第16話

『外に古畑部長がお見えです』


 フィロの声で、浜口は緊急対策会議の議事録から目を上げた。


「入れてくれ」


『首相への通信はいかがいたしましょう?』


「いつでもつないでくれていい。頼むよ」


 扉が開き、50代半ばの古畑がボタンの閉まらない上着を腕に抱えて入室した。歩くと胴回りの脂肪が揺れた。


「市長、お呼びですか?」


「お疲れのところすみません」


 浜口は応接椅子をすすめ、自分もそこへ移動した。


「部長、申し訳ない。今回は武装警察隊の力に依存することになります」


「本当に国軍が来るのですか?」


「おそらく、……いえ、99.9%やってきます。小規模な部隊だと思いますが」


「まさか……」古畑の表情が板のように強張った。「……ミサイルやドローンなら迎撃できますが、地上軍なら、我が方には対抗手段がありません」


「それについてはメタルコマンダーを10体用意しました。詳細はフィロに聞いてください」


 告げると、彼はフィロのホログラムに目をやった。


「本当かね?」


『はい。ヒューマノイド工場に4体、市庁舎とF-チャイルドセンターに3体ずつ配備します』


「国道666号を押さえ、国軍の侵入を防いだ方が良いのではないのか?」


 そう話す古畑の表情にはわずかな希望が浮かんでいた。


「軍が来るとしても夜になるでしょう。そんなことにならないよう、私は中央政府との交渉にあたります。Cityの防衛はお任せするので、作戦については後ほどじっくりフィロと話し合ってください。当面、市民の中に不安が広がらないよう、市中の警備を増強するよう、お願いします」


「もちろん。警察官と救急隊は昨夜から全員、動員しています。場合によっては今回の事態に乗じて島出身のテロリストが動き出すかもしれませんからな」


 彼はそう言うと立ち上がり、扉の前で足を止めた。そうして振り返って口を開く。


「防衛には全力を尽くしますが、軍が本気で向かってきた場合、とても防ぎきれませんよ。大人と子供、いや、大人と赤ん坊ほどの力の差があります」


「分かっています」


 古畑を見送った直後、中央政府との回線がつながったとフィロが言った。


『こんな朝早くから、何の用だ?』


 デスク上のスピーカーから愛想のない司馬の声がした。モニターには毛の薄い後頭部が映っている。


 背を向けるとは失礼な男だ。……怒りを覚えたが、彼がそうしたい気持ちが分からないでもない。


「司馬総理、F-City市長の浜口です」


 感情を殺して話した。


『浜口君か。……今頃、詫びを入れるつもりかね』


 尊大な口調に嘲笑が混じっていた。


 怒るな。……浜口は自分に向かって言った。


「いいえ。私の信念は変わりません。改めて人工出産システムの権利譲渡はあり得ないということと、再三、国連から要請がある夢島と碇島の住民の人権擁護をすすめていくことをお報せしておくべきと……」


『なんだと!……』


 声を荒げた司馬が、モニター内でぐるりと椅子を回し、小さな瞳でこちらをねめつけた。目は血走り、こめかみの血管が青く浮き出ている。正に鬼の形相だ。


『……権利譲渡の拒絶だけで飽き足らず、勝手にテロリストとの和解を進めるというのか?』


 怒りに任せ、他人を見下す彼の顔は、ひどく醜いと感じた。それに動じずに答える。


「それともうひとつ。誤解があるといけないので述べておきます。F-Cityのは使いませんので、安心ください」


『グッ……』司馬ののどが鳴る。


 彼が次に言葉を発するまで、長い時間が過ぎた。


『どういうことだ?』


「こちらに核を使う意志はないということです。中央政府とはこれまで通りの関係でありたいと考えています」


『お前ごとき……』


 彼の歯ぎしりが聞こえそうだった。そして突然、通信が切れた。


「何があった?」


 浜口はフィロに目をやった。


『司馬首相は短気で有名です。市長の直言ちょくげんが耳に痛かったのでしょう』


「フィロ、嫌味だな。実に人間らしい」


『市長こそ、嫌味が上手です。……ところで、核のことは持ち出さないということではなかったのですか?』


「総理の顔が憎たらしくて、つい、なぁ。私も修行が足りない」


『実に人間的な反応でした』


「それでも、使うようなことは一言も言っていないつもりだ」


『市長の発言を首相がどのように解釈したのか、気になるところです。人間は自分の思考方法で相手の言葉を解釈します』


「あぁ、そうだな……」


 司馬がどんな風に解釈したか考えようとしたができなかった。頭が疲労で麻痺しているようだ。


「……熱いコーヒーが飲みたいな」


 嘆くように言うと、デスクの下からホットコーヒーのカップがせり上がってくる。いつもの香が尊く感じた。


「ありがとう。フィロ、君は最高の秘書だ」


『恐縮です』


 フィロは微笑み、フッと姿を消した。


 コーヒーを口に運びながら、司馬の顔を思い出して不安を覚える。フィロの言うとおり、しばしば悪辣あくらつな策略を使う彼は、核で脅かされたと解釈したかもしれない。


 言葉は言霊。昔から政治家の言葉は重いという。一度発した言葉を、軽々に撤回できるものではない。やはり、核という言葉は唇にのせるべきではなかった。……浜口は深く後悔した。

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