Ⅴ章 生と死の境界線

第19話

 F-Cityの市長執務室、浜口はいつものようにフィロのホログラムに向き合っていた。


 一瞬、ホログラムが水中をくぐったようにグラリと乱れ、フィロの顔がゆがんだ。初めて見た現象だった。


「フィロ、何かあったのか?」


 友人の健康を気遣うような口調だった。彼は機械の異常を疑っていた。


『いいえ。なにも心配ありません』


 フィロが何も説明しないのが、かえって怪しく思えたが、あえて追及しなかった。下手な追求は、たとえ相手がAIでも、信頼関係を損ないかねないと思う。それに、フィロが何かを考えているような気がした。フィロの表情は、人間が物思いにふけっているときのように見えたのだ。彼にも静かに考える時間は必要だろう。


 いくつもの複雑難解な作業を並行して実行する能力を有する彼なら、1分間にどれだけのことを考えることができるのだろう?……そうした思いに至っても、実際、彼の思考を追体験したいとは思わなかった。それができたとしたら、きっと脳細胞が焼けてしまう。


「フィロ……」


 わずかな間をおいて声をかけた。


『ご用でしょうか?』


「フィロやヒューマノイドは夢を見るのかい?」


『それは、フィリップ・K・ディックの小説の検証を目論んでのことでしょうか?』


「フィロらしい冗談だな。……真面目な質問だよ。MPUマイクロプロセッサのスリープ中に、意図しない電流がそこを流れるようなことがあるのかと思ってね」


『スリープ中でもなどの外的な事由で思考が揺れる可能性は否定できません。それが夢というのかどうか、私には分かりません』


 フィロは硬い表情で応えると姿を消した。


 逃げられた。……そんな風に考えながら、浜口は窓際に立って街を見下ろした。もしコンピュータが夢を見ることがあるのなら、多くのコンピュータとそこに実装されたプログラムでコントロールされているこの街は、不安定で不確実な存在と言えるのかもしれない。


 大通りを若者が乗ったクラッシック・バイクが車体を傾げて走り抜けていく。まだ、自動運転でない乗り物もあるのだ。いや、そうしたものに憧れを抱く若者は多くいて、それが安定的な社会に変化を与えている。


 人間の思考や行動の不確実性に比べたら、プログラムの不安定性など、どれほどのものだろう。思考の不安定な人間が指揮する暴力が、今夜にでも発動されるに違いない。それを思うと、人類に対する絶望に憑りつかれそうになる。


 司馬総理の顔が脳裏を過る。フィロに対する疑念がどこかへ行った。


 中央政府が攻めてくる。まさか市民に武器を向けることはないと思うが……。そう考えた時、脳裏を碇島の惨状が過った。


 中央政府の統制によって、それを扱うメディアは皆無に近い。が、浜口は、その中央政府が撮影している、ドローンによる監視映像を見ている。中央政府がそれを送ってくるのは、安心を促すためか、あるいは、逆らうとこうなるぞという牽制のためか。……いずれにしても、見て気持ちの良いものではない。


 中央の連中は違うのか?……意見を異にする国民を排除するのは、民主主義を標榜する政治家がやってはならないことだと思う。


 私が古い人間なのか?……ともすると、政治家としての自信を失ってしまいそうだ。


 あそこはまるで廃墟だ。「何とかならないものか……」


 海の向こう、灰色に霞んだ島に目をむけるとため息がこぼれた。


「やるしかないか……」


 浜口は決意して中央政府に通告した。国軍の航空機、もしくはミサイルがF-City上空に侵入した場合、Cityは防空ミサイルをもって迎撃する。陸上部隊の侵入にあたっては、メタルコマンダーをあてる。そうした攻撃があった場合、F-Cityは独立を宣言する、と……。

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