最終話 バツイチ、サレ妻サレ夫の新たな生活。未来に向かっていく。

 冬の凍えるような寒さが身に沁みます。

 傷心した時ほど、仕事が忙しいとありがたいなと思う。


「小夏。ご飯食べに行こうか?」

「園田くん。そうだね」

「千秋もあとから来るだろうから」


 私は颯斗くんと住んでいたマンションを出ていき、一人暮らしを始めた。

 思えば、人生初めての一人暮らし、なんだかワクワクしていた。


 今までの事務の仕事は辞めて、実は柊くんのキッチンスタジオのお手伝いをすることになった。

 私はどうやら……やっぱりというべきか、料理を作ったりすることが大好きみたい。

 事務仕事も勉強になった。

 これからは、私の作った料理を食べてくれるお客さんの笑顔が見たい。

 知識も経験もまだまだ足りないけれど、好きなことをやるのって楽しいから、頑張れる。


 颯斗くんとの離婚は今調停中で、まだ正式には旧姓には戻れていない。

 それに比べて柊くんは、香恋さんとすぐに離婚している。


「千秋、遅えなあ……」

「今日はレシピ本の打ち合わせに行ったんだよね?」

「うん。出版社は近いし、とっくに帰ってきてもいい時間なんだけどな」


 その時、キッチンスタジオの玄関の方で、怒鳴りつける大声がした。

 ハッとした。

 どうしてか胸騒ぎがする。


「なんだ?」

「誰か来てるの?」


 騒ぎを聞いて私と園田くんが慌てて駆けつけると、そこに見えたのは映画さながらに、柊くんが誰かを投げ飛ばすところだった。信じられないアクションシーンが鮮やかに繰り広げられていたのだった。


「きゃあっ!」

「千秋っ!」


 倒れた人に、柊くん付きの身辺警護のSPの人と執事の小芝さんが覆いかぶさって抑え込んだ。


「柊くん、大丈夫っ!?」

「千秋っ、大丈夫かっ?」

「ああ、小夏、園田。……うん、大丈夫。鍛えてるから、心配しないで。こういうのわりとあるんだよ。……香恋の熱狂的なファンとか、俺が許せないらしくってね」

「離婚したのにか」

「結婚した時も殴りかかられたり襲われたけど、離婚しても襲われる。香恋に酷いことしたってね」


 柊くんを襲ったらしい犯人の顔が見えた。

 あっ! この人……。

 私は柊くんが投げ飛ばした人の顔に見覚えがあった。


「ミヤビっ!」


 駐車場の方からカツンカツンッっとハイヒールの音がして、現れたのは香恋さんだった。

 焦った顔をしている。


「……ごめん」

「私のために、こういうことしないでって言ったでしょう?」

「ごめん」


 知ってるこの人。

 今売り出し中のモデルの『ミヤビ』だ。


「お願い、千秋。一度だけ情けをかけてほしいの。この子、こんなことする子じゃない。お願い、訴えたりしないで」

「……ああ、まだなにもされてないよ。俺のほうが先にってことにしとく。背後に気配を感じて振り返ったらこの子が居て。声を掛けたら怒鳴られて向かって来て胸ぐらを掴まれたからつい、ね。……先に投げ飛ばしたりしたのは俺だから、五分五分かな。小芝、離してやって」

