第164話 社畜と現実世界の魔女

 少しするとアンリ様が起き出してきたので一緒に朝食を摂り、その食卓で俺たちの協力者になってくれるかもしれない人物がいることを伝えた。


 彼女は少しだけ迷っていたが、最終的には俺を信用してくれたようだ。


 ということで俺はアンリ様をクロに任せ、ひとり会社へと向かった。




 ◇




「休暇中に出勤とは、見上げた愛社精神じゃのう」



 本社ビルの受付で社長に緊急の用件があると伝えるとすぐに連絡を取ってくれ、社長室に通された。


 それが普通の待遇ではないことは、社会人である俺は重々承知している。


 だから社長室で出迎えたソティに開口一番そんな皮肉を投げかけられたが、笑顔でスルーした。



「お忙しいところ、お時間を割いて頂きありがとうございます」


「なに、よいよい。ワシも会議の合間で休憩していたところじゃ。……ささ、そちらのソファに掛けるが良い」


「失礼いたします」



 形式的なやりとりをしたのち、俺とソティはフロア中央に置かれた来客用ソファに向かい合うように座った。


 すでにソティは普段の成人女性の姿から銀髪魔法幼女に変身している。


 別にわざわざ変身なんぞする必要はないんだが……と思ったが、どんな姿をしようが彼女の勝手だ。


 俺もわざわざ口には出さない。



「……して、何の用じゃ? お主が休暇中にわざわざ出向いてきたのじゃ、何かのっぴきならない事態が発生したのじゃろう」



 彼女は腰掛けたソファから足が床に届かずブラブラさせていたが、表情は真剣で、眼光は鋭かった。



「ええ、まあ。なんとお話したらよいか……」


「なんじゃ? お主にしては歯切れが悪いのう。まさか職場でセクハラでもされたのかぇ? お主、存外いい男じゃからのう。太すぎず細すぎず、筋肉質。好みの体格じゃ」


「…………」



 前言撤回。


 あの野獣めいた鋭い眼光は、セクハラする隙を窺うときの視線だったらしい。


 とはいえ、そんなツッコみを入れる余裕は今の俺にはない。



「いえ、実は……」



 ここにきて迷っていても仕方ない。


 俺は彼女にアンリ様のことを話した。



 俺がとある事情によって異世界の住人を保護していること。


 彼女はその身分ゆえ向こうでトラブルに巻き込まれ、異世界へ帰ることができないこと。


 しかしながら法律や制度などに無知で、どうすればいいのか困っていること。


 さすがに俺の魔眼と異世界に行き来できることは伏せておいたが、それ以外は概ね話した。



「…………」



 ソティは俺の話を黙って聞いていた。


 時おり驚いたような顔をしていたが、予想していたよりは落ち着いた態度だった。


 そして俺が話し終えたあと、彼女はしばらく思案していたが……やがておごそかに口を開いた。



「刑法第224条、未成年略取及び誘拐罪。執行猶予がつくとええのぅ」


「だから違いますって!!」



 さすがに叫んだ。


 だが、ソティはニヤニヤとたちの悪い笑みを浮かべたまま手をヒラヒラと振っただけだ。


 

「冗談じゃ冗談。通報などしたら元も子もない・・・・・・じゃろうが。……お主も存外シャレが通じんのう」


「通じませんよこの状況で!」



 やっぱり話を持っていくんじゃなかった!


 まったく……


 大きくため息をついて、暴れ出しそうになる感情を上から押さえつける。


 ここで怒りに任せて帰ったら本当に元も子もない。



「…………」



 一方ソティは俺の態度には関心を示さず無言でソファから立ち上がると、窓の方に歩いて行った。


 彼女は窓ガラスに手をつき外の風景を眺めたまま、静かに呟いた。



「まさか、この時代に……のう。長生きはするものじゃ」



 どういうわけか、さっきとは打って変わってしんみりとした口調だ。


 彼女は振り返らずに、しかし俺に向かって言った。



「よかろう。お主に協力することにしようかのう。じゃが、一度アンリという娘をこの目で確かめてみたい。……連れてこれるかえ?」


「それは……彼女の身の安全を保障できると確約頂いてからの話です」


「この期に及んでかえ? 当然の話じゃ。ワシにとっても、その娘は……」



 そこでソティは言葉を切って、こちらを振り向いた。



「希望となるかもしれぬ者じゃ。無碍にできようはずもない。……もちろんお主もな」


「……?」



 彼女が何を言っているのか分からなかったが、その表情は不思議と明るい笑みで満たされていた。



「ともかく連れてくるが良い。容姿は……人族ならば、こちら側も多様な人種がおるからのう。そう問題も目立つこともあるまい」


「……承知しました」



 ……ソティの口ぶりに多少の違和感を覚えたが、あまり悠長に構えている時間はない。


 ということで、自宅にとんぼ返り。


 アンリ様に事情を話したうえで了承を得て、会社まで連れてくることになった。


 一応帽子を目深にかぶらせたうえ丈の長いコートを羽織ってもらったので、誰かに見とがめられることはなかった。


 電車の乗り降りで、アンリ様がちょっと手間取っていたくらいだろうか。


 まあ、一階の受付のお姉さんはちょっと訝しんでいたが。



 社長室に入ると、ソティは成人女性の姿に戻っていた。


 俺とアンリ様の姿を認めると、すぐに近づいてきて言った。



「その者が、異世界人なのじゃな。美しい娘じゃ」


「……はい」


「ふむ。アンリさん、といったかのう? ようこそ、日本へ」


『…………っ』



 笑顔を浮かべた大人ソティが、俺の隣に立つアンリ様の側に近づき、手を差し出した。


 だがアンリ様は身をこわばらせ、俺の腕をぎゅっと掴んだだけだ。


 やはり初対面で得体のしれない人物と会うのは怖いらしい。



『大丈夫ですよ、アンリ様。この者は私の味方です』


『覚悟はできていたつもりでしたが……すいません、少し緊張しております』



 まあ今のソティは言葉も通じないし黒髪黒目の日本人らしい顔立ちだし、気持ちは分かる。


 それに俺も彼女に味方だと言ったが、ソティのことを完全に信用しているかといえば微妙なところだからな。


 だから、いつでも彼女の身を護れるよう神経を張り巡らせておく。



「…………ふむ」



 ソティはなぜか俺に一瞬だけ目をやり眉をピクンと跳ね上げたが、すぐにアンリ様に視線を戻した。



「なるほど。よく分かった。確かに『向こう』の者であるようじゃな。訛りの強さは、時代ゆえか……」



 彼女は何やら納得したように頷くと、さらに続けた。



『アンリ、と言うたな? 安心するが良い。ワシはお主の味方であるぞ』


「…………」


『…………!?』



 アンリ様が驚いたようにソティを凝視した。


 なぜなら彼女が口にしたのは、異世界の言語だったからだ。



 もっとも、俺としてはそれほど驚きはなかった。


 むしろ『やはり』といった気持ちが大きい。


 そして……これで今まで持っていた疑念が確信に変わった。



 ソティは異世界人だ。

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