第37話

 市長執務室の床に寝かせられている浜口の遺体は、窓から外されたカーテンでおおわれていた。それが人型を作っている。


 ルカは兵士のライトに照らされた彼の最後を思い出す。うつぶせの彼の腰が弾丸に撃ち抜かれ、床を赤く染めた場面を。


 頭部に近い場所に膝をつき、恐る恐るカーテンをめくった。めくるのは首元までだ。現れた顔はろうのように白く、頬の筋肉が苦痛で歪んでいるように見えた。


「市長……」私はこれからどうしたらよいのでしょう?……冥福めいふくを祈る前に、本音が過った。


 遺体はルカの気持ちなど察するはずもなく、まして回答を与えてくれることもない。


 せきを切ったように涙がこぼれる。考えてみれば、ルカの知る中で最も優れ、信頼できる市長だった。だからこそ、自分は島の出身者だ、と彼にだけは告白することができた。


「私は全力を尽くします。天国から見守っていてください」


 そう言ったつもりだが、嗚咽おえつに乱され、明瞭な言葉にはならなかった。


 背後からハンカチが差し出された。振り返ると、石部だった。さえない中年男性だけれど、彼の心配りに頭が下がる。それを借りて涙をふいた。コロンの香りがした。


「ありがとうございます。後で洗って……」


 言いかけると、「いや、このままでいい」彼がハンカチを取った。


「すみません」


 大きく深呼吸して気持ちを整えた。泣いてばかりいたら亡き市長に叱られるだろう。石部や古畑にも頼りがないと見放されるに違いない。今は踏ん張り時だ。


「古畑部長、屋上の兵隊と遺体はどうしました?」


「エッ……」


 彼は目をしばたたかせた。


「確認していないのですか?……」


 ルカは彼の鈍さを質問で糊塗ことし、屋上にボーイが拘束した兵士と遺体があることを説明した。


「……市長のものも含め、遺体は大学病院か警察の霊安室に運んではどうでしょう?」


 提案すると、古畑が合意し、部屋を飛び出して行く。


 彼を見送ったルカは、浜口の遺体の前で呆然としていた。これからどうすべきか、具体策が思い浮かばない。隣にいる副市長に尋ねても同じだった。彼は市役所の総務部出身で、Cityのルーチンワークには知見が深いけれど、混乱を収拾するには大胆さに欠けていた。ともすれば「内務省の意向を確認しませんと」などと、日常の手続きに固執する。


「副市長は被害状況の確認と電子機器の復旧にあたってください。メディアに発表したように、通信設備が回復次第、独立に関する住民投票を実施したいと思います」


 そう目標を定めると、彼の顔に生気が戻った。


「そうしよう。任せてくれ」


 その口調は、ルカを上から見下ろすようだった。


 一人きりになって初めて、ルカはボーイがいないことに思い至った。彼には疑惑を覚えるけれど、そばにいれば頼りになる存在だったと改めて気づかされた。


 ほどなく救急隊のヒューマノイドが現れ、浜口の遺体を担架に乗せて運び出す。入れ替わるように、特殊部隊のヘルメットを手にした古畑が飛び込んできた。ヘルメットは屋上で拘束した岩本のものだ。


「加賀美……、いや、市長代理。無線が入っている」


「エッ……」


 突き出されたヘルメットに困惑した。それのどこが無線だというのだ。


「かぶってみろ、いや、ください」


 彼がルカの頭にヘルメットをのせる。ゴキゴキと、ヘルメットの縁が耳を削るようにして、頭がヘルメットに収まった。


『市長代理ですね。F-チャイルドセンターでお会いした大塩です』


 バイザーに彼の顔が映っていて、声も明瞭に聞こえた。


「あ、ハイ。加賀美です」


『中央政府からの通信がつながっています。あなたと話がしたいそうです。つないでも良いですか?』


「え?……」なにが起こっているのか分からない。けれど話すしかないだろうと思った。「……はい。お願いします」


『どうするんだ?』『そっちのボタンを押して……』『そうそう……』


 向こうで何やら話す声がした。接続を切り替えるのに戸惑っているようだ。


「アッ……」


 突然、目の前に海軍の制服姿の女性兵士が現れた。

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