第36話

『市庁舎付近に到着しましたが、この先、地図データが損傷しています。これより先に行くのは危険です』


 ナビシステムが報告し、車はそこで止まった。市庁舎まではあと800メートルほど距離がある。


「私が……」


 ボーイが言ってコントロールボックスを開いて操作する。機械をマニュアルに切り替えると、素早い指のタッチで、車を市庁舎の駐車場に導いた。


 スゴイ! 頼りになるなぁ。……そうした感動を、姿形の分からないソフィの影がかき消した。


 市庁舎に近づくほど群衆が増える。その最前列に陣取るのは、メディアのスタッフたち。


「なぜ、ヒューマノイドが動かないのですか?」「トラブルの原因は、何ですか?」「いつ、正常化するのですか?」「損害の責任は……?」


 彼らは市庁舎正面口に立つ石部副市長と古畑保安部長を取り巻き、市庁舎周辺の混乱について、そして、その場に市長がいないことについて説明を求めていた。


「これは、何といったら良いか……」


 石部と古畑の声は群衆のざわめきにのまれ、騒ぎが大きくなるばかり……。


 ルカは足を止めた。


 混乱をどうして収めたらよいだろう。……群衆に隠れてあれこれ考える。


「市長代理!」


 偶然、古畑の目に留まったようだ。彼が叫んだ。


 群衆が一斉に振り返る。


 バカァ! まだ考えがまとまっていないのに。……胸の内で古畑を非難した。


 記者のひとりが「広報官の加賀美さんですね!」と声をあげた。群衆のある者は期待の表情をつくり、ある者は失望の色を浮かべる。


 ルカは、群衆の視線にむかって笑顔で応じた。報道関係者に取り囲まれて身動きが取れなくなるまえに先制する。


「これから記者会見を行います。メディアの方は、玄関ホールへ入って下さい!」


 急場をしのぐために言った。


「メディアの方だけはホールへ!」


 同じことを叫びながら進む。


 目的が明確になったメディアの関係者たちは、素直に道を開けた。


 市庁舎のホールに入り、真っ先に目に留まったのは床に広がる赤黒い模様だった。特殊部隊に撃たれた警官たちが流した血の痕だ。死傷者は既に運び出されていたから、メディアの者たちでさえ目の前の真新しい染みが戦闘による痕跡だと想像できないようだった。人は目の前にある物さえ、自分の過去のモノサシでしか測れない。……ルカは血痕を避けて通った。そして、いつもと違わない明るさに気づいた。


 天井を見上げると照明が点灯している。配電盤や非常電源は復旧したらしい。その神々しいまでの明るさが、神の祝福のように感じた。そうして科学を神と錯覚する自分を恥じた。


 この分なら市庁舎の機能回復も早いだろう。とはいえ、照明といった電気機器などと違って、サーバーやルーター、放送機器といった精密機器は完全に壊れているだろうから、気を許すわけにはいかないな。……事態を過小評価しないよう、自分を戒めた。


 ホールの奥から続く階段を1段、2段と上って振り返る。ついてきたメディアの関係者は階段の手前で足を止めた。ルカの隣に石部と古畑が立つ。


「市長のご遺体は?」


 副市長の耳元で尋ねた。


「執務室に安置しています」


 彼が小声で答えた。


 少しだけ気持ちが落ち着き、メディア関係者に目を向ける。地元の地方放送局の記者とカメラマン、新聞社やネットメディアの記者、フリーのジャーナリスト、ざっと20ほどの顔があった。見上げる彼らの視線が痛い。深呼吸をしてから口を開く。


「加賀美ルカです。広報に携わっておりますので、ご存じだと思います。……この度、浜口市長の命で、市長代理に就任しました」


 すると、最前列に陣取ったネットメディアの記者がすかさず手と声を上げた。


「浜口市長は、なぜ、我々の前に立たないのですか? 市長から説明すべきなのではないですか?」


「浜口市長は……」深夜の光景を思い出し、泣きそうになる。「……国軍に殺害されました。……それで私が説明します」


「なんの冗談ですかぁ!」


 後方の記者からヤジが飛ぶ。


 ルカは涙目で、彼をキっとにらんだ。


「冗談ではありません。……皆さんは、私が未明の3時20分ごろに報じた、緊急放送を覚えておられるでしょう。国軍に撤退命令が出た。F-Cityは守られたというものです……」


 ルカは、撤退命令はフェイクで、実際は市庁舎ほか3カ所の施設に国軍の特殊部隊が急襲したことと、すでに武装警察とメタルコマンダーの手によって特殊部隊を制圧、捕虜にしたことを出来るかぎり詳細に説明した。


「……このホールでも市警の武装警官が殉職しました。その血痕があかしです」


 ルカは床の赤黒い模様を指した。そうして初めて、メディアの関係者は自分たちの踏み越えてきたものが警官の血液だと知って顔色を変えた。


「これからF-Cityはどうなるのですか?」


 放送局の記者が震える声で訊いた。


「浜口市長は、F-Cityを国家として独立させようと考えていました」


「そんなことが可能なのですか?」


「可能だから、浜口市長は殺害されたのだと考えています」


 ルカの説明に、その場は水を打ったように静まった。


「しかし……」ルカは言った。「……いかに市民の皆さまが市長のリコールを退しりぞけて市長に行政をゆだねたとはいえ、代理の私が独立といった重大事を独断で進めるのは問題があると考えます。……中央政府の要求と昨夜から今朝に至る戦闘の事実とを踏まえ、市庁舎の機器が復旧次第、独立の是非を問う住民投票を行いたいと考えます」


 それは一般受けする正解だ。本当の正解かどうかは確信が持てなかったが、メディアや市民には理解しやすい〝答え〟を与えなければ収拾がつかないと考えてのことだった。


「独立など、それは反逆だ!」


 極右メディアの記者が拳を振り上げた。


「国家があって国民があるのか、国民があって国家があるのか。住民投票でそれを問います。国家があって国民があると考えるなら、国家はCITYの独立を許さないだろうし、市民の皆さまも独立は望まないでしょう。その場合は、F-チャイルドセンターに関わるすべての権利を中央政府に移譲することになります。それは地方自治の放棄、民主主義の自死に等しい……」


 詭弁だ。……理性ではそう思いながら、唇はF-Cityの独立に熱を帯びた。


「……もし、国民の意志の下に国家が成立するのなら、中央政府がなんと言い、ネオ・ヤマト憲法がなんと定められていようと、私たちは独立できるはずです。私たちにはF-チャイルドセンターを背景とした経済力と政治力があります。……明け方の戦闘においては、防衛力があることも証明できました。その戦闘による勝利こそ、アメリカ合衆国独立におけるボストン茶会事件と同意義なのです。……偶発的とはいえ、それをすでに行ってしまったことに対しては謝罪します……」


 ルカは深く頭を下げ、1、2、3と10まで数えてから頭を上げた。


「……それらの事実を前提に、市民の皆さまには真剣に検討いただきたいのです。そして中央政府には、住民投票が終わるまで無益な武力攻撃を行わないことを切に望むものです」


 ルカは唇を結び、メディアのカメラに背を向けて階段を上った。石部と古畑が後を追う。そこにボーイの姿はなかった。

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