第170話 社畜、ドキドキする
リンデさんと別れたあとは、アンリ様が滞在していた修道院へと向かうことにした。
街の様子は、朝食の時間をおいてもそれほど様子が変わった雰囲気はない。
しかし中心部に近くなるにつれ、衛兵さんが巡回している様子が目につくようになったことに気づく。
彼らは二人から三人組で、あちこちを油断なく見回しながら歩いていた。
もっとも彼らは俺を見ても、特に反応はなかった。
せいぜい一度だけ目が合ったくらいで、声を掛けられることもなくすれ違った程度だ。
リンデさんの話では、人相書きの中に俺は含まれていないそうだから彼らの捜査対象ではないのだろう。
それに、黒髪黒目の人間が特段珍しいというわけでもない。
そもそも……ノースレーン王国全体ではどうか分からないが、このジェントの街の人種構成が雑多だ。
髪の色は金髪や茶髪はもちろんのこと、赤髪や緑がかった髪色までいろいろいる。
顔立ちも、彫りの深い西洋人っぽい人から俺のようにアジアっぽい凹凸の少なめな人まで様々。
肌の色については言うまでもない。
ロルナさんらがいる砦の兵士さんやスウムの集落ではここまで多様性に富んでいたわけではないので、やはりこの街はそれなりに多様な人種が滞在しているということなのだろう。
おそらくだが、この街が街道筋にあるうえ周辺にいくつかのダンジョンを擁しているので、部外者がたくさんやってきているからだと思われる。
もっとも、獣人やエルフみたいな明らかにファンタジーな風貌の人はいない。
一応、魔界には羊の獣人がいるのを知っているので、単純にその手の人種(人種と言っていいのか分からないが)と交流がないのだろう。
いずれにせよ、まだまだ俺は異世界について知らないことが多い。
「お、こいつらか……」
それともう一つ。
街の中心部を通ったら、広場の隅に立てられた掲示板に白銀の聖女様襲撃事件の犯人と思しき連中の人相書きが貼り付けられていた。
まるで写真のように精緻な絵柄で男女五人の顔が描かれている。
つーかめっちゃ絵が上手いな!
こういうのは肖像画、というんだっけ。
もしかして、魔法で再現した絵柄とかなのだろうか?
その中には、首謀者としてアンリ様の顔もあったが……他の四人については、当然ながら知らない顔だった。
アンリ様はともかくとして、四人とも凶悪そうな顔つきである。
で、俺の顔はなかった。
リンデさんの話を疑っていたわけではないが、最初人相書きを見つけたときはかなりドキドキした。
きちんと現物を確認できたことでちょっとホッとしたが、状況によっては、今後この中に加えられてしまう可能性もある。
気を付けて行動しなければ。
それと……この街の衛兵隊には知られていないものの、暗殺者ギルドの皆さまには俺の人相書きが共有されている可能性はかなり低いがゼロではない。
まあ、今の知覚能力ならば誰かに尾行していれば分かると思うが……相手もその道のプロだ。
こちらも用心しておく必要がある。
◇
ターシャさんの修道院は、以前来たときとは打って変わって静かな様子だった。
すでに封鎖は解かれており、建物の正面の扉は開放されている。
衛兵が見張っている様子もない。
建物の正面部分の礼拝堂には照明が灯されていたが、人の気配はなかった。
もしかしたら近隣の住人がお祈りにでも来ているかも……と思ったが、今が朝の少し遅い時間だからかだろうか。
ひとまず、中に足を踏み入れてみた。
「……お邪魔します」
返事はない。
出迎えてくれたのは、石造りの建物特有の、
もっとも、礼拝堂に人がやってきたからといって、いちいち建物の主が出てくるとは思えない。
……そういえば、居住スペースは二階だったか。
礼拝堂の中に、二階へと通じる階段はないようだ。
一旦外に出て、敷地の横に回り込む。
そこに、建物の外側に二階へと続く階段があった。
そこから上り、二階の扉に据え付けられたノッカーでコンコンと叩く。
「ターシャさん、いらっしゃいますか?」
「はい、どなたでしょうか……ヒロイ様!?」
扉を開いて俺の顔を見るなり、ターシャさんが驚きの表情になった。
「あの、アンリ様のことでお話したいことが」
「……! どうぞ中にお入りください! さあさあ中へ!」
「……!?」
そのまま腕を掴まれ、半ば引きずり込まれるように扉の中へ案内された。
◇
「そうですか……アンリ様はご無事なのですね……! よかった……」
連行……もとい案内された居間でソファに腰掛け、俺はこれまでの顛末を彼女に話した。
もちろんアンリ様が現実世界に居ることは伏せておいた。
しかし彼女が無事できちんと安全な場所にいることを伝えると、ターシャさんは安堵したのかソファに深く身体を沈みこませ、長い息を吐いた。
「状況が状況なだけに、しばらくジェントに戻ることは難しいかもしれませんが……ひとまずはご安心頂いて大丈夫かと」
「ヒロイ様、何から何までありがとうございます。……やはりアンリ様は、神々に愛された方なのですね」
ターシャが祈るような仕草をしながらそんなことを呟いている。
……神々、か。
その言葉に、なんとなくモヤモヤするのは俺が日本人だからだろうか。
ふと足元から視線を感じてそちらを向くと、クロがなんともいえない雰囲気で俺を見つめていた。
呆れた様子……とは少し違う気がするが、俺と似た種類の感情を抱いているように見える。
コイツも……何か思うところがあるのだろうか。
いずれにせよ。
神様という存在は、この世界にもしかしたら実在するのかもしれないが、今回の件で直接何か手助けをしてくれたわけじゃない。
最初はアンリ様の後ろ盾になっていたのは貴族とか有力者だと聞いたし、何かと支援してくれたり寝る場所や食べる者を提供してくれたターシャさんのような支持者の方々だ。
もちろん俺やソティなんかもその中に含まれるのだろうが……徹頭徹尾、皆人間だ。
すべては各々の意思と行動によるものだし、それは慈愛や信仰心からではなく、おそらく利己的な動機からだろう。
俺の場合は、たまたま顔見知りの彼女を捨て置けなかったからと、巻き込まれたせいでやむなく……の半々といったところだ。
もちろんターシャさんのように、己の信仰心に従い彼女を支援している人たちもいるかもしれないが。
その信念は敬意を払うべきものだし、もちろん否定するつもりはない。
それに、ターシャがアンリ様を心配する気持ちは本物だと思うし。
まあ、その辺の感覚の違いはあくまで俺とターシャさんの生い立ちや宗教観から来るものであって、理解はできなくとも否定するようなことではない。
それもこれも神様の思し召し、巡り合わせですよ、とか言われたら反論できないし。
まあ、深入りするような話題でもない。
「はは……そうかもしれませんね」
とりあえず、そうとだけ答えた。
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