Ⅱ章 非常招集

第10話

 その日は突然やって来た。


 ――ビビビビビビ!――


 加賀美ルカがベッドに入った時、スマホが不快な音をまき散らした。島からの攻撃に対するいつもの警報音とは違っていた。


「何よ、いったい……」


 ぼやきながらスマホを手にすると、音は止まった。画面に〖非常招集〗の文字が踊っている。そんなことは市役所に勤めて初めてのことだった。


 台風や地震ではない。いったい何があったのだろう? 洪水? 地盤沈下? 火山の噴火?……自然災害を思い描きながら急いで着替え、部屋を飛び出す。


「こんなに夜遅く、何かあったの?」


 ルカのスマホの音で目覚めたのだろう。パジャマ姿の母、早紀に廊下で声をかけられた。後ろには父、拓翔の不安げな顔もあった。


「非常招集というだけで分からないの。とにかく、市庁舎に行ってみるわ」


「連絡ちょうだいね」


「分かった!」


 応じて、マンションを飛び出した。


「市庁舎までやって。大至急」


 自分の車に飛び乗り、オートドライブシステムに命じる。市庁舎までは10分の距離だ。


 深夜だというのに市庁舎は煌々と照明が灯っていた。続々と職員が集まっている。エレベーター中では、何があったのか、と皆口々に疑問と推測を語り合い、それぞれの部署に散っていった。


 ルカは6階の広報室に入った。たった3名の部署だ。


「大変だったな」


 室長の渋谷しぶやが深刻な顔をしていた。主任の赤坂あかさかはまだ来ていなかった。


「何があったのですか?」


「戦争だよ」


「エッ?……」よく知っている言葉なのに呑みこめなかった。「……いったいどことどこの国が戦争を?」


「ウチだよ」


「ウチ……?」


「まだ始まってはいない。ただ、数日の間にそうなりそうだとフィロが予測した」


「緊急招集をかけて何を?」


「準備に決まっているだろう。ウチの部屋にも、メッセージを作っておくように指示があった」


「メッセージ?」


「市民とF-City以外の国民向けのものだ。国軍を撃退した後、中央政府の非道を糾弾きゅうだんするものだ」


「撃退なんて、できるのですか? Cityには対空ミサイルはあっても軍隊はありませんよ」


「ああ、それでも市長は勝つつもりらしい。その後の声明文を君に作ってほしいそうだ」


「そうしたものならフィロがつくるのではないですか?」


「それが違うのだ。ルカ、君の思いをつづれというのが市長の指示だ」


「私の?」


 どうして?……理由も意味も分からない。


「君の才能はフィロをしのぐということだろう」


「まさか、ありえませんよ。私がAIより優れているなんて」


 思わず苦笑した。


「それ以外に理由があるとでも?」


「室長に分からないことが、私に分かるはずがないじゃないですか」


「それなら指示した本人に確認するしかないだろう」


 ルカはF-Cityの基幹システムにつながる情報端末を立ち上げた。

モニターにフィロの顔が現れる。


「フィロ、教えて。市長は今、話せる状況?」


『市長は外出しています。行先は秘匿事項です』


 事務的な返事に感情がざわついた。こんな夜中に市長は、どこで何をするつもりなのだろう?


「戦争になるというのは本当なの?」


『その確率は99.9%です』


「どこの国が攻めてくるというの?」


『ネオ・ヤマト国、中央政府軍です』


「中央政府が地方政府を攻めるなんて、ある? 話せばわかることじゃない!」


『加賀美ルカの意見に、私は賛同しかねます。人類の行動は、必ずしも論理的ではありません』


「それはそうだけど。……教えて。どうした理由で、中央政府が実力行使をするの?」


『市長がF-Cityの独立を示唆したからです。それについて、加賀美ルカに、中央軍撃退時の声明文の立案が要請されているはずです』


「それは聞いたけど、勝てるの?」


『今回の戦いは限定的なものです。それを拡大させないための措置を市長は考えています』


「限定的……」


 ルカが思い浮かべたのは陸軍が碇島に撃ち込むミサイルだった。攻撃は年に数十回、島のインフラを破壊し、経済力を削ぐような形で、あるいは、島からの攻撃に復讐する形で実施されている。まさに限定的な戦争だった。


