第3話

 狭い島には墓地を作る十分なスペースがない。亜季葉の亡きがらは、翌日には火葬され、遺灰は住民に見守られて東の断崖から海に投じられた。


「寿命だ。気を落とすなよ」


 住人達は亜季葉の遺灰をのみこんだ海を見つめる剛毅の肩をたたいて、ひとり、ふたりと去っていく。そうして太陽が西に傾く中、岸壁にたたずむのは親子だけになった。


 空は紫色になり、いつもは青い海がその色を映していた。普段なら美しいと思うところ、瑠々香は哀しいと感じた。


「逝ってしまったな」


「ウン」


 祖母の死は、母のそれより悲しくなかった。たた、父親は違うらしい。いつまでもその場から動こうとしないので、自分が母親を失った時のように悲しんでいるのだと感じた。


 二人は海を見つめていた。目に映るそれは、それはいつもと変わらない色をしていた。遺骨は遠くへ流されるのだろうか? それとも海底に沈むのだろうか?


 振り返ると森や山、家々は切り絵のような黒いシルエットに変わっていた。海の向こうには赤や青、紫といった様々な色があるのに、夢島には黒と灰色以外の色はない。


 世界は心を映しているのだろう。


「本土に行くつもりだったのか?」


「ウン」


 自分が夢島を捨てようとしたから、罰が当たったのだ。それでおばあちゃんは死んだのだ。そう思った。


 ――ズザーン、……ズズズズズ――


 断崖に打ち寄せる波の音は、崖を這い上ってくるようだ。そうしてそれは沈黙を押し流し、闇を引き寄せる。


 墨を流したような海の上、チカチカと光を点滅させてドローンが飛んでいく。海面を見張る沿岸警備隊の殺人マシーンだ。海峡を渡る不審船や航空機があれば、それはすかさず無慈悲に攻撃する。本土に渡ろうとする島民には弁解する余地さえ与えられていないのだ。


 ――ズザーン、……ズズズズズ――


「行くか?」


 剛毅が、と、訊いた気がした。この断崖から飛び降り、亜季葉の後を追おうと言っているのだと思った。


 橋を渡りかけ、銃撃を浴びた時の恐怖が蘇る。とても恐ろしくて返事ができない。ただ茫然とドローンの点滅する光を追った。


「行きたいのだろう?」


 再び尋ねられ、父親の顔に目をやった。その顔は灰色の空に黒い影と化していた。それでも瞳が自分を向いているのは分かった。


「お前には未来を見てほしい」


 瑠々香には、父親が何を言っているのか理解できなかった。ただ、今のままではダメだと言っているのは分かった。


 剛毅が帰路につく。瑠々香はそれに従った。


 家に戻った父親は家中から生活に必要なものを集めた。とはいっても、もともと家財は少ない。着替えや思い出の写真といった程度のものだ。


「どうするの?」


 瑠々香は母の写真を壁から取りながら訊いた。


「本土に渡る。そこに行っても簡単に楽にはならないだろうが、島にいるよりは可能性がある」


 それは、説明されるまでもなく、瑠々香にも分かっていた。そこにはテレビで視たような煌びやかで豊かな世界があるはずだ。


 今までダメだと言っていたのに、橋を渡るつもりなのだ。……考えると心臓がバクバク鳴った。昨日の光景がよみがえる。足元で銃弾がさく裂した光景だ。チクリと額の傷が痛んだ。


 父は集めた荷物を布袋に詰め、それを屋根の雨漏りを防ぐための防水シートに包んでテープでグルグルにとめた。どうしてそんなことをするのか、瑠々香には分からなかった。それを尋ねることはなく、父親の言う通りにした。


 荷物は二つ。剛毅のものと瑠々香のものだ。瑠々香は自分の荷物をリュックに入れて背負った。


「行くか……」


 剛毅は寂しそうに屋内に視線を這わせた。木製のハンガーと防水シートを4メートルほど切った物を丸めて手にしていた。


 瑠々香は父親の姿を見ていた。彼ほど住まいに愛着はない。空に瞬く星を見上げ、ドアが閉まるのを待った。普段ならとっくに眠っている時刻だけれど、神経が高ぶっていて眠気は感じなかった。


 流れ星のように脳裏を友瑠の姿が過る。彼に無断で本土に渡るのに後ろめたさを覚えた。が、すぐに気持ちを切り替えた。彼は橋の前で躊躇したではないか。


 ――タン――


 小さな音がした。ガシガシと乱暴に、父親の手が瑠々香の頭をなでた。


 ヒタヒタヒタ……、二人の足音が街灯のない闇夜に溶けていく。


 頼りは星明りだ。正面にヒシャク型の北斗七星が輝いている。瑠々香は不安を覚えた。父親が橋のある南ではなく、北に向かっているからだ。


「お父さん、道、間違っていない?」


 背後から声をかけると、「シッ!」と強い反応があった。

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