第34話

 歩いていると小さな子供の声がした。それに誘われ、いつの間にか、チャイルドケアセンターの食堂に出た。


 子供たちの朝食が始まっていた。何も知らない子供たちが思い思いにスプーンを口に運び、あるいは離乳食を床にまき散らす。保育士たちは慌てふためき、腰を折って子供の視線にあわせ、叱ったり、褒めたり、なだめすかしたりしながら、子供の口を拭き、落ちたものを拾い、新しい食事を準備している。


「もう日常に戻ったようですね」


 影のようについてきたボーイが言った。


「何も分からないからかな。子供は真っ直ぐで強いわね」


 ルカは気づいた。子供は純粋な人間だ。どんな相手にも自分をさらけだし、面と向かい、時には喧嘩をし、時にはじゃれあう。中央政府とも、目と目をあわせ、人間対人間として意見をぶつけ合うべきだろう。


 そういえば。……もうひとつ、思い出した。きびすを返し、管理棟の室長室に向かった。


 そこには疲れた様子の間山がいた。その様子から、あの少女はまだ見つかっていないだろうと察した。


「弓田未悠ちゃんはまだ……?」


「ええ……」


 間山が首を振り、深いため息をついた。


「ご両親への連絡はすませたのですか?」


「それが、彼女は放棄児ほうきじなのです」


「放棄児……」


 それは望まれて産まれたものの、両親に引き取りを拒否された子供のことだ。多くの場合、両親の喧嘩離婚が原因だ。妊娠期間の苦労を経験しない人工出産は、産まれてくる子への愛情がはぐくまれるのが遅い。出産前に離婚してしまうと、子供は憎い相手の負の遺産と化し、引き取りが拒まれることがある。


 そうした子供を引き取る里親もいるけれど、人工出産システムで自分のDNAを引き継ぐ子供が得られる時代、そうする奇特な人物は希少だった。里親が見つからない放棄児は、成人までF-チャイルドセンターで育てられた。


 ルカの胸の中を寂しい風が吹く。宝島の砂浜で、消えた父親を呼んだ時の記憶が蘇る。


「……未悠ちゃん、心細い思いをしているでしょうね」


 間山が小さくうなずいた。


 捜しに行こうと思って立ち上がると、ドアの前に控えていたボーイが言った。


「児童を捜すつもりですか? 加賀美さんには、他にやるべきことがあるのではないですか?」


 足が止まる。


「中央政府との交渉なら……」


「それだけではないはずです。市長なのですから」


「代理ですけど……」


 そうだ。代理とはいえ、市長なのだ。昨夜のことを、市長の死を、市民に説明しなければならない。……気持ちが変わった。


「間山さん、未悠ちゃんの捜索はお任せします。センターの車を貸してください」


「え?」


 話が理解できないのか、彼女が目を丸くした。


「市庁舎に戻ります。戻ったら、すぐに返却しますので」


 すると、ボーイが言う。


「ドローンで戻らないのですか? はるかに速いですが」


「ドローン……」頭の中を市長と井上の血の臭いが過る。「……あれには、もう乗りたくありません」


「自由に使ってください。今日は出かけることもないでしょう」


 間山が再びため息をついた。

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