第27話

 ルカの背後で、一度は意識を失った井上が立ち上がっていた。その瞳に混濁した狂気が宿っている。


「クソ人形がぁ……」


 彼は額を抑えて軽く頭を振ると、ボーイに向かって蹴りかかった。


「危ない!」


 ボーイがルカを背後に隠す。井上の鋭い蹴りがボーイの胸をかすめ、固い軍靴が衣服を切り裂いた。


「私から離れて」


 言うが早いか、ボーイは前進して井上の腹をめがけて拳を振るった。その身体は戦闘用には見えないが、それでも生身の人間など思いも及ばないスピードとパワーを供えていた。


 ――ドゥン――


 それはヒューマノイドと人間の激突とは思えない、重い音だった。


 ボーイが人間のように顔をしかめた。それから井上を睨みつける。


「おまえ、人間ではないな」


「俺様は特別な人間だよ」


 幼く見える井上の顔にはヒューマノイドのマークはない。人間でないなら何だというのだろう?……ルカは井上の言葉より、ボーイのそれを信じた。


 不法改造!……中央政府、それが国軍か公安警察か曖昧だけれど、ヒューマノイドの顔からマークを消すという改造を極秘に行っているという噂があった。人間社会の中にスパイとして送り込むためだ。井上がそういったヒューマノイドなら、構造や機能は戦闘用であり、ボーイが敵うはずのない相手だ。


「ボーイ、ダメ!」


 思わず叫んだ。


「三原則破りのヒューマノイド野郎。おとなしく殺されろ!」


 井上が叫びながらボーイの脇腹を蹴りあげた。人工物同士がぶつかる固い音が響く。ボーイの顔は無表情だが、相当のダメージを受けているだろう。


 ボーイがやられちゃう。……ルカは慌てた。周囲を見回し、武器を捜した。ボーイを助けるには武器が必要だ。


 それは手近にあった。岩本が背負っている対ヒューマノイド用のプラズマ銃だ。射程は短いものの威力は強く、ステンレスや鉄板なら一瞬で蒸発させてしまう。


 ルカは自分でも信じられない速さで岩本に飛びつき、意識を失っている彼の背中からプラズマ銃を奪った。それを使ったことはないが、使用するためには安全装置をはずし、引き金を引けばいい。そうした知識は映画で見知っている。


 銃身に〖ROCK〗と記されたボタンがある。それを押すと小さなランプ青から赤に変わった。


 片膝立ちで銃床を肩に当て、スコープを覗く。井上を中心におさめれば、微調整は銃のAIがやってくれる。


 ボーイと井上は格闘を続けていた。人間業ではありえないスピードで叩き合い、蹴りあっている。


 体勢が度々入れ替わるので狙いが定まらない。スコープの中で赤色と緑色の十字模様が目まぐるしく点滅していた。


 どちらが優勢になるにしても、つかみ合いになれば静止するときがある。その時を待った。そして、その時は来た。井上がボーイの背後に回って腕の関節を固めた。二人はルカに向き、横に並んだ形になっている。


 十字模様が緑一色で安定した。


 今だ!……ルカは引き金を引いた。不法改造のヒューマノイドに向かって引き金を引くのに躊躇ためらう理由はなかった。


 ルカに気づいた井上の目が丸く開かれた。


 銃口から超高温のプラズマ粒子が放出され井上の身体を貫く。粒子が腰を通過し、瞬時に蒸発させて大きな穴を作った。その身体が半分に折れて床に崩れ落ちる。


 身体の下半身から灰色のオイルが流れ出し、上半身から赤い液体が流れて床の上で混じりあった。


「い、いてえ……」


 井上の口から生の苦痛が洩れた。


「エッ、人間なの?」


 問いかけたとき、井上は絶命していた。


 流れ出す血液を前にルカは呼吸を忘れた。その景色は時折報道される錨島の惨状よりも凄惨せいさんに感じた。


 吐き気が胸にこみ上げてくる。


「加賀美さん、ありがとうございます。助かりました……」


 ボーイが前に立ち、視界を遮ってくれた。


「……彼はサイボーグです。生身の頭脳と生の血液、そして機械の循環器とセラミックの骨格、シリコンの筋肉、マイクロカーボンの皮膚を持っています。このマイクロカーボンは森羅化学製です。眼球は特殊なレンズのようです。この分なら、聴覚と嗅覚も改造されているでしょう……」


 ルカを案じるボーイが、気持ちを逸らすように、詳細に説明した。しかし、それで気持ちが軽くなることはなかった。そもそも、彼の声はルカの耳に届いていなかった。


 井上という若い兵士は人間なのか機械なのか、……多量の血液は人間の証だけれど、オイルは機械の証だ。もし彼が人間だとしたら自分は人を殺したことになる。


「私……」殺した。殺すつもりなんてなかったのに。いえ、やっぱり殺すつもりだった。私、人殺しだ。……ルカは、良心の呵責かしゃく、後悔、恐怖、絶望、……どんな言葉でも言い表せない感情の嵐の中にいた。魂が暗黒の深海に沈んでいく……。


 ルカの肩にボーイが優しく手を置き、井上の遺体が見えないように、ルカの身体の向きを変えながら抱きしめた。


「あなたは間違っていない」


 耳元で声がする。


 ボーイの身体から人間と同じぬくもりが伝わってくる。


 感情の嵐にもてあそばれて溺れかけていたルカの魂が、穏やかな海に浮かんだような安堵あんどを覚えた。

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