第163話 社畜、人を頼ることにする

「結局眠れなかったな……」



 すっかり明るくなった天井を眺めながら、俺は小さく呟いた。


 壁の時計は午前7時をちょっと回ったところだ。


 外からは、チュンチュンと鳥のさえずりが聞こえてくる。



 一方、昨夜はわりと元気だったアンリ様もなんだかんだでお疲れだったらしく、布団を被ったあとすぐに寝息が聞こえていた。


 今もまだ、頭まですっぽりと覆う布団が静かに上下している。


 ちなみにクロは俺が起きた気配を察知したのか、アンリ様の布団から鼻先だけを突き出して、こちらの様子をうかがっていた。



「おはよう、クロ」


「…………」



 クロもまだ眠たいのか、俺の返事として鼻をヒクヒクさせただけだった。


 朝食はもう少し後で構わないだろう。



 昨日……というか、昨夜はいろいろとあった。


 おかげでいろんなことがグルグルと頭の中を回り、とても眠れる状態ではなかった。


 もっとも、寝不足時のだるさは全く感じない。


 魔眼の力で身体能力全般が強化されているためだ。


 今はそれがちょっとだけ恨めしい。


 まあ、数時間ちょっと寝られたところで問題が先送りになるだけの効果しかないわけだが……



 それはさておき。


 一睡もできなかったおかげで、俺は自分の置かれている状況をだいぶ整理することができた。



 まず、何をさておいてもアンリ様の行く末だ。


 といっても、正直、異世界の状況はほぼほぼ詰んでいる状況だ。


 俺もできれば一日でも早く彼女を異世界に送り返してやりたいところだが、そのためにはあちら側の事情が解決しなければどうしようもない。


 少なくとも、俺の休暇が終わるまでに解決するのはさすがに無理だろう。


 幸いアンリ様にはどちらの連中にも心当たりがあるようだから、解決の糸口がまったくないわけではない……と思う。


 その辺はもう少し彼女から事情を聞き出したうえで、頼りになりそうな人を探すしかない。


 一度タイミングを見て、俺だけで異世界に戻り情報を集める必要があるだろう。



 あと、これは俺の都合だが、ジェントの宿は休暇ギリギリまで部屋を取っている。


 一応前払いで宿泊代は全部支払っているから金銭面は問題ないと思うが、このまま戻らなければリンデさんが心配するだろう。


 それと、冒険者ギルドで依頼達成の報告もしなければならない。



 それ以外にも、問題は山積みだ。


 たとえば、アンリ様に『この世界』の国籍がない問題。


 法律上は、不法入国とか不法滞在になるのだろうか?


 異世界だから不法入『界』とかだろうか……?


 そんなシチュエーションを想定した法律があるとは思えないが……


 まあ魔法少女とかが存在しているわけだし、多少マジカルなことに関する法律と条令が見つかるかもしれない。


 あとで調べておこう。



 いずれにせよ、アンリ様には当面の間、観光客とかホームステイを装ってもらうことになるだろう。


 幸い彼女は異世界の文化に触れても混乱しないだけの度量と教養を持ち合わせている。


 立ち振る舞いについてはこの世界の現状を説明すれば理解してくれるもの信じている。



 それと、アンリ様をこのまま箱入り娘状態のままというか、一歩も部屋から出さないわけにはいかない。


 それでは彼女の精神が参ってしまうだろうし、何より俺の精神と理性がいつまでもつか分からない。


 どういうわけかアンリ様自身もまんざらでもなさそうなのが……本当にマズい。


 おそらく『吊り橋効果』みたいな一過性の気の迷いだとは思うが……


 とにかく。


 昨日はクロのインターセプトでどうにか平静を保つことができたが、次はどうなるか分からない。


 そもそもクロは本質的に狼というか人間ではないせいか、仮に俺がアンリ様と一緒になることになっても『やったね群れに仲間が増えたよ』くらいにしか思わない気がする。


 むしろタイミングが合えば歓迎するまである。


 だから、アイツの気分次第では特に邪魔が入らず取り返しのつかないことになる可能性があった。


 そうなる前に、どうにかしなければ。



 解決策としては、アンリ様が滞在できる部屋かアパートを借りられればいいんだが……


 彼女自身が契約するのは無理だ。


 言葉の問題もだが、部屋の賃貸契約は必ず身元確認が入るはずだから、そもそも契約自体ができないと思われる。


 俺が借りるにしても、入居者が別だと業者や大家さんに詳しく説明する必要があるだろうから、こっちも難しい。



 となれば、俺がもう少し広いマンションなどに移ることが解決策として挙げられるだろうか。


 ちゃんと二部屋とか三部屋とか、個室があるタイプのマンションだ。


 あるいは戸建てでもいいかもしれない。


 今の会社と部署にやってきてからは給料が大幅に増えたから、経済面ではどちらも十分選択可能だ。



 これについては、クロと同居するにようになってから今の部屋が手狭だと感じていたので、いずれ引っ越すつもりだったから問題ない。


 タイミングが『だいぶ先』から『そろそろ』になっただけだ。


 もちろんここでも、厳密には同居者の問題がついて回るわけだが……



 いずれにせよ、今の状況を俺ひとりの力で解決するのは無理だと判断した。


 完全に状況が詰む前に、誰かを頼る必要があった。



 もっとも、その誰かが問題だ。


 この手の非日常に慣れていて、それなりに権力や財力がある人間。


 そして、異世界の話をしても多少の理解を得られそうな人間。


 一瞬、桐井課長の顔が脳裏に浮かんだが、彼女とて異世界の存在は知らないはずだ。


 さすがに厳しい。


 魔法少女たちはあらゆる意味で論外。


 となれば……



「…………ぬぐぐ」



 ソイツの顔が思い浮かんだ瞬間、俺もアンリ様と同じように毛布を頭から被り、小さく唸った。


 異世界の存在を多少なりとも察していて、国との人脈も多少はありそうで、知識もあり、財力と権力もそれなりに持っていそうな人間。


 ……アイツが人間なのかはさておいて、とにかく、そんなヤツは俺の知る限り一人しかいない。


 どんなに頭を絞っても、『人生で一番借りを作りたくない人間オブザイヤー』受賞間違いなしの、アイツの顔しか浮かんでこない……!



 本社ビルにおわす我らが社長殿。


 この街で活動する魔法少女たちの元締め(多分)。


 年齢不詳の魔女ロリババア



 ……つまりはソティだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る