘は終わって、一発も銃を撃つことはありませんでした」


 彼は笑いながら言った。その明るい声にルカは運命を感じた。プラズマ銃を撃たなければならない市役所職員もいれば、戦闘を笑ってやり過ごせる警官もいるのだ。それを以外のどんな言葉で説明できるだろう。


「こうしてハンドルを握ってみると、自由のありがたさが分かりますね。オートドライブなんて楽なだけで、結局、行先や走り方といった自由を奪っているのですよね。市長代理、そう思いませんか?」


「でも、事故は減るわよ」


「なるほどぉ、安全は大切ですね。でもそれって、動物が、動物園のおりに閉じ込められたようなものじゃありませんか? 敵に襲われることもなく餓死の心配もない。安全だけど不自由です」


「……あなたの言う通りかもしれないわね。集団で暮らす以上、ある程度のルールは要るけど」


「ルールかぁ、完璧なルールって作れると思いますか? 神様なら作れるかな。神様っていると思います?」


 ハンドルを握っている間中、桜田はバッティングセンターのピッチングマシンのように質問を浴びせ、話し続けた。稀に含蓄がんちくのある問いもあったけれど、ほとんどが、たわいもないものだった。そうして自分が満足すると「ふんふんふん♪♪♪」と意味不明な鼻歌を歌った。


 結局、無邪気な警官の話につきあい、休むことなくF-City大学に着いた。車を降りた時の疲労は、桜田に運も体力も吸い取られたような感覚だった。


 市庁舎から距離のある大学は電磁パルス・ボムの被害を受けていなかった。すべての電子機器が正常に働いている。桜田を車で待たせ、エレベーターを使って研究室のある4階に上がった。


 フォーブルはいつも研究室にこもっている。誰かに呼び出されるか、家族の冠婚葬祭でもなければ、彼は研究室にいるのだ。そんな状態だから結婚してもすぐに別れることになる。研究室にあるのは、量子コンピュータと膨大なデータ、コーヒーと音楽だけだ。愛もなければ妻への配慮もない。


 その日もそうだった。彼は量子コンピュータとつながった首だけの不自由で哀れなヒューマノイドに囲まれて研究を続けていた。


「ん、誰だったかな?」


 記憶力の良い彼だが、教え子の顔や名前は憶えなかった。


「加賀美ルカです。7年前、演劇サークルで教授のお世話になりました」


「そうかそうか、僕は名前だけの担当だからな。気を悪くしないでよ。まぁ、入りたまえ。美女は大歓迎だ……」


 彼は変人だが、人間嫌いではない。ルカを研究室に招き入れてくれた。


「……で、何の用かな。表敬訪問というのではなさそうだが」


 彼は言いながら、タブレット端末でルカの名前を検索していた。


「フォーブル教授、お願いがあって来ました。世界のどこかにいるソフィというハッカーを捜してほしいのです」


「人探しなど、警察の仕事だろう……」


 彼は、ルカがF-City大学の卒業生であり、市の広報官を務めていること、突然、市長代理に就任したことなどを確認すると、コーヒーを淹れはじめる。


「……君は市長代理なのか、驚いた。それなら尚更、人探しは警察にやってもらえばいい。市長代理なら、市警を動かすのは簡単だろう」


「それが、ソフィは人間かAIかも分からないのです。分かっているのは、国軍のサーバーに侵入し、電磁パルス・ボムを使ったということだけです」


「ふむ、そいつが市庁舎に電磁パルス・ボムを落としたのか?」


 彼がルカの前にコーヒーカップを置いた。


「いいえ、市庁舎にそれを落としたのは国軍です」


「ん?」


「ソフィがそれを使ったのはTokio-Cityです。もっとも……」


 そこで、どこまで話していいのか考えた。ある意味、フォーブルは一般市民だ。


「ん、どうした。全部話しなさい。情報が不足しては正しい判断ができない」


 うながされ、彼を巻き込むことに決めた。


「先ほど、軍の無線でイージス艦に移動したという副総理と話したのですが、それも怪しいのです」


「どう怪しい?」


「国軍はF-Cityを急襲しましたが、私たちは勝ちました。20名ほどの兵士を逮捕しました」


「勇ましいな」


 彼が笑った。


「笑い事ではありません。多数の死者がいます。市長も、それで亡くなりました」


「市長が……」彼の顔が曇った。


「中央政府は負けたのに、副総理はまるで勝ったような余裕の態度でした。捕虜の釈放も要求してこない。まるでTokio-Cityには被害がないような印象を受けました」


「それだけかい?」


「国軍が来る前には前面に出ていた司馬総理も、戦闘後の交渉の場に出てきません。私が相手にしたのはディープフェイク映像で、話した相手はソフィではなかったか、と思うのです」


「なるほど。その懸念はあるな。しかし、Tokio-Cityが無事なのか、中央政府機能がどこにあるのか、……ソフィが君が言うような厄介なハッカーなら、ここでそれを判断するのは難しい。すべてのデジタル情報が改ざんされている可能性がある。Tokio-Cityに行って、自分の目で見るのが確実な方法だろうな」


「やはりそうですか……」


 Tokio-Cityに出向くのはやぶさかではないが、国軍が敵対している以上、F-Cityを出るのはリスクが高すぎる。Tokio-Cityの現状を確認したところで、戻ってこられないのではないか?


「……でも、ソフィが何者で、何をたくらんでいるのかが分かれば、様々な問題を解決し、Cityに安全をもたらせられると思うのです」


 ルカは、フォーブル教授に望みを託す。


「それを私に調べろと?」


 彼が自分の鼻の先を指さした。乗り気ではないようだった。

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