第20話
ルカはひどく緊張していた。
正午、浜口市長が緊急会見を開いた。その様子はF-City内の全てのメディアに生中継されている。ルカは司会の立場でカメラの前に立っていた。背後には、6階にあるスタジオの窓があり、鮮やかな海の景色があった。
「市民の皆さま、浜口市長から重要な発表があります。Cityの未来と皆さまやご家族の生命と財産に関わることなので、仕事の手を止め、冷静にお聴きください」
事情を知るルカの唇は震えていた。それが声に伝わり、市民の動揺を誘発するのを恐れた。
「誠に不本意ながら……」
浜口はそう口火を切り、以前から、中央政府にF-チャイルドセンターの人工出産システムの権利を放棄するよう要求されており、断り続けている、と淡々と述べた。
「……今回は司馬首相の強い要請でした。それも拒絶したため、中央政府と決定的な亀裂が生じました。……権利を移譲した場合、F-Cityの財政は半世紀前のように危機的状況に陥るでしょう。それを防ぐために、私は、政府のどんな圧力にも屈しないつもりですが、中央政府は力を持って臨んでくる可能性があります。……もし市民の皆さまが、市税の増税や市民サービスの低下を覚悟のうえでその身の安全を願うのであれば、私のリコールを行っていただきたい。……それが成立しましたら、私は市長の座を引きましょう。次の市長には人工出産システムを中央政府に移譲し、改めてF-Cityの再建に努めていただきたい」
彼は、午後8時までに選択することを要求した。中央政府に屈服して貧困を選ぶのか、命を的にしても今の生活を守るのか。リコールの投票は、スマホの選挙アプリから簡単に行うことができる。YESかNOのボタンをタップするだけだ。市民の3分の2がYESのボタンを押せば、リコールは成立する。
「チャイルドセンターを失って市税が増えることになっても、命の安全を選ぶのではないですか?」
ルカが市長に尋ねたのは、会見の前だ。ルカとしては、浜口に市長でいてほしかった。
「何よりも命が大切だというのは、飢餓とは無縁の者が言うことだ。君なら分かっているのじゃないかな?」
彼が意味ありげに尋ねた。
「貧乏は嫌ですね。子供のころは、いつもお腹が空いていて、食べ物のことばかり考えていました」
「それだけかい?」
今日はいやにねちっこくからむなぁ。……ルカは不思議な思いで、市長の言葉を受け止めた。
「……税金が増えるのは市民全員の問題ですが、多くの市民は国軍の武器が自分に向けられるとは考えないでしょう。つまり、リコールは成立しません」
「その通りだ。しかし実際、100年前、国は国民に武器を向けた。30年前までは飢餓もあった」
「でも、島民にあったことは、Cityの市民には関係のないことです。それに今の市民は、本当の飢餓を理解しているでしょうか?……この30年、市民は貧困とは無縁です」
「もう30年なのか、まだ30年なのか、どちらかな?」
「高齢者にとっては、まだ、ですが」
「私もそう思うよ」
「万が一、国軍が攻めてきた場合、勝てるのですか?」
「もちろん、全面対決になったら勝てないね。そんなことになったら白旗を上げるさ」
市長はそう言って白い歯を見せた。
市長なりのユーモアだと分かっていても、その態度は無責任に見えた。それがルカには意外だった。
午後3時、一般職員はいったん帰宅し、午後8時に登庁しなおすよう指示が出た。リコールが成立すれば、別な意味で忙しくなる。
「大変なことになったな」
ルカが帰宅すると、顔をあわせた父の拓翔が真っ先にそういった。彼の労働時間は午前9時から12時まで、午後は自宅で趣味の園芸に精を出すのが日常だ。3時間労働は、高齢だからというのではない。F-Cityでは、1日3時間労働が基本だ。6時間働けば、翌日は休暇になる。主要な労働のほとんどは、ヒューマノイドやAI、ロボットが担っていた。
「そうなのよ……」
「もしF-チャイルドセンターを失って昔のような貧困に陥ったら、新しいヒューマノイドを手に入れることはできなくなるだろうな」
60代後半の彼は半世紀前の貧しいF-Cityを明瞭に記憶していた。
「お父さん、どうすべきだと思う?」
「貧しくなったらヒューマノイドの数が減って、その分だけ自分たちの労働時間を増やさなければならないな。ぼろ雑巾のようになるまで働く暮らしに戻ることを誰も望まないだろう」
「それが嫌で、中央政府と戦争になったらどうする?」
「まさか、そんなことにはならないさ」
彼はカラカラ笑った。
父は、いや、多くの市民は、中央政府の要請を拒絶したところで、中央政府が武力行使に出るようなことはないと考えているようだった。
「でも、中央政府は夢島を封鎖し、碇島にはミサイルを撃ち込んでいるのよ。F-Cityがそうならないとは断言できないでしょ?」
あの日、橋の上で銃撃を受け、できた額の傷がチクチク痛んだ。実際に痛むわけはなかった。それは完治している。心が痛みを思い出したのだ。
「F-Cityにテロリストはいないよ」
そう言う彼が、ルカを見る顔は曇っていた。島の話を持ち出したからだ。
島の友達がテロリストだと思われている。……もう彼らの顔も思い出せないけれど、それは苦しいことだった。
「夢島にだってテロリストはいなかったわ」
「ルカは子供だったから知らないだけさ」
「本当にそう思っているの?」
ルカは実の父親の顔を思い出した。彼は命懸けで自分を島から逃がしてくれたのだ。あの日から20年。実母の写真は残っているが実父、剛毅のそれはなく、頭の中に浮かぶ彼の顔には優しさと力強さだけがあって、目鼻立ちはすっかり霞んでいた。
「……そうだな。攻撃してくるのは碇島だけだ」
「それだって……」
碇島の住民が皆テロリストとは限らないし、本土の人間と平等な権利が保障され、橋を行き来できたら、テロ行為に手を染める者はいなくなるのではないか、と思う。
「そうよね……」
ルカが思いを言葉にする前に、早紀が割り込んできた。
「……ルカには暴力の陰もないもの。夢島の人たちは、きっと優しい人なのよ。碇島の人と違って……」
彼女はルカをギュッと抱きしめた。
「……戦争になんて、なるはずがない」
耳元で彼女がささやく。
「ウン、……8時までに登庁しないといけないの」
ルカは気持ちを押し殺し、母の腕を逃れた。
「大変なのね。夕食をすませてから行くでしょ?」
彼女はキッチンに入った。
ルカは市長のリコールに〝NO〟を投じ、シャワーを浴びてから仮眠を取った。
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