「室長、F-Cityが碇島の自治地区のようになるのでしょうか?」


 想像しただけで絶望が黒い霧のようになって胸の中に広がった。


「そうかもしれないな。加賀美さん、そうなら逃げ出すかい?」


 逃げる。……脳裏を暗い海が過った。そこで自分は気を失い、実の父親と離れ離れになってしまった。宝島に漂着したところを助けてくれたのが今の父、拓翔だった。


 F-チャイルドセンターで働いていた彼には子供がなかった。そこで子供を作るかどうか、悩んでいるところだった。そんな彼に発見されたのは運命だったのかもしれない。彼に望まれ、無国籍者として養子に入った。彼のアドバイスを受けて古い名前も捨てた。夢島出身だということを世間から隠すためだった。


 浜口市長にだけは夢島出身であることを報告してある。彼はそうしたことで差別しないと信じたからだ。


 おとうさんは生きているのだろうか? 生きていれば、彼は60歳を過ぎているはずだ。いや、きっと生きている。会いたい!……感情が暴走し、頬が濡れた。


「おい、加賀美さん!」


 渋谷の声で我に返った。慌てて涙をふいた。


「アッ、すみません。なんでしたっけ?」


「変だぞ。大丈夫かい?」


「すみません。泣いたりして。なんだか悲しくなって……」


「気持ちを強く持ってくれ。加賀美さんはF-Cityの顔なんだ。市長の指示だ。力強い声明文を頼むよ」


「ハイ」


 反射的に返事をしてしまってから後悔した。そんな難しい仕事が自分にできるとは思えない。


 ワープロを立ち上げ、真っ白なモニターを前に吐息をついた。戦いに巻き込まれる不安と興奮がぶつかり合う。それとは関係のないところで、生理的な睡魔が全てを呑みこもうとしている。


「どうもぉ」


 遅れてきた主任の赤坂ミナトが身を縮めてやってきた。


「オウ……」


 渋谷の反応は薄い。


「お疲れ様です」


 ルカは眠い目をこすった。


「何があったんだ?」


 赤坂が訊くので、中央政府と戦争になるらしいと教えた。


「噓だろう! 勝てるはずがないよ。そうですよね、室長?」


「知らないよ。お、対策本部会議の時刻だ」


 来る戦闘に備えて各部署の職責者による対策本部が設置されていた。彼はよろよろと立ち上がり、広報室を後にした。その背中を見送った後、ルカは眠りに落ちた。




 ――ギシッ――


 椅子の軋む音でルカは目を覚ました。


 深夜零時、第1回の対策会議では部署ごとの役割が確認された。終わったのは午前3時、一般職員の多くが机にもたれて仮眠を取っていた。


 広報室に戻った渋谷が椅子に掛け、その重圧でそれが鳴いた。


 ――ギシッ――


「困ったものだな」


 それが寝ていたルカに対するものか、攻めてくる国軍に対してなのか、あるいは中央政府に敵対する市長に対してなのか、ルカには分からない。


「困ったものだな」と、彼は繰り返した。


「んー……何か、……困っているのですかぁ?」


 ルカは身体を起こし、眠い目をこすってみせた。言葉とあくびが混じっていた。


「本部長の市長が不在だったよ。副市長が代理だと……」


「外で何をしているのですかね?」


 半分眠っている頭で考える。答えに行き着くはずなどなかった。


「さあな」


「で、どういう話だったのですか?」


「何が?」


「戦争になるという話です」


「あぁ……」


 渋谷が言いよどむ。


「教えてください。状況が分からないことには説得力のある声明文が書けません。それとも室長が書きますか?」


 そうしてくれたら助かると思った。


「それを言われると弱いなぁ……」


 渋谷が観念し、「誰にも話すなよ」と念を押して説明を始めた。


「……中央政府内に籍を置く善意の何者かから、中央政府がF-City制圧のための軍を組織しているとの密告があったそうだ。密告の内容が正しいかどうか、現時点では不明だが、市長が最悪の事態を想定して今の事態に至っている。保安本部が防衛行動にあたり、人的な被害に対しては厚生部、物理的な被害対策は土木建築部、メディア対応にはウチがあたる……」


「正確な時期とか、Cityのどこが攻められるとか、分からないのですか?」


「まぁ、今のところ不明だそうだ」


「なんだかホッとしました」


 ルカの隣でぼんやり話を聞いていた赤坂が吐息をついた。


「どうして?」


「だって、ガセかもしれないですよね。その密告」


「あぁ、その可能性は否定できないな」


 渋谷が赤坂に同意した。


「ですよね。中央政府がCityを攻撃するなんてありませんよ。……なぁーんだ。心配して損したな」


 赤坂の言葉に、ルカも安堵を覚えた。中央政府が地方政府を軍の力で黙らせるなどありえない。声明文を書く気力が萎えた。

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