第168話 社畜、女子社員寮に潜入する
ソティが手配してくれた女子社員寮は、幸いなことに自宅の最寄駅周辺にあるマンションだった。
『ここ、社員寮だったのか……』
『とても立派なアパルトメントですね……』
アンリ様と一緒に、その建物を見上げる。
手元の資料によれば、鉄筋コンクリート造の7階建で築年数は十数年とそこそこ。
もっとも入り口の自動ドアは居住者しか入れないオートロック式で管理人も常駐しているとのことで、セキュリティはそれなりにしっかりしているようだ。
ちなみにワンルームタイプの単身者用で、若い方が多いとのこと。
鍵を受け取ったときに総務の方から聞いた話だと、外国籍の方も住んでらっしゃるのでアンリ様が入居していてもあまり気にされないとのことだった。
それにしても一棟借り上げで社員寮にしているのか自社所有なのかは分からないが、とにかく自宅の徒歩圏内にあるのはありがたい。
何かあっても駆けつけることができるからな。
ちなみに出入り口に社員らしき人の姿は見当たらなかった。
まあ、今は真昼間だから当然ではあるが。
『ではさっそく部屋を見に行きましょう』
『はい!』
エントランスの管理人室に声をかけ、事情を説明する。
「はいはい、廣井さんと……アンリさんね。聞いてますよ」
管理人のオバチャンには総務から連絡が行っていたようで、俺が社員証を見せると快く対応してくれた。
……もしかして、このオバチャンももしかして元魔法少女だったりするのだろうか。
ふとそんなことを思う。
というのも、見た目は恰幅の良い中年女性といった様子なのだがなぜかこのオバチャン、妙に迫力があるのだ。
……いやいや!
そうホイホイ元魔法少女がいてたまるかという話だ。
さすがに管理人さんまで本社の社員ではないだろう。
通常、この手の人はマンションの管理業者が雇用しているはずだからな。
……最近は女性の関係者を見るたび、元魔法少女ではないかと疑ってしまう癖がついてしまった気がする。
良くない傾向だ。
まあ、仮にそうだとしても別にどうということもないのだが……
むしろ防犯上心強い味方なわけで、メリットしかない。
そう言い聞かせて心を落ち着ける。
「じゃあ、アンリちゃんこれからよろしくね」
「イ、イツモ、オセワ、ナテマス!」
『では、行きましょう。部屋は506号室だから5階ですね』
管理人さんから簡単な説明を受け、彼女とアンリ様が挨拶を交わしたらいざ女子寮内部へ。
小ぎれいなエントランスホールを抜け、エレベーターに乗り込んだところで気づく。
……というかさっき、アンリ様日本語喋らなかった?
思わず彼女の顔を見た。
『アンリ様、いつ覚えられたんですか? さっきの日本語』
『えっ……もしかして、間違っていたでしょうか? 先ほどの言葉は使い魔のクロ様が教えてくれたのですが……こちらの世界の、一般的な挨拶の言葉なのですよね?』
少し不安そうな表情でそう聞いてくるアンリ様。
なるほど……なんとなく事情を察する。
『ご安心ください、挨拶の言葉なのは間違っていませんよ。一般的かと言われると状況と立場が多少限定されますが……いずれにせよ、何も問題はありません』
『そ、そうですか……安心しました。もしかして、さきほどの方に失礼をはたらいてしまったらどうしようかと思ってしまって』
そう言って、ほっと息を吐くアンリ様。
たしかにしばらくこちらで暮らすのならば日本語の習得が必須なのは間違いない。
その辺は当然頭にはあったものの状況が落ち着いてからと考えていたが……どうやらクロが先に教えてくれていたらしい。
というか、アンリ様を自宅でお待たせしている間にアイツ人化していたのか?
クロは狼の姿だと人語が喋れないから、当然その可能性しかありえないのだが……
まあ、それ自体は別に問題ではない。
問題なのは、クロが『お世話になっております』が基本の挨拶だと勘違いしているらしいことだ。
『アンリ様、この国の言語や慣習については私がしっかり教えますのでご安心ください』
『……?? はい、ぜひともよろしくお願いいします!』
……それと、クロにもきちんと正しい日本語を覚えてもらう必要があるようだ。
◇
「506号室……ここですね」
「お邪魔します」
アンリ様の部屋は、エレベーターを降りてすぐの場所にあった。
鍵を開け二人で部屋に入る。
バストイレ別、簡易キッチンあり、六畳ほどのワンルームにはクッションフロアが張られている。
すでに内部は清掃が入っているらしく、清潔感のある空間だ。
カーテンが開け放たれた大きな窓からは明るい陽光が差し込んでおり、冬でもこの時間ならばエアコンを起動する必要がないくらい暖かい。
家具類は、ベッドとエアコン、それに机と椅子に冷蔵庫が標準装備。
水道や電気、それにガスについては、今回に限り総務にて手配済みとのこと。
ベッドのマットレスは最近入れ替えたらしく新品だった。
今すぐ入居しても問題なさそうだ。
『素敵なお部屋ですね……! ……本当にここを一人で使わせて頂いてもよろしいのですか?』
アンリ様は嬉しそうな様子で部屋の隅々を見回したあと、なぜか少し不安そうな様子でそう聞いてきた。
『もちろんですが……何か問題がありましたか?』
『いえ、私が暮らしていた修道院は一部屋4人が基本でしたし、とても豪華だなと思いまして』
『なるほど』
そういえばアンリ様は普段修道院を間借りして旅をしていたっぽいからな。
そうでないときも、おそらく野宿や安宿だったと思われる。
それらと比べれば、たしかにこの部屋は豪華と言えるかもしれない。
ちなみに家賃は社員寮ゆえ相場の3分の1程度だが、インターンの給与から天引きなので無償というわけではない。
『それについては、もちろん無償で、というわけではありません。アンリ様には滞在期間中、私の仕事を手伝ってもらうことになります』
『お仕事、ですか……そういうことでしたら、むしろ安心です! もちろん、どんなことでも覚悟はしております……!』
決意のこもった眼差しで、ギュッと両手の拳を握りしめるアンリ様。
そこまで覚悟のいる仕事をお願いする予定はないんけど……まあ、やる気があるのは良いことだ。
『いずれにせよ、当面の目標はこちらの生活に慣れてもらうことと、日常生活に支障がない程度まで言葉を覚えることになると思います。しばらくは大変かと思いますが、私もしっかりサポートしますので頑張っていきましょう』
『はい、よろしくお願いいたします!』
ぽかぽかと暖かい六畳間に、アンリ様の元気な声が響き渡った。
まあ、異世界でもなんだかんだ過酷な境遇を切り抜けてきた彼女のことだ。
こちら側でもうまくやっていけると思う。
……さて、俺は俺でソティのことや異世界でやり残したことがある。
休暇とはいえ明日からしっかり動かなくては。
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