第169話 社畜、めっちゃ心配される

 その日の夜。


 異世界に渡るとすでに夜が明けていた。


 森の祠の地下に設置した転移魔法陣を降り、朝霧漂う街道を駆け抜けジェントの街へ戻る。


 幸い城門は朝早くから開放されており、無事中に入ることができた。


 街の様子は……早朝ということもあり人通りが少ないせいか、特に変わった様子は見られない。


 少なくとも戒厳令が敷かれているとか物騒な雰囲気はなかった。


 しいて言うならば、祭事用の装飾などが中途半端に出されていたり片付けかけのまま放置されていることくらいだろうか。


 そういえば、白銀の聖女様が襲撃されたせいでパレードとか諸々の催しが中止になってしまったんだったっけ。


 街の住人の皆さまは彼女の来訪をかなり楽しみにしていたっぽいので、気の毒ではある。



「アラタさん!? ちょっとどこいってたの! 心配してたんだよ!?」



 泊まっていた宿屋の扉を開き中に入ろうとしたところで、フロントにいたリンデさんが俺の顔を見るなりガタンと椅子から立ち上がった。


 カウンターの外まで転がるように走り出てきて、まるで俺の実在を確かめるように肩をガッと掴んできた。


 まるでお化けでも見たような顔だった。


 そういえば、丸二日くらい戻っていなかったな……



「申し訳ありません、冒険者ギルドで受けた依頼に少々手間取っておりまして」


「……大丈夫? 怪我とかしてない? ……でも、アラタさんがちゃんと帰ってきて本当によかった。それに、クロちゃんも」



 一息にそう言ってから、リンデさんが安堵したようにハアァァ……と大きく息を吐いた。


 しまったな……ここまで心配されているとは思っていなかった。


 やはり何も告げずに二日も宿を空けるのはよろしくなかったようだ。


 これはちょっと申し訳ないことをしてしまったかもしれないな……


 とはいえ、これまでの経緯いきさつを彼女に説明するわけにはいかなかった。


 あまりにも、彼女が知らない方がいい情報が多すぎる。



「ご心配をおかけしてしまって申し訳ありません。……あの、部屋はまだそのまま使えますか?」


「うん、大丈夫。チェックアウトは三日後だけど、早めよっか? でもその場合は、悪いけど返金はできないよ」


「あ、宿泊は予定通りで大丈夫です。ただ、またちょっと一晩くらい帰らないこともあるかもしれませんが……心配しないでください」


「ん、わかった。でも、あまり無理しちゃダメだよ? いくらアラタさんが異国の人だからといっても、心配しない人がいないわけじゃないんだからね」


「……ありがとうございます」



 そういう言い方はちょっとズルい。


 前々から思っていたけど、リンデさんは人たらしの才能があるのでは……


 まあ、今回こっち側にきた目的はあくまで情勢の調査だ。


 無理をするつもりはない。


 とりあえず街で噂話を集めるくらいしかできないが、それでもある程度の情報は集まるはずだ。


 それとアンリ様が泊まっていた修道院のターシャさんにもアンリ様が無事なことは知らせておきたい。


 あとは、この街に取引先とかがあればいろいろ詳しい話も分かるんだが……そこはまあ、無いものねだりだ。



「では、引き続きよろしくお願いします。……あ、このあと依頼の報告があるので、すぐ戻ってきますよ」



 彼女に頭を下げて、とりあえず冒険者ギルドに向かおうとしたところで……ガッと腕を掴まれた。


 振り返れば、妙に圧のある笑顔のリンデさんが俺の腕を掴んでいた。



「あの……なにか?」


「実は、もうすぐ夜勤明けなんだ……まだギルドの営業開始時間まであるでしょ? それまでちょっと朝食デートに付き合ってもらえない? 奢るからさー」


「アッハイ」



 有無を言わせない様子の彼女に、俺は頭を縦に振る事しかできなかった。




 ◇




 彼女に連れてこられたのは、宿の裏手にある小さな料理屋だった。


 デート……という名目だが、夜逃げした場末のバーの居抜きみたいな狭っ苦しい空間なので、雰囲気もへったくれもあったものではない。


 というか、どうやら深夜にバー営業をして、そのついでに朝食を出しているような場所のようだ。


 店内は薄暗く退廃的な雰囲気で、夜の余韻がそこかしこにわだかまっている。


 まるで外の爽やかな朝の雰囲気を拒絶しているかのようだった。


 まあ、リンデさんのアンニュイな空気とはよく似あっているかもしれないが……本人には口が裂けても言えないけど。



 そんな俺とリンデさんは壁際の二人掛けテーブルに向かい合って座っている。


 客は俺たち二人だけで、カウンターの向こう側では店主らしきスキンヘッドの厳ついオッサンが仏頂面で食器を磨いているだけだ。


