第9話
劉の口から強権的な司馬総理の名が出て、浜口は思わずゴクンと唾をのんだ。それから気持ちを落ち着かせ、おもむろに口を開いた。
「……世界が現状のようになったのは、大臣のおっしゃる政治家が目先の経済ばかりを論じてきたからではありませんか? 先日も国会で首相は、重要なのは金、金、金と、……いや、失礼、間違えました。経済、経済、経済と、経済面ばかりを論じられた。そこに人権も教育も、和平さえもなかった」
めいっぱい揶揄すると、劉ののどがグッと鳴った。その表情は険しさを増している。彼にしても自ら地方に足を運び、何の成果もなしに帰るわけにはいかないのに違いない。
「中央政府とて、300年来、少子化対策を実施してきた。その成果が出ないのは、ここのように中央の指示に従わない
彼が拳を作り、ドンとテーブルを打つ。
300年、……大陸人が中心の中央政府は、踏みつぶした前代の政府の実績を含めることで、自分たちの正統性を証明しているつもりらしい。……浜口は冷笑を押し殺した。
「少子化対策は300年来の課題でしたが、常に後回しにされた政策です。それは今の中央政府の政治になっても変わらなかった。中央の関心は選挙と政局のことばかりで、ばらまき型の経済政策ばかり……。それで先々代の市長がF-チャイルドセンターを設立したのです。今更、少子化対策が国の方針だった、センターの権利をよこせと、たとえ司馬首相が仰ったところで、私は納得できません」
浜口は、頑として譲らなかった。
梅花は相変わらず無表情だったが、劉の顔色はすっかり変わっていた。
「私に向かって、そこまで言うのかね。国家に見放されたCityがどのような運命をたどるのか、見て見たくなったよ」
「脅迫ですか……?」
「政治だよ」
劉が不敵な笑みを浮かべた。
浜口は前傾していた姿勢を戻し、背もたれに体重をかけて余裕のあるふりをした。
「中央政府は権力と自尊心のためなら何でもするのですね。そうしたもののために、多くの優秀な技術者や官僚が犠牲になり、この国は世界に後れを取ることになったのです。……F-チャイルドセンターが成功を収めたのは、中央政府に笑われ、
「中央が無能だとでも?……国家の経営はCityなどとは全く異なるのだよ。おとなしく、人工出産システムの権利と技術資料を差し出せ。さもないと……」
劉が紫色に変わった唇をゆがめた。笑っているつもりだろうが、浜口にはそうは見えなかった。
「それでは、F-Cityも国家として独立してみましょうか?」
浜口は脅かしに屈しなかった。力を誇示する者に対して弱みを見せてはいけない。一度でも弱みを見せたら、そこから付け入って過剰な力を振り回し、多くの人を傷付けるのが権力だからだ。とはいえ、独立というのは《はったり》だ。
「国土と国民と世界各国の承認がなければ、国家とは認められませんよ」
梅花が事務的に発言し、劉が拳を振るう。
「その通りだ。F-CITYに国土と国民がいるとしても、それを独立国だと世界は認めない。国の政策に納得できないというだけで地方政府が独立を言い出したら、国家など成り立たないからな」
「そもそも国家とは何かを問い直すべきなのです。国家あっての国民ではなく、国民あっての国家であるように、Cityも市民あってのCityなのです。市民の利益を私は最優先するつもりです」
「それは豊かな者のエゴだよ」
弱点を突いたつもりだろう。劉の顔に余裕が浮かんだ。
「F-Cityは人工出産システムを構築してやっと貧困から脱出し、自立できたのですよ。その豊かさを国家が取り上げようとしている。対抗するのは当然なことです」
「国家あってのCityだと思わないかね。食料もエネルギーも、周辺のCityに依存しているのではないか? CITYが安全なのは、国家が守っているからではないのか?」
「ここが安全だと?……つい今しがた見たものをお忘れですか?」
浜口は窓の外を指した。
「あんなもの」
劉が唇の端で笑った。
「なるほど……」
カエルの面に小便。そんな故事が脳裏を過る。論点を変えることにした。
「……首都、T-CITYから離れているおかげで、ここには土地が余っており食料自給率は高いのです。エネルギーは再生エネルギー率87%。残りは水素で、それも自給可能です。鉱工業では課題が残りますが、それは他のCityが人工出産システムを持たないことに比べれば、大きな問題ではありません。独立を承認した国家に対してのみ、F-チャイルドセンターが依頼を受け入れると表明したら、諸外国はどんな反応をするでしょうか?……少なくとも先進諸国は理解を示してくれると思います」
売り言葉に買い言葉。〝独立〟の言葉に重みが増していく。
「俺を脅すのか?」
「政治です」
言われた言葉をそのまま返した。
「独立となれば、外交と防衛が必要になるのだぞ。アメリカと中国、大国の脅威にさらされながら国益を守らなければならないのだ。そんな能力はF-CITYにはあるまい」
「やる前からできないと決めつけるのは、いかがなものでしょうか?」
すでに中央政府の圧力にさらされている。……浜口はグッと言葉をのんだ。
「出来るというのか?」
「お話ししたはずです。私どもは、人口出産システムを通じて諸外国とのパイプを持っています。それに、ここには軍にメタルコマンダーを納入している森羅産業傘下のヒューマノイド工場があります」
「外交と軍事があるというのか、笑わせるな。……第一、戦争は兵器だけがするものではない。指揮官も要れば兵隊も要る」
「独立戦争となれば、兵隊は無くとも身近なものは何でも使用します。市民も協力を惜しまないと、私は信じます」
「何でもだと……」
劉の額に脂汗が浮かび、瞳が細かく揺れ始めた。極度に緊張しているのに違いなかった。
「劉大臣、独立は冗談です。現状維持でよいではありませんか。それが長年続いたこの国の政治です」
浜口にとって〝独立〟は取引材料だったが、劉にとっては違ったらしい。彼はいきなり立ち上がり、ドアに向かった。梅花が慌てて追う。
「お帰りですか?」
今度は浜口が慌てた。劉がどんな気持ちで席を蹴ったのか分からない。
「市長、続きは後日ということで」
浜口の鼻先で、梅花がドアを閉めた。
浜口は、劉が乗った政府専用ドローンが飛び立つのをモニターで見送った後、劉が見せた不思議な緊張感の理由を考えた。一体、どうしてあれほど態度を硬化させたのだろう?……まったく理由が思い当たらない。
「フィロ、劉大臣は、どうしてあんなに慌てて帰ったのだと思う?」
『データが不足しています。原因不明と判断します』
真顔のフィロがいつもの声で応じた。
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