「よろしいんですか?」

「ああ。俺も話も聞かずに彼をいきなり背負い投げしちゃったからさ。……悪いね、手荒で」


 柊くんがミヤビを睨んでから、ふっと笑った。


「きみ、香恋のファンなの? それとも恋人?」

「……分からない」

「恋人よ、千秋。私たち、帰るわ。二度とこんなことしないように言い聞かせるから」

「見つけたんだ? 兄さんより大切な人。そんな必死な顔をしてる君を初めて見たよ」

「そう、ね。私みたいに不安定で危ういからかしら。優大さんよりも……たぶん好きになれそうよ」


 私は呆気にとらわれていた。

 隣りに立つ園田くんは事態の動向を伺うようにじっと顛末を見ていて、何も話さなかった。



     ✧✧✧



「ごめん、小夏。怖かった?」

「ううん。大丈夫。……柊くんはほんとに怪我とかない?」

「ないよ。ふふっ、こう見えてけっこう強んだよ、俺。暴漢から守れるようにって小さい頃から護身術として柔道と合気道習わされてるから。心配してくれてありがとう」


 キッチンスタジオの一角のテーブルに座る私たち。

 園田くんが難しい顔をしている。


「良かったのか? 見逃して」

「見逃すも何も、俺は胸ぐらを掴まれただけ。ようやく香恋が前に一緒に進めそうな相手に出会ったんだ。邪魔はしたくない」

「甘いなあ、千秋は」

「俺だってある意味さ、香恋に不誠実だったと思うから。何もかも投げ出せるくらい好きになってあげられなかった」


 柊くんはココアを出してくれた。

 飲むとホッとするあたたかさと甘さだった。


「小夏も気をつけなよ。なるべく俺たちと一緒に行動しよう。家には俺か園田が送っていくから」

「えっ? 私? 大丈夫、大丈夫」

「そうだよ、小夏。あのね、百パーセント、大丈夫なことなんてないんだよ。藤宮、離婚に同意してないんだろ? 元夫はストーカーになりやすいんだから」

「そうだよな。あいつ、思い詰めてる感じだったんだろ?」


 急に肌寒くなってきた。

 まさか、颯斗くんにかぎってそんな危害を加えてきたりとかないと思うんだけれどな……。




 それからしばらくは平穏な毎日でした。

 私は新天地で楽しく仕事に取り組んで、アパートに帰る日々を送っていた。


 この日は、柊くんが家まで送ってくれた。

 いつもはSPの人とか執事の小芝さんとか園田くんがいるんだけど、完全プライベートな時間にして欲しいって柊くんが言い出して、私と二人っきりになってる。


「小夏、ねえ。俺の家、空いてる部屋があるからいっそ一緒に住まない? どうかな?」

「そそ、そんなっ。柊くんと一緒にだなんて住めません」

「うーん。ただね、俺は小夏のことが心配なんだよ。ここ、セキュリティが万全とは言い難いだろ?」

「大丈夫だから。私のこと狙うようなもの好きいないよ」


 柊くんはアパートの玄関まで送ってくれた。

 私が二階の部屋に入るまで待ってくれるのはいつもで、紳士だな〜って思う。


「ありがと〜! 柊くん」


 私はドアを鍵で開ける前に、見守ってくれてる柊くんに手を振った。

 柊くんが手を振り返してくれて。心がぽっと火が灯ったみたいに暖かくなった。


「小夏っ! 後ろっ!」


 柊くんの焦って上ずった叫んだ声がした。


「――えっ?」


 私が振り返るとアパートの廊下の電気が切れかかった暗がり、その奥から人が小走りに向かって来る。


「えっ、誰っ!?」

「小夏。……俺は離婚しないからな。もう一度ちゃんと二人で話し合おう」


 現れたのは真っ黒な服装の男で。ギラついた目で私を見つめるのは……。


「颯斗! どうしてここが……」

「小夏がいけないんだ。俺を捨てようとするから。なっ? やり直そう?」

「やめてっ! ……やめて、颯斗。こんなことして私の思い出まで穢そうとしないで」


 手首を掴まれて、鍵を取られる。

 素早く玄関の扉を開けて、颯斗は私を抱きかかえるようにして無理やり私の家に入って来た。


「どうして、俺を遠ざけようとするんだよ。夫婦だろ」

「もう、関係は修復なんて出来ないとこまで来ちゃったんだよ。私たちは他人になって、別々の道を歩いて行こう?」


 興奮した様子の颯斗を私はなだめるように、怖くっても静かにゆっくりと話す。


「俺は小夏とは離婚はしない」

「ただの執着で、……一緒にいたって、良くないよ。私、もう独りで歩き出したから」

「いやだっ! いやだあぁっ!」


 バンッとドアが開いた。


「小夏っ!!」


 息を切らした柊くんが入ってきて、颯斗が私の手首を握る手を掴んで、捻り上げた。


「いってえっ! くそっ、柊! お前っ、いい加減にしろよな。お前と園田、お前たちのせいで俺と小夏は別れることになったんだ! お前たちさえ関わらなければ、俺は小夏とカレン、二人をいっぺんに失うことなんかなかったのにぃっ!」

「藤宮! 藤宮颯斗、小夏から離れろ。なあ、言いたいこと言ったか? いい加減にするのはお前だ。小夏を苦しめて、俺の妻だった人と不倫してたんだから。……これ以上、小夏に迫って困らせるような真似をするなら、警察を呼ぶけど?」

「呼べよ。……俺はまだ小夏の夫だ。話し合いに来ただけだぞ」

「こんなに小夏を怯えさせて、何が夫だ」

「えっ……?」


 颯斗くんとそこでまともに目線が合った。

 私を見ていても颯斗くんのギラギラと充血した目は正気じゃない感じだったのが、やっと目が覚めたみたいに、瞳に光が戻っていた。


「ごめんなさい。……ごめんなさい、小夏」

「もう良いよ、颯斗くん。ねえ、ちゃんと病院行って診てもらって。きっと心が不安定なんだよ。だからこんなこと……」

「藤宮。小夏を君から解放して。ちゃんと小夏の幸せ、考えてみて」


 柊くんの声に、返事をせずにドアを開いてふらふらと颯斗くんは歩き出した。

 私は、心配で。


「颯斗くん……」

「離婚しよう。俺は君には相応しくない。ごめん、小夏。怖がらせるつもりはなかったんだ」


 振り返らずに颯斗くんは呟いて、行ってしまった。


 私はフッと気が抜けて腰が砕けてしまったみたいに、その場に立っていられなくなった。


「小夏っ! 大丈夫っ!?」

「柊くん……、怖かった。あんなに好きだったはずなのに……颯斗くんが怖かったっ」


 柊くんに抱きとめられて、私は泣きじゃくってしまったの。

 私、柊くんの温もりに安心して、すがりつくように腕をきゅっと握る。


「怖かったのは当然だよ。いきなりあんな風にされたら誰だって。……ねえ、やっぱり当分ね、俺んちおいで。小夏になにか起きるんじゃないかって心配で俺の心臓がもたない。……不安なら、誰か友達と一緒に来てくれても良い」

「……私、独りでちゃんと立って生きていくって決めたのに」

「小夏。あのさ、必要な時に人を頼るのは悪いことじゃないんだよ? 君は俺の恩人なんだから、こういう時こそ、俺に君を助けさせてくれない?」


 怖さでドクドク言っていた鼓動がようやくおさまって、私は柊くんの申し出に甘えることにしました。



     ✧✧✧



 私は柊くんの家でお風呂に入らせてもらい、空いている部屋の一室を借りることになった。


「ねえ、なんでも言ってよ。足りないものとか不自由があったら、遠慮なく言ってな。小夏の希望にそえるようにするから」

「ありがとう。……柊くん」

「小夏。改めて言うけど、俺は君が好きだから。これからもっと君に好きになってもらえるよう頑張るよ。だから、頼ってほしいんだ。……俺に溺れて蕩けてしまうぐらい甘い気分にさせたい」

「ちょっ、えっと。今はごめんなさい。まだそんな気に……」

「良いよ。俺、小夏がその気になるまで気長に待つから。園田に負けないよう口説くから、覚悟しろよな」

「柊くん……」


 顔が熱い!

 私は柊くんのぐいぐいくるセリフに悶えそうになる。


 嬉しいけれど、恥ずかしい。

 それにまだ、私は新しい恋に踏み出せない。


 柊くんの淹れてくれたあったかいハーブティを飲んで、私はソファで座っているうちにまどろんで寝てしまった。





「あっ、……ええっ? こっ、これって柊くんの膝枕っ!」


 目を開けた時に、そこに柊くんのうたた寝をする姿があって、ホッとした。私は彼がくれる安心感に包まれていた。


 ……柊くん、膝枕してくれてたんだ。


 二人で一緒に一つの毛布にくるまっている。


「ありがとう、柊くん」


 これから先は、まだやることはいっぱいあって。

 離婚するまで、たくさんのエネルギーを使うことになるんだろう。


 でも……。

 なんとかなる。


 柊くんの心臓の音がする。たしかな鼓動と寝息がして。

 胸がきゅっと甘く疼いた。


 とくん、とくん……。


 瞳を閉じると静かで、また眠たくなった。

 あんなことがあったのに、あんがい平気だ、私。

 柊くんがそばに居てくれるから……?


 私にはきっと明るい未来が待っていると、そう確信していた。





                完





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「君の旦那さんは俺の妻と不倫しています。良かったら俺と一緒に明るい前向きな復讐しませんか?」エプロン男子の柊くんがサレ妻な私に復讐同盟&溺愛宣言! 天雪桃那花(あまゆきもなか) @MOMOMOCHIHARE

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