 これはこれで、逆に雰囲気あっていいかも……



「はあ……やっぱり朝ごはんはここのパン挟みだねぇ! ごめんねアラタさん? いきなり付き合ってもらっちゃって」


「いえ……ごちそうさまです! あ、美味しいですねこのサンド……パン挟み」


「よかった! ここの朝ごはん、本当に美味しんだよねぇ。宿のまかないに飽きたらここに来るんだよね~」



 リンデさんはニコニコ幸せそうな様子で『パン挟み』にかぶりついている。



 俺も彼女と同じメニューを注文した。


 他のヤツは怖くて頼めなかったからだ。


 だが、結果として正解だった。


 『パン挟み』は、要するにサンドウィッチの一種だ。


 トーストされたパンに、こんがり焼かれたベーコンとチリソースというかサルサ風の煮込み野菜が挟まれており、一般的なサンドウィッチよりもタコスなんかに近い食べ物だろうか。


 リンデさんの様子だと特に名前はないようだが、割と俺の舌に合う味付けだ。


 ピリ辛でエスニックな風味でかなり美味しい。


 ただ……量が結構ある。


 現実世界ですでに夕食をしっかりとってきた俺には、少々しんどい大きさだった。


 とはいえ、俺よりずっとたくさん食べるヤツがテーブルの下に寝そべっている。



「ほら、クロも食べなよ」


「…………!」



 俺の足元に寝そべっていたクロの口元に、パン挟みを半分にして持って行ってやる。


 クロはクンクンと匂いを嗅いだ後、パクリと齧りついた。


 あまり表情は変わらなかったがパタパタと小さく尻尾を振っているので、どうやらお気に召したようだ。


 ちなみに店主には、クロを連れて入った時も特に何も言われなかった。


 こっちの世界の人は、リンデさんやフィーダさんを始め犬や猫に対して寛容のようだ。


 店に入る前にリンデさんにも確認したが、粗相をしたり店内で大暴れしない限り、放り出されたりすることはないとのことだった。


 ならばまあ、大丈夫だろう。



「ねえ、アラタさん」


「はい、なんでしょう」



 黙々と食事をとっていたら、急にリンデさんから声を掛けられた。



「何か、変なことに巻き込まれてない?」



 顔を上げると、リンデさんが真剣な表情でこちらを見つめていた。



「…………いえ」


「……そう。なら、いいんだけどね」



 たっぷりの沈黙で返してしまったが、どうやら彼女は追及するつもりはなかったようだ。


 それだけ言って、彼女はふたたびパン挟みをかぶりつき始めた。


 ほっと胸をなでおろす。



 それにしても……さすがは元冒険者といったところだろうか。


 妙に勘が鋭い。


 けれども、これまでの経緯を彼女に話すわけにはいかなかった。


 別に彼女を信用していないわけではないし、親身になってくれるのは純粋にありがたいことだと思う。


 けれども、彼女は俺の身内ではない。ただの顔見知りだ。


 俺が事情を話した結果、彼女に迷惑が掛かってしまったら目も当てられない。



 などと思っていたら、リンデさんが食事をしながら小さな声で呟き始めた。



「……これはただの世間話なんだけどね。ここ数日、白銀の聖女様のことで衛兵がいろいろ捜査をしているみたい。もちろんウチにも来たよ。人相書きを持ってね。犯人はまだ捕まっていないみたいだけど……心配だよね」


「それは心配ですね」



 一瞬犯人だと疑われているのかと思ったが、違うようだ。


 あえて『衛兵が人相書きを持ってきた』と言った以上、俺でないことは分かっている、と言いたいのだろう。


 分かりづらいが……カウンターの奥に店主がいるので表立って話すわけにもいかないと考えているのかもしれない。


 ただ……リンデさんが、俺がその手の事件に巻き込まれているのでは? と考えていることは分かった。


 彼女が続ける。



「もし何か困りごとがあるのなら、冒険者ギルドのアルマさんを訪ねるといいかも。私かフィーダさんの名前を出したら、多少は力になってくれると思うから」


「……ありがとうございます」



 事情が事情なだけに誰かに頼る気はないが、それでもリンデさんの心遣いはありがたかった。



「もしその時が来れば、頼らせていただきます」


「うんうん、その時は是非そうしてね。さて、そろそろ出よっか? ふあぁ……ご飯食べたら、一気に眠気が……やっぱり年取ると夜勤は辛いわー……」



 言いながら、リンデさんが大きく伸びをする。



 いやいやまだ二十代ですよね……!?


 ……とは口が裂けても言えなかった